■  女神岳城  ■
■期日 H20年5月17日(土) 【長野県】上田市箱山城・女神岳城・吉澤城・水の手城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央道〜須玉IC〜中央道
       〜諏訪南IC〜P17・R152〜白樺湖〜ビーナスライン〜和田峠〜R142・R152
       〜丸子町〜R152〜茅野C〜P73他〜諏訪南IC〜中央道〜須玉IC〜中央道
       〜相模湖IC〜R412〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
  ゴールデン・ウィークが終わったというコトは、ビーナスが呼んでいるコトでもある。モチのロン、誘いに乗るのは言うを待たない。昨年の9月以来なので、8ヶ月振りのビーナスラインになるナァ。これまた昨年8月に、『道が無い+雑木下草が繁茂』ということで断念した「水の手城」をも攻めるベク、朝5時前に出陣の法螺貝を吹き鳴らします。降水確率20%という有難い御託宣が出ているが、「山沿いでは午後にニワカ雨が降る可能性が高い」、という有難くないのも出ている。20Km四方の3時間毎の天気分布のご託宣図を見ても、確かに山沿いでは降るような雰囲気である。でも・しかし、勇者(正しい日本語では馬鹿という)は出掛けるのであった。長後街道、R412と快調に進み、相模湖インターから中央道に入ります。相変わらず、朝早いのに中央道は混雑している。こういうトコロが、首都圏周辺のイヤなトコロなんだよナァ、仙台や名古屋は良かったよナァ、などとブツクサ言いながら、須玉インターで一旦降ります。ETCカードを交換して、通勤割引の恩恵を享受。再度高速に乗り今度は諏訪南インターで降り、2回目を享受します。ここから、先ずは県道17号線の前哨戦を楽しみます。続いてR152で白樺湖に出て、イヨイヨ本命のビーナスとの一騎討ち。ところが霞・靄が多過ぎてビーナスラインからの眺めはイマイチ。こちとらぁ、風景を見ながら突っ走るという芸を持ち合わせていないので、景色はどうでも良いんだけれど。でも、なぁ、見晴らしが良いに越したコトはない。その上、久しくスパーク・プラグを交換していないものだから、アクセルワークとエンジンがシンクロせず、少しくギゴチない走りで和田峠へ。この後、R152をチンタラ走りながらヨクヨク考えてみたら、交換してから1.8万Kmも走っている(因みに前回は8千Kmと早めの交換)。そうかぁ、調子がイマイチだったのはプラグが原因カァ。などなど、走りながらクダクダ考えずに、早く交換しろよナァ>HYD。旧丸子町に入ったら、丸子警察署前の道を東に進み、道なりに山側にドンドン入ります。中腹に小奇麗な依田窪斎場があり、谷を挟んで北側の対面(トイメン)が箱山城です。登山道はないという情報なので、斎場より100m下の伐採して下草を刈ってある登りやすそうなトコロ(林道の新設工事のため?)から尾根に登ります。尾根上に登るまでが急坂で大変ですが、登ってしまえばコッチのもの。口笛を吹きながら進んで、麓から丁度10分で主郭に到着です。狭い郭ですが、周りの土塁が残っています。副郭との間に堀切があり、その先(東)に又堀切が3連発。その先にも郭があり、ここからの眺めは結構グゥーです。

■36°19′38.0″−138°17′10.1″、と出ました。
箱山城址、主郭の土塁跡 箱山城址、主郭の石積み跡
箱山城址、主郭脇の空堀跡 尾根上よりの眺め、左端は丸子城址
依田窪斎場と箱山城址遠景
  続いて、県道82号線で別所温泉方面に進みます。途中で「さくら国際高校」と「下喰池」の間の道を進み、女神岳の麓を巡る舗装林道を野倉方面に進みます。飛ばし過ぎていたためか、「女神岳登山道入り口」の標識を見落とし、野倉地区の民族資料館(学校跡)までマッシグラ。地区には有名な夫婦の道祖神があり、それらのポイントが書かれている立派な案内絵図面板とニラメッコします。シッカリ登山道入り口のポイントも書かれている。で、何のコトはない、資料館の道路脇に「女神岳登山道入り口まで800m」の標識が立ってました。標識に従って林道を800m戻ると、道が少し広くなって車が1,2台停められそうな場所に、女神岳への登り口の標識が立ってます。ここから少し巻くように登ると石の鳥居があります。