■  水の手城  ■
■期日 2008年6月14日(土) 【長野県】長和町・矢崎城・上田市(旧丸子町)水の手城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央道〜須玉IC〜中央道
       〜諏訪南IC〜P17・R152〜白樺湖〜ビーナスライン〜和田峠〜R142・R152
       〜丸子町〜R152〜茅野C〜P73他〜諏訪南IC〜中央道〜須玉IC〜中央道
        〜相模湖IC〜R412〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
  イヤな梅雨に入った(「...模様である」と言っているが、実はマダだったりして、いつもの気象庁の手ではある)が、今度の土日は晴れとのご託宣である、この歳になっても正直ウレピィー。で、当たりの然で、鉄馬と出掛けるが、狙いは水の手城の再々リベンジである。前々回は山裾でアキラめ、前回は東尾根上の岩場の郭まで攻め入ったのだが、その先へは恐怖で進めずに引返している。例によって早寝といきたいトコロだが、相方のために買ったノートPCが「無線LANにツナがらなくなった!」と苦情をコボされて対応に大ワラワ。前日までOKだったため、「パスワード等の設定が消えてしまった」という先入観でトラブル対処を実施。これがマズかった、ズイブンと手間ヒマが掛かってしまったのである。実はノートPC横の小さな無線SWがoffになっていただけ、ガチョーン。これじゃぁ、明日は早く起きられないカモ。 ...って訳はなく、遠足当日の子供と同じで、4時前にはお目眼パッチリ。来週が夏至ということもあり、外はもうスッカリ明るい。そういう中で準備を進め、早々と4時半には出っ発です。長後街道をヒタ走り、R412をグングン進みます。相模湖インターから中央道に上がり諏訪方面へ。高速道は走っていてもツマらないので、甲府昭和インターで通勤割引800円で降り、R20を進みます。途中、甲斐と信濃の国境の国堺(こっかい)地区を過ぎて長野県に入ります。この国道脇で、白馬乗りの官憲が若い鉄馬乗りからサインを強請っている。「エェーッ、マジかよー」、まだ早朝の7時10分だぜぇ。長野県の県警諸君は朝早くから職務に熱心だコト。ほぼ同じ場所で、以前に白馬の官憲兄さんからサインを強請られたコトがあり、早朝でも気を緩めずにコノ場所だけは注意していて助かったワイ。 ...それにしても、お気の毒な。茅野市と富士見町の境辺りで県道17号線に入り、ココから鬼のようにムチを入れます。ヲイヲイ、ぬふわKmは出し過ぎ、一般道だっちゅうの。白樺湖からは垂涎のビーナスライン。朝早いから、ドン亀バスも日曜運転手も走っていない。勿の論、ここでもガンガンにムチを入れ、約20Kmの雲上路を「アッ」という間に通り過ぎて和田峠です。ここから一般道に(をいをい、ビーナスも一般道だっちゅうのぉ、クドイ)降ります。R142とR152が中山城の麓で合流するが、すぐに「長久保」信号で分岐する。この信号の西側の山が矢崎城である。さらに、この矢崎城の北側の2つ目の山が御岳山城である。そう、この辺りは山城がワンサカ多いのである。で、「長久保」信号からR152を500m進むと、前方右側に「レッカーサービス110」看板の車修理工場がある。この工場50m手前に左(山)側に入る道がある。砂利が混じった舗装道で、愛馬の苦手な道でもある。これを500mも進むと、用水路に架かる幅5m長さ3mの石橋があり、さらに100mも進むと山側に入る道がある。用水路に架かるコンクリート橋(2m長未満なので橋とは言えないナァ、正確には)上に鉄馬を停めます。ここから70m山側に入って行くと、谷間(あい)となり左側に尾根に取り付く登山道が微かに見える。ここからイキナリの急坂で、ドンドン高度を稼げるのは良いのだが、「ハァハァ、ぜぃぜぃ」で、モウ大変。それでも僅かでも道があるので大いに助かる。24分で土塁の残る矢崎城の主郭です。疎林ではあるが、樹間からしか展望は効かない。ほぼ真南にある中山城もキレギレにしか見えない、しごく残念。それでも、段郭、腰郭や2重の堀切が残存していて、しばしマッタ〜リです。2.5万分の一地図に表示されている939.1mの三角点が主郭です。この地図の必携をお奨めします。

