■   信濃松岡城  ■
■期日 H18年7月15日(土) 【長野県】南信濃村・和田城、飯田市・座光寺北城・座光寺南城、
                              高森町・松岡本城・松岡南城・松岡古城・洞頭城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木IC〜東名高速〜沼津IC〜R1〜磐田C〜P44他〜天竜
        〜R152・R474他〜飯田C〜P15他〜辰野T〜P50〜諏訪C〜P16〜茅野C
         〜R20〜諏訪南IC〜相模湖IC〜R462〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
  もう1ヶ月と10日間も鉄馬に跨っていない、梅雨空が恨めし〜ぃ。でも今度の土曜のみは、降水確率20%という有難いご託宣である。でも、「午後から宵の口にかけて、ところにより雨」という注釈もあるにはあるが、にわか雨程度であろうとタカをくくって、イソイソと早寝の良い子(ウソ、こちとらぁ子供ではない、結構夜更かし)で、七つに起き出し七つ半(5時)に出っ発じゃぁ。ところが、1ヶ月以上も危ない放置プレーをさせていたものだから、愛馬はなかなか機嫌よく目覚めてくれない。エンジンはかかるのだが、すぐにストール。4回目でようやく元気になった、「ふぅーっ」危なかったワイ。自作の(太陽電池+充電器)で満充電にしていたお陰で、バッテリーの心配をしなくても良いのは有難いが、タマにこのようなコトがある。それでも走り出してしまえばコッチのもの。厚木インターから東名に乗り、沼津インターで降ります。ここからは一般道、とはいってもバイパスが多いから、静岡周辺の渋滞を除けば快適・快適。磐田BPの東豊田インターから県道44号線で天竜に入り、あとはヒタスラR152を北上します。ウソ、コトはそんなに簡単ではない。というのはR152は所々途切れているのだぁ。先ずは有名な青崩峠、銘水が湧き出ている少し先で未舗装道路になり、あえなくギブアップ。元の道に戻って兵越峠への迂回路で南信濃村へ。中心部に入った所にある村の観光案内図を見ると、和田城など幾つかの城址・砦址のマークがある。これは行きがけの駄賃である、近い所だけでも行ってみよう。ってんで模擬天守のある郷土館になっている山懐の和田城へ。遠くからでも良く分かりますヨ。郷土館に変わり果てた姿となっているので、遺構はなし。裏山が物見砦跡らしいのだが、急ぎ旅なので、今回はパス。すぐそばの龍淵寺(りゅうえんじ)の山門前にある観音霊水、これは甘露、美味いです。騙されたと思って飲んでみて下さいナ。住職が言われるように、「日本一の水です」はホラではないですゾ。
和田城址と市街 和田城址、郷土資料館入口
  村にはまだまだ城址はあるのだが、今日はこのへんで勘弁してやろう。R152北上は緑のトンネルの中でもあり、鉄馬で駆け抜ける喜びは、またヒトシオである。が、やはり途中で途切れるので、R474等で道なりに飯田市にでると、そこは何と座光寺の交差点であった。これは奇遇じゃぁ、予定外ではあるが、先ずは座光寺城を攻めよう。数多い元善光寺の標識に従って元善光寺に。この寺の境内が座光寺城の城域らしいが、特に遺構はなさそう。と早々にキビスを返したのだが、ちょっと道を間違えてしまい、近くの格式のある麻績(おみ)神社の社前に出た。ここで地図を広げて、今日のターゲットである高森町の幾つかの城への攻め方を考えていたのだが、ナニゲに付近の案内図が眼に入った。「う〜ん、なんじゃぁ?」、そこには座光寺北城と座光寺南城が書かれているではないか。っていうことは、元善光寺の境内周辺は、どうやら城域ではなく、座光寺小学校の上部で、耕雲寺周辺が北城の城域のようだ。また、それの南側が南城のようである。麻績神社前の道からも行けそうなので、先ずは小学校の前を通って耕雲寺へ。特に案内板も無いが、寺脇の側溝は堀跡のようである。小さな祠も祀ってあり、城域に間違いなさそう。側溝に沿ってウロウロすると、北城の土塁跡という石碑が立っている。藪だらけで、言われないと土塁とは気が付かないかも。いくつか堀跡や土塁跡のような地形もあるが ? である。フルーツライン(南伊那広域農道)からだと、耕雲寺への立派な標識もあるので、攻め易いと思います。
座光寺北城址、耕雲寺全景 座光寺北城址、土塁跡の石碑
  フルーツラインの耕雲寺南側200m程の所に立派な横断歩道橋があり、この脇に2車線の道が段丘の先に向かって新造されている。この道を50mほど行くと、右手に小さな手作りの「南本城」への標識が立っており、森の中に通ずる小道があります。これに従って進むと、すぐに城域です。数多くの遺構に、それぞれ小案内標識が立っていて、地元の方々の遺構への思いが伝わってきます。馬出、虎口、土橋、土塁、空堀、竪堀、幾つかの郭など、見ごたえがあり、自然にニッコリ顔に。でも、蚊が多いのだぁ、どこでもベープ(電池式蚊取線香)を鉄馬の鞍の中に置き忘れてきている。早々に退散しよう。