コレを潜って、かなりの急坂をアエギ・アエギ登って、登り口から17分で尾根に登り着きます。ここには石の祠が祀ってあります。昔は小さな神社が建っていたそうな。ここから少し進むと4連チャンの堀切があり、土塁が一部残る二の郭です。二の郭からは、石積みの主郭が見え、「オォーッ!」という感嘆の大きな声。主郭には三角点がありますが、周りの眺望はイマイチ。それでも石塁の見事さと麓から19分のアエギ疲れもあって、マッタ〜リ時間に突入。汗が引いたところでウロウロを開始すると、主郭の北側には帯郭、堀切がある。驚いたのは、主郭と二の郭の間に、両サイドに石塁の虎口が当時そのまま(?)で残っているコト。感激、ウ〜ン、見事なり女神岳城

■36°20′24.8″−138°09′47.9″、標高927mの三角点があり、比高は登り口から185mです。
女神岳城址、主郭跡の三角点 女神岳城址、二の郭より見た主郭跡
女神岳城址、大手の虎口跡 女神岳城址、主郭の石塁跡
女神岳城址、二の郭脇の4連続堀切跡 女神岳城址、二の郭脇の堀切跡
女神岳、登山道入口 県道82号線手塚地区よりの女神岳城址
  同じ県道82号線で丸子方向に戻ります。戻る途中、古安曽地区に来光寺池という溜池があり、この近くに「パノラマライン展望台2Km」の標識が県道沿いに立ってます。大きな標識ですが、これより「二幸園」の標識のほうが目立っているカモ。この標識に従って左(南)折して山懐に進みます。麓まで進むと、右(西)へ進む未舗装の林道があり、「安曽岡山(あそおかやま)登山道」の標識があります。ここからは未舗装の砂利道なので、鉄馬では超厳しい試練。ツイツイ、前方のワダチだけを見てしまい周りを見る余裕が無くなったらしく、100m先にあった黄色い「安曽岡山」登山道の標識を見落としてしまった。ドンドン先へ進んでしまい(今日2回目のミス、いつも自慢している動体視力は何処へ行ったのかしらん)、500mも進んだトコロで、吉澤城のカスれて見え難く、超デフォルメされた案内図が立っているトコロに到着。当然に、この辺りから登るのだろう、と判断しウロウロするも、それらしき登り口は見当たらず。オカシイ、案内図もあるのに。諦めきれずに、なおもウロウロ続行。ブッシュがすごく、とても直登出来るような山ではない。とうとうアキラめて引返すコトにした。すると、クダンの標識を発見。なぁーんだ、ちゃぁーんと登り口の標識があったではないか。すると、あのカスれた吉澤城の案内図は一体何だったのか。とやかく詮索するヒマも無いので、鉄馬を道路端に停めて進攻開始です。地元小学校の行事か何かで、生徒が安曽岡山に登っているらしく、父兄が立てた標識等が整備されていて道に迷うことない。登り口から14分で展望がスコブる良い郭に到着します。ここに吉澤城の案内板が立っていますが、主郭はこの先です。主郭には僅かですが石積みが残されています。堀切・帯郭が残存しています。展望の良い副郭に戻り、心地よい涼風で汗を引かせます。景色を愛でつつ、コンビニおにぎりを食べ、マッタ〜リしたあと下山です。安曽岡山は2.5万分の一地図では名称は記載されてません。独鈷山の山系の一つですネ。

■36°20′17.7″−138°012′39.1″、比高142mです。
吉澤城址、主郭の石塁跡 吉澤城址、副郭よりの眺め
吉澤城址、副郭跡 吉澤城址遠景、左端が城址
吉澤城址、謎の案内図
  さぁてとぉ、イヨイヨ本日のメーンイベント、水の手城のリベンジである。昨夏の折は「登り道は無い、ブッシュが多いので夏場は登れない筈」という郷土博物館の館員の話でアキラめたが、今の時期は春でである。先ずはR254で和子地区に入り、国道沿いの博物館の前に到着し、これから登るクダンの山を下から見上げます。う〜ん、岩場が良く見える、脚が鳴るワイ。とは言っても、ヤハリ直登は避けたいので、登り道がないか再確認。山麓でノラ仕事をされている地元の老人からイロイロ聞き出します。でも、「30年前には登ったコトがあるが、今は道は無い筈」という、館員と同じような答えが返ってくるだけ。「よぉ〜し、こうなりゃ直登しよう」と当初の計画通りにコトを進めることに。富士嶽山の東尾根の途中が城域であるが、この東尾根を東の山裾から攻めようと計画していたのである。館員も地元の方も、このルートで登っているらしい。