■36°14′45.6″−138°15′10.6″、比高は255mです。
矢崎城址、主郭跡 矢崎城址、空堀跡
矢崎城址、2重堀切跡 矢崎城址、主郭跡の三角点
矢崎城址、主郭跡よりの眺め 登り口、ここから70m先
 R152を北へ進み、R254に入って小屋坂トンネル(因みに、この山にも鳥屋城と鳥屋山砦がある)を過ぎると旧丸子町の和子地区です。「和子」信号を右(東)折し、50m先で左(北)折して、西栗山沢に沿って山側に入って行きます。すぐに前回攻めた東尾根へ取り付く道(左折、すぐに行き止り)との分岐点です。ココから道は急に悪くなるので、前回と同様にココに鉄馬を停めて、今回は沢に沿って林道を真っ直ぐ進みます。300mも進むと、林道は沢から離れるので、ここから沢沿いの山道を歩きます。が、残念ながら、すぐに道は消失。でもアワてません、何んとなれば「道は無い」のがハナから分かっているから。ではどう進むのか、というと今回は沢歩きで攻めようという魂胆なのである。2.5万分の一地図で西栗山沢の左(南西)側の最初の沢を詰めて行けば、「水の手城」由来の水場を経て主郭に到達出来ると踏んだのである。幸いなコトに空梅雨のためか、沢の水量は少なく歩きやすい。ところが、ギッチョンチョン。地図を読んで覚悟はしていたのだが、その主郭への沢筋がよく分からない。とにかく最初の沢を攻めよう、というコトに先入観があったため、かなり小さい沢を攻め登ってしまった。これはこれで結果オーライではあったのだが。水の無い石がゴロゴロの沢から、山土に変わる辺りから、ヤブ扱ぎで大変となる。革手袋で武装し、トゲトゲにもメゲズに進みます。が、「急坂+足場が悪い」ため思うように進めません。時間を要して、かなり高度を稼いだトコロでヤブ扱ぎから開放されますが、今度は「更なる急坂+超足場が悪い」攻撃にタジタジ。マバらな樹木の枝などに掴りながら登って行きます。すぐに息が切れてしまい、休み休みの難行。そうこう格闘している内に、ズーッと先に山の稜線が見えてきた時には、正直うれしかった。それまでは樹林帯の中なので、方向感覚が全く掴めなかったのである。どうやら縄張り図でいう、堡塁1の真下のようである。で、急斜面を苦労して登っていくと、先ほどの楽観が悲観に急降下。垂直(のように見える)の崖なのである。前回、断念したのもウナヅける崖である。上から見ると、超弩級の恐怖の筈。とてもじゃないが、このまま上へは進めない。ここで堡塁2の方向に超急斜面をトラバース。これはこれで超怖い。とにかく足場が悪い上に、掴むモノが少なく急斜面なのである。それでも、帰りのコトを考えて所々に目印のポストイット(黄色い付箋紙)を置いていく余裕は残っていた。で、やせ尾根に取り付き、54分も要してようやくに堡塁1です。狭い塁ですが、眺めはナカナカに良い。但し、垂直に切り立ったような超怖い場所でもある。ここから堡塁2を経て、麓から62分で主郭です。思わず、大きな声で「やったぁー」の雄叫び。そりゃぁ、そうだぁ、こんな苦労・怖い目に遭ったんだから。こんな難攻不落な場所だから、「さぞや荒れているのでは」と思っていたのだが、「疎林+ブッシュもまばら」で、遺構は非常に確認しやすい。石積み部分や土塁が残っており、虎口もウッスラ確認できる。富士嶽山へ続く尾根には、岩を巧みに利用した堀切もよく残っている。その先にも、堀切や郭が残存。主郭に戻るが疲労困パイで、早目の昼食と水分の補給をして、長々としたマッタ〜リ時間に突入。一息もフタ息も入れたトコロで下山です。ところが帰り道を間違えてしまった。というか、いくら探しても置いておいた目印が見つからない。「う〜ん、困ったゾォ」、でも谷を下っていけば何とかなる筈。この間違った選択をせざるを得ない状況でもあった。とにかく、少し下るのも大変であるが、元のトコロに登って戻るのも大変なのである。ツイツイ、谷間(あい)を下るのであった。上から見ると、緩斜面のように見えていたが、ドンドン降りていくと垂直の崖になっている。足場も悪く、すぐに落石してしまうが、どれだけでも下へ落ちて行く、怖ぇー。ココでHYD自身も落下。何とか止まってくれたが、そのまま落ちていけば、奈落の底まで。う〜ん、助かったぁ。周りは疎林な筈なのだが超暗い、地獄の入り口に立ったような気がする。もう元には戻れない、かといって降りられない。今にもポキッと折れそうな、倒木の枝に掴りながら、何とか5m程の崖状のトコロをクリア。