座光寺南城址、入口 座光寺南城址、土橋跡
座光寺南城址、主郭下の腰曲輪 座光寺南城址、主郭の虎口跡
  フルーツ街道を北進し高森町に入って暫く走ると、立派な標識「松岡城」が出現するので、右折して松源寺境内に。寺の前で早くも幅広な「五の堀」という空堀(横堀)がシッカリ出迎えてくれます。これは期待できそう。松岡城と松岡南城の案内図も設置されています。寺の駐車場に鉄馬を停め、横堀跡で区切られた幾つかの郭を過ぎて広い主郭に。ここには土塁も残存している。ここからは天竜川流域の伊那平がズーッとワイドに眺められ「グーッ!」です。主郭の入り口脇にあるクボミは虎口であろうかしらん。
松岡本城址、五の郭跡の松源寺 松岡本城址、五の堀跡
松岡本城址、三の堀跡 松岡本城址、主郭の虎口跡
松岡本城址、主郭よりの眺め 松岡本城址、主郭跡
洞頭城址
  松源寺手前にある城域案内図をもとに、今度は松岡南城を攻めます。歩いても簡単に行けそうですが、時間の短縮のため鉄馬で行くことに。フルーツラインから南城への道を探して1Kmほども南下していくと、信号のある交差点角で「洞頭城」の木碑を発見。道路より高い位置にある果樹園の中に立っています。果樹園の中に登ってみたり、グルリを回ってみたりしたが遺構は無さそう。
  どうやら行き過ぎたようなのでラインを少し戻り、段丘側に入る道を進んでそれらしい雰囲気のある所に向かいます。田んぼの端に松岡城と同様な横堀跡と思われる地形が見えるので、ここに鉄馬を停め、森側に進むと空堀、堀切が現れてきます。松岡南城の主郭はコジンマリしており、土塁が残っています。ここでも蚊に襲われてしまい、ホウホウのテイで逃げ帰るのでした。
松岡本南城址、主郭前の土橋跡 松岡本南城址、主郭前の横堀跡
松岡本南城址遠景、田んぼの先は堀跡 松岡本南城址
 フルーツラインをさらに北上すると、郷土資料館の案内が出てくるので、情報収集のため立派な館へ。松岡城の無料パンフが置かれており、読んでみると、どうやら高森町には20ほどの城址があるらしい。「ふーん、いっぱいあるんだぁ」などと思っていると、館のキューレーターらしき紳士が現れ、松岡城などを色々教えて頂く。山吹城、吉田城云々の城名が出て来たが、途中から記憶がプッツン。というのも、町には松岡古城があり、松岡城そばでフルーツライン(広域農道)の北側の一本杉の周辺である、という話を聞いたからである。やはり松岡城の三点セットにしなければ、画龍点睛を欠く、である。で、急いでフルーツラインを戻り、松源寺の西北側300m程の所にある、町で一番の大木である一本杉へ。この周辺が松岡古城であるが、遺構は特になさそう。
松岡古城址、近くの堀跡? 松岡古城址
  郷土資料館のパンフの地図によると、まだ10数箇所の未攻城があることになるが、伊那市側の雨雲や雨煙が超あやしい。伊那側は完璧に降っているとみた。ここは横浜から遠く離れ過ぎているし、のんびり攻城しているわけにはいかない、そろそろ帰ろう。ってんで、北へ向かって走り出したトタンに、雨煙の中を雷光が走っているのが見えた。こりゃぁヤバイ、早く雨合羽(レインウェア)を着よう、と思ったのだが、決断が遅かった。ポツポツ来てから着るつもりだったのだが、ポツポツ来たと思ったら、いきなりバケツで水を掛けられたような豪雨に遭遇。モノの10秒でズブ濡れの惨めな姿に。これだけ濡れてしまえば、このまま走っても同じではあるが、雨粒が顔に当たって痛い、しょうがなく、ずぶ濡れのまま軒下に緊急避難。30分ほどで、あっという間に雨雲は通り過ぎ、時たま晴れ間も。「クッソー、なんて間が悪いんだぁ」とボヤいても、あとの祭り。着替えをするのも面倒なので、ずぶ濡れのまま鉄馬に跨って走らせ、混んだR153を諦め、県道19号線で北上し、辰野町からは県道50号線で諏訪に。ここから県道16号線とR20等で富士見町へ。ここで下道を諦め、諏訪南インターから中央高速に乗ります。さすがにぬあわKmで巡航している内に、濡れ鼠も生乾き鼠に変貌。その内に完璧に乾いてしまったワイ。いつものように相模湖インターで降り、いつものように混んだR412をスリ抜けで厚木に出て、長後街道へ。ここも混んでおり、「ふ〜っ」と大きなため息が出て、20時前にご帰館。愛馬の世話をしたりして、食卓に着いたのは20時半頃になり、当然孤食と相成ったのでした。まぁ、それでもビアーは美味かったです。本日605Kmの長駆、このうち下道が400Km超は、やはりハードな攻城でした。風邪引かないでネ、チャンチャン
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