■   鳥屋城  ■
■期日 H19年8月17日(金) 【長野県】上田市(旧武石村)中山城・武石城・堀の内館・鳥屋城
                             (旧丸子町)霊泉寺城・真田館
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央道〜甲府昭和IC〜R20
       〜富士見T〜P17・R152〜白樺湖〜ビーナスライン〜和田峠〜R142・R152
        〜上田C〜R142〜佐久C〜R141〜韮崎C〜R50〜身延T〜R300〜本栖湖
         〜R139・R138〜御殿場IC〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
 飛騨に帰省して百姓仕事ばかりしていた。彼の地は海抜が高く道路も空いているので、野駆にはピッタシである。こちとらぁ、汗をかきながら野良仕事をしていたが、その脇を気持ちヨサゲに鉄馬で颯爽と過ぎ行くバイカー。う〜ん、俺も横浜に戻ったらビーナスラインを攻めようと決めたのであった。至高の雲上ワインディングを思い描くと、どうにも・こうにも止めようが無い。横浜の自宅に戻った翌日、例によって早起の良い子で、何と七つ前(4時前)には出っ発。さすがに未だ暗いワイ。何時もと同じように、相模湖インターから中央高速に乗り、甲府昭和で降りるコースで進む。途中甲府の牛丼屋でシッカリ朝飯を食べても、白樺湖に着いたのは7:00。ビーナスラインを攻めるのにはチョチ早い時間である。風もなくガスがとれていない。それでも、少し走り出したらガスも消え出して、絶景が広がってきた。これぞ目の保養、心の法楽である。でも、ノンビリさせてくれないのがビーナスライン。直線ではぬふわKmと早く走ろうとセメぎたててくる。当然、アッというまに和田峠の所に到着。ここから下道に入ります(ヲイヲイ、ビーナスラインは一般道だっちゅうの)。R142・R152を北上し、途中から県道62号線で旧・武石(たけし)村に進みます。道路から左手(南側)にそれらしい雰囲気の低山が見えてくるので、武石川を渡り山裾の子檀嶺(こまゆみね)神社に。境内に鉄馬を停め、神社本殿の右手にある登山道を登ります。10分弱で、石積みで補強された土塁で四囲をシッカリ防御された中山城の主郭に到着です。主郭の真ん中には小さな祠が祀られていますが、松林等で眺望はNGです。主郭までに4条ほどの堀切があり、主郭の先には大きな2重の堀切が残存し、そのサラに先にも堀切が残っている。

■36°16′41.1″−138°13′52.7″、本殿よりの比高は90mです。
中山城址、石積みの土塁が残る主郭跡 中山城址、虎口跡
中山城址、主郭脇の二重堀切跡 中山城址、麓の子檀嶺(こまゆみね)神社
武石城址(武石小学校)よりの中山城の眺め
 次いで麓に降り、武石小学校へ。この辺り周辺が武石城であるが、さすがに遺構は見当たらず。
 武石小学校から北西に300m程の所に、その名も堀の内地区の集会所がある。この周辺が堀の内居館である。集会所の北東100m程の所に石積みの土塁跡が畑地の中に残存している。
堀の内館、土塁址
堀の内館址(地区の集会場)
  さぁてとぉ、今度は鳥屋城である。以前に根羽城を攻めた時と同じように、R254の小屋坂トンネル入口の右側スペースに鉄馬を停めます。ちゃんとした駐車場がある出口側と間違うコトなかれ。で、葛などが生茂っていて、とても登り口とは思えないような階段を登ると、2・3分で鞍部に出ます。ここから北西に道を進むと根羽城。今回は、逆の南西側の尾根筋を登ります。旧・武石村側からの工事現場のような騒音を聞きながら登りますが、「所々でクモの巣に行く手を阻まれる」+「崖上地形」なので注意・注意。暑い中、アエギ・アエギして17分で石積みで補強された主郭に到着。やはり石積みの虎口跡が残存している。個の他に、何条かの堀切、いくつかの郭、土塁跡が残っている。ここも松林などで、眺望はよくありません。崖状地形の所からは、一部展望が開け、街道の要衝地であることが分かる。