どうやら虎口を脱したかも。この後、ようやくに沢に戻ることが出来たときには、今日2回目の「やったぁー」の雄叫び。行きと帰りを振り返ってみると、下から上を見るのと、上から下を見るのでは恐怖感がまるで異なる。危険な場所もあるが、帰りに下ってきたルートが最も安全かもしれない。西栗山沢の左岸に、不可思議な石積みの場所がある。この種の石積み箇所はココだけであり、他の場所では見当たらない。当然、中世の頃の石積み遺構と思いたいのだが、近世のモノかもしれない。とにかく、この石積みの辺りから登るのが正解と思います。もっとも、この城を攻めるのは「危険が超危ない」ので、絶対にお奨めしませんが。マジで遠江の勝坂城より怖いです。
 <案外、富士嶽山から降りて来た方が正解かもしれない>

■36°19′00.6″−138°13′44.4″、比高は293mと出ました。
尾根郭と堡塁1間の天然の堀切 水の手城、堡塁1
堡塁1よりの眺め 水の手城、堡塁2
水の手城、主郭跡 水の手城、主郭脇の石積み
水の手城、主郭の虎口跡 水の手城、主郭の土塁跡
副郭より見た主郭、石積み有り 水の手城、主郭脇の堀切跡
水の手城、主郭跡、ホッとした時 西栗山沢の謎の石積み
西栗山沢の根古屋跡? 西栗山沢の林道(右)
「和子」信号近くよりの水の手城
 鉄馬のトコロに戻って来た時には、精も根も尽き果てたっていう感じ。で、何もかもスローモーにしか動けないカラダになっている。ふ〜む、これじゃぁ、この後に攻める予定であった丸子の山城は無理だナァ、絶対に。「よぉーっしゃぁ、こうなりゃあ、城攻めを止めてビーナス攻めじゃぁ」、ってんで攻城を中止し県道62号線を進み、途中から美ヶ原へ向かいます。1900mの高原は(天気晴朗+景色も抜群)なれど、その分メチャ遅い四輪が多い。おまけに和田峠までの全線が黄色い線でもある。最初はドン亀にトロトロくっ付いていたが、どれだけ煽っても道を譲ってくれない。こいつぅ、バックミラーを見て走っていないナァ。しょうがない、黄色い線なんて「そんなのぉ関係ねぃ、そんなのぉ関係ねぃ」作戦を実行に移そう。いくらなんでも遅すぎなんだヨォ、と遵法精神はコレっぽちもないHYDに大変身である。1台抜くのも10台抜くのも同じで、ドンドン追い越してスグに10Km先の和田峠です。ここからは白い点線が多いので遵法一途、ヲイヲイ。それにしても、雲上でのぬふわKmのワインディングの快感、止められんワナァ。で、すぐに白樺湖です。R152等でR20に出て、ここからチンタラと甲府方面に大人しく走ります。黄色い線ばかりの道で、ドン亀トラックもウジャウジャ走っているのだが、白い鉄馬乗りの官憲が怖いのです。で、とうとう甲府昭和インターから高速に乗ってしまった。だが・しかし、この時間では17時前に相模湖インターを降りてしまうので、通勤割引の恩恵に浴せない。で、走りながらイロイロ考えた。そうだぁ、どこかのパーキングエリアで時間をツブそう。という訳で、インター500m手前の藤野PAで大休憩。17時の時報と共に飛び出し、17時2分にETCゲートを通過です。800円への割引でニンマリ。でも、R20に出てみてアングリ、甲州街道も大渋滞なのである。道路脇をちょこまかスリ抜けし、ネックになっている相模湖駅前をヤリ過ごして相模湖畔に出ます。ココまで来ても安心は出来ない。マダマダ先には渋滞難所が多い。その渋滞箇所をスリ抜けで通過し、インターから1時間も掛けて厚木です。ここから、地獄の長後街道を進み、クタクタになってご帰館。愛馬の世話をして部屋に戻ったのが19時ピッタシ。着替えをした後、シャワーも浴びずに、そのまま「いっただきま〜す」のゴング。本物ビアーをゴクゴク咽喉に流し込むのでした。「プゥワー、うっめぇー」、本日500Km+α、ヨォーッお疲れさん。

【余談】昨日の攻城メモを書いている今日の日曜の朝、カラダ全体が重く、脚ではなく腕の筋肉に痛みが走る。脚力だけでなく木の枝を掴んで、腕の力も利用して登ったり降りたりしたタメである。当りの然、急坂で足元が滑りやすいので落ちていかないようにするタメでもあった。それにしても、これだけ痛いとは、恐るべし「水の手城」。(良かったネェ、痛みが翌日で、意味不明
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