で、東尾根の東麓から見上げるが、その山容からも難攻不落のように思えて来る。でも、近づいてみると植林のための準備か何かで、松の木を伐ってある部分が点々とあり、案外に登りやすいカモ。ブッシュは思ったより少ないのだが、急斜面なためアエギながら、道なき道を登って行きます。すると登り始めて15分ほども経過した頃、尾根筋に青い止めテープが張ってある。道も無いのに止めテープというのが、何とも不可解だが、道に迷わず登られる(当然、降りられるのも)のは、うれしいワイ。テープに沿って登っていると「マツタケ山、入札者以外立ち入り禁止」の張り紙が張ってあった。そうかぁ、マツタケが採れるんだぁ。しかも入札で採取できる人を決めているんだぁ。秋に来なくて正解だったナァ、などと思いながら尚も進んで行く。すると、広い尾根筋が徐々に狭くなり、段郭が眼の前に。「オォーッ、やっと城域に到着じゃぁ」。3段の段郭を経て、ちょっとした郭跡があります。縄張図で示されている岩場手前の郭である。「やったネ!」、思わず笑みが洩れます。岩場の先に主郭の頂が見える。もう少しのガマンである。と思う間もなく、岩場に取り付いたトコロで、体が凍りついた。というか、足がスクんでしまった。次いで、怖くなって思わず身を屈めて、手を岩に付けてしまった。ビビってしまって、スクッと立ち上がれない。両サイドと前方とも断崖絶壁の岩場であったのである。ウ〜ン、元山岳部の一員だった筈なんだがぁ...。北アルプスの槍穂の縦走路の難所である、あの「大キレット」や「飛騨泣き」でも怖いとは思ったコトがこれっぽっちも無かったのに。北アルプスのソレと比べると壁の高さは超低いが、垂直に近い絶壁である。やっぱりぃ、怖いワナァ。歳をとってしまい、身が重くなったのも理由の一つかも。館員も地元の方も一様に、「岩場の先には行っていない」と言われた意味が、ココでようやくに分かった。では、当時の武士はどうやって主郭に進んだのだろうか。とてもこの岩場を巻いて行けるような地形ではない。縄梯子か何かを取り付けていたのだろうか。それにしても、重い甲冑を着けての登り降りでは、(体力的に大変+超怖い)筈である。とアレコレ考えている内に、日が傾きだして来た。高所恐怖症になってしまっていたオノレが憎らしくても、しょうがない、ソロソロ帰らなければ。帰りは下るだけなので、飛ぶようにして急坂を降りていった。麓から見る水の手城は、その山容も相まって妙に神々しい。「ヨォーシ、今度は『水の手』の沢側から攻め落としてくれようゾ」と、再々攻城を誓うのでした。
水の手城址、尾根上の副郭の石積み 水の手城址、尾根上の副郭跡
郷土資料館よりの水の手城址 尾根上の副郭よりの郷土資料館
尾根上の副郭から見た主郭 尾根上の副郭よりの鳥屋山砦跡
 遅くなってしまった、さぁ早く帰ろう。帰りもビーナス・ラインを攻めたいトコロだが、そんな時間はトウに無い。すんなりR152を進んで帰ろう。ところが大門峠に近づくにつれ、エラク暗くなって来た。ヲイヲイ、マジかよー。と、思う間も無く土砂降りの雨。とても合羽に着替えるドコロの騒ぎではない。もっとも、着替えをしたくても、山中のコトもあり雨宿りして着替える場所もない。必然、そのまま走るしか手は無い、と諦めモードで走ります。そして、そのまま濡ネズミになりながら峠を越えるのでした。それでも、峠を越えると、うれしいことに雨は止んで来た。ウエアの中まで雨が浸みて来てはいるが、「ラッキー」のツブヤキHYD。そのまま新設された諏訪南インターへの秘密ルートを進みます。諏訪南インターから中央道に乗り、来た時と全く逆に戻ります。須玉インターで一旦降りてカードを交換するのも同じ。もう17時を過ぎているから、通勤割引が効きニタニタします。で、再度中央道に入って順調に進むも、「小仏トンネル〜相模湖、渋滞3Km」の赤い表示が恨めしい。それでも停車することなく、また雨にも降られず相模湖インターを出られた。2回目のラッキー、しかも通勤割引。ここからR412、長後街道と戻り、20時ドンピシャにご帰館です。本日、520Kmなり。それにしても山城の4連チャンで、今日は思いのほか疲れたワイ。タラフク呑んで早く休んでネ、チャンチャン
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