36°18′19.8″−138°14′39.8″、比高は計測忘れ。
鳥屋城址、土塁の残る主郭跡 鳥屋城址、i石積みで補強された土塁跡
鳥屋城址、主郭脇の堀切跡 鳥屋城址、石積みで補強された堀切跡
鳥屋城址、登山道よりの旧武石村市街 鳥屋城址、登山道登り口(鉄馬の後)
  暑い最中での山登りで体力をズイブンと消耗したが、小休憩も取らずに霊前寺温泉に馬首を向けます。海抜が高いため、ものの2,3分で体が冷えてきます。う〜ん、快適・快適。R254を松本方向に向けて鉄馬を走らせ、霊泉寺温泉の標識に従い、山アイの温泉郷へ。温泉名の云われである霊泉寺の手前の、霊泉寺川に架かる橋のタモトに、霊泉寺城への遊歩道案内板が立っています。橋のタモトの駐車場に鉄馬を停め、案内板に従い城を攻めます。案内板には15分と書かれているが、12分でNHKの中継基地局がある主郭に到着。残念ながら基地局のため、遺構は郭と堀切跡くらいしか残っていない。それでも石積みで補強された郭のようで、ニンマリ。遊歩道というシャレた名前だが、主郭からの眺めは × である。

■36°17′55.3″−138°10′41.6″、比高は75mです。
霊泉寺城址、主郭跡 霊泉寺城址、石積みで補強された主郭跡
 麓に降りてからR254を戻りますが、途中に虚空蔵堂の手前に独鈷山への登山道標識が立っている。この標識に従って進むと、独鈷山登山の案内図が立っている三叉路に到着します。ここに真田信尹居館跡の真新しい案内板も立っている。ここに鉄馬を停め、砂利道を登って行くと、右(東)側の農地の中に居館の土塁の遺構が散見できる。当然、農地化で殆どが消逸している。
真田館址、土塁跡 真田館址、案内板
  R254で少し上田方向に戻ると、和子地区に丸子郷土歴史博物館がある。この博物館の眼の前の、岩肌が一部露出している山に水の手城がある。この城を攻めたいのだが、登り口が見つからない。で、博物館の館員のオジサンに登り口を教えて貰うことしにたが、ナカナカに要領を得ない。どうやら、館員の方は城址だということをご存じなかったようだ。ただ子供の頃に弁当を持って岩が露出している所まで、何度も遊びに行ったことがあるらしい。で、登り口を教えて貰うが、「岩が露出している所から、城址と思われる所への道はない筈、夏草が生茂っている時期を外した方が賢明」とのアドバイス。説明の納得性が高く、体力的にも心配なので、今回はパスすることに。で、時間も早いが、ノンビリ帰ることに決定。ルートは佐久に出て、そこからR140で南下、その後は本栖湖に出よう。と、決まれば早速鉄馬にムチをくれます。とてもノンビリという走りではないワイ。野辺山・清里と過ぎて、今度はR52を南下。身延からR300で本栖湖に。河口湖・山中湖の休日混雑を嫌って、イツモはここから富士宮の方に出るのだが、タマには違ったコースも楽しもうと、虎穴に入ってしまった。案の定、渋滞にハマってしまい、半ベソ状態で山中湖に。ここからは比較的にスムーズで、R138を御殿場インターまで。東名高速でも5Km渋滞が2箇所と恐ろしいほどの渋滞ではなく、余裕のヨッチャンで厚木で降ります。ここから混んだ長後街道を進み、夕飯に辛うじてセーフ。冷たいビアーをグッグッーと飲み干すのでした。本日540Kmなり、ヨォーッ、お疲れさん。
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