■  高倉城  ■
■期日 H21年4月11日(土) 【福島県】郡山市・高倉城、
                    本宮市・人取橋古戦場・瀬戸川館・観音堂山・本宮城、
                    三春町・三春城
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3〜玉川IC〜環8〜和光IC〜外環〜川口JCT
       〜東北道〜本宮IC〜R4・P28他〜三春T〜P40〜三春滝桜
       〜P40・R288〜船引三春IC〜磐越道〜いわきJCT〜常磐道
       〜三郷JCT〜外環〜大泉IC〜環8〜玉川IC〜第3・横新〜自宅
■コメント
  先週は現愛馬での初立ちゴケをしてしまい、精神的に超ガックリだけでなく、鉄馬を起こす際に無理をしてしまい腰痛となった。日曜〜火曜辺りまでは階段を1段づつ降りるのでさえ、腰に激痛が走り難儀したものである。それでも、木曜辺りからは2段降りをしない限り痛みを感じないまでに快復してくれた。勿論、少し前屈みになると激痛が走ってしまうが、何とか鉄馬に跨れそうである。オアツラえ向きに、気象庁のご託宣も「土日は晴天で4月下旬並の暖かさ」とな。となれば、お天道様に申し訳ない、多少痛くとも出掛けねばならめぇ。まぁ痛くなったら、途中で帰りゃ良いやぁ、という訳の分からん理屈を通すコトにした。で、イツモのように七つ(4時)に起き出し、痛みコラえて諸準備をして七つ半(5時)には出っ発です。う〜ん、イツモながら
勇者だぁ(正しい日本語ではバカ、英語ではCrazyという)。先週はアクシデントによる腰痛のため、東北の山ん中のワインディングを楽しめなかったが、今日こそは走ってやろう。そう、今日も懲りずに東北を攻めるツモリ。今回は東北道を北進し、本宮市の伊達政宗 v.s.佐竹・芦名他の連合軍の人取橋古戦場をウロウロします。ズイブン昔のNHK大河ドラマ「独眼流政宗」でも有名なシーンである。単調な高速道にアキアキした頃、ようやっと白河である。行き先はマダマダ先で、さらに北進してヘキヘキした頃、東北道・本宮インターを降ります。出口のR4との交差点を曲がらずに直進して2Kmも走ると県道355号線とのT字路に。この355号線を右(南)折し、県道の南に見えるのが高倉山、頂上部が高倉城の城域です。ズイブンと比高がありそうで、腰痛の関係もあって躊躇するが、えぇ〜い、ままよ、と進みます。五百川を渡ると郡山市となり、さらに南下すると道路脇の山懐に山清寺があります。寺の右脇に山の中腹の墓地へ通ずる急坂があり、登って行くと未舗装の駐車場です。ここに鉄馬を停め、駐車場右手の幅広な山道(2m幅)を登って行くと丁度5分で主郭のスグ下の帯郭跡です。幅広な山道はココまでだが、切岸を登れば土塁がシッカリ残る主郭です。石積みの櫓台跡も残っていて、石積みフェチのHYDは朝早くから「スンゲェー」の雄叫びを発するのでした。虎口、横堀、腰郭も残ってます。絶景の眺めを期待していたが、雑木で主郭周辺からはNG。ただ墓地の上からは桜の花も丁度満開で、郡山方向が開けていてベリーグゥーな景色が広がってました。
↑ 高倉城址、主郭跡 ↑ 主郭の石積みの櫓台跡
↑ 高倉城址、主郭の虎口跡 ↑ 高倉城址、空堀跡
↑ 高倉城址、副郭の虎口跡 ↑ 高倉城址下の墓地よりの眺め
← 観音堂山よりの高倉城遠望
 次いで先ほどの本宮インター出口に戻り、今度はR4を北上です。500mも走ると国道の左(北)側の田んぼの中に石碑が見えて来る。あれがきっと人取橋古戦場の石碑だろうと脇道に入ると、半分ピンポーンでした。古戦場跡の案内板と木碑はあるが、石碑は人取橋合戦での戦死者の供養塔であった。脇に古強者の供養塔も建っている。周りは田んぼで遺構はない。近くまで宅地化の波が押し寄せてきており、10年もすると田んぼ→宅地になりそうな気がして止まない。
人取橋古戦場 
← 瀬戸川館跡
 さらにR4を500m北上し、県道8号線への信号を右(東)折して300mも走ると「もとみや斎場」が右手に見える。ここを右(南)折して150m進み、最初の左折出来る道を左折して団地の中を進むと、左側に小公園があり、瀬戸川館の石碑と案内板が立っている。人取橋合戦の際の伊達成実の陣跡である。団地化で遺構は消失している。
観音堂山、現・日輪寺 
先ほどのR4の信号の所に戻ると、100m先(北側)の右丘に墓地が見える。この墓地は現在は日輪寺の墓地であるが、当時は観音堂山で、政宗の本陣が布かれた場所である。小丘ではあるが現在も墓地から四辺が見渡せられる。残念ながら遺構は残っていないが、日輪寺のシダレ桜は見事に咲き誇っていた。
↑ 観音堂山よりの人取橋方向 ↑ 日輪寺のしだれ桜
  本宮の市役所を過ぎ、R4から県道28号線で三春方向に向かう。500mほどで本宮小学校。ここの裏山全体が本宮城の城域。小学校も館跡らしい。山頂部には安達太良神社が祀ってあり、近くまで車で上がれる。土塁・堀切・幾つかの郭跡が残っており、本宮市街の眺めはスバラシイ。
↑ 本宮城址、主郭跡 ↑ 主郭跡に建つ安達太良神社
↑ 本宮城址、堀切跡 ↑ 昭代橋よりの城址遠望
 さぁてとぉ、ソロソロ東北のワインディングを楽しもうかい。と、その前に三春町の三春城を攻めよう。県道28号線で三春に向かい、三春から県道40号線を進むが、スグに舞鶴城址公園への標識を発見。これに従い急坂を登ると、二の丸下の駐車場です。近世のシッカリした石組みでの石垣ではないが、石垣がシッカリ残っている。腰郭が数多くあり、本丸、二の丸などの門跡、櫓台跡もよく残っている。城址公園だけあって本丸や二の丸からの眺めは素晴らしい。特に二の丸からの麓の三春小学校(居館跡)と市街の一望は必見です。
↑ 三春城址、本丸跡 ↑ 三春城址、石垣跡
↑ 三春城址、二の丸の案内板 ↑ 二の丸よりの市街、小学校・居館跡
  県道40号線を南下し、東北の山ん中のワインディングを楽しむのが目的の一つであった(リベンジでもある)が、三春町の市街のアチコチ立っている「三春滝桜」への案内標識が気になってしょうがない。ココに来るまではスッカリ忘れていたが、三春の滝桜といえば超有名ジャン。同じ県道40号線だし、ついでに寄って行こう。...てな簡単な訳にはいかない。何となれば、桜見物の渋滞がスゴイのである。これまで、根尾の薄墨桜、高遠の城址公園の桜などを観てきたが、どこもカシコも超渋滞であった。ご多分に漏れず三春もズイブン混んでいたが、やはり陸奥ミチノク、先の2つ程ではなかった。さらに道幅が広いため、スリ抜けの奥の手も楽勝で、スグに現地に到着です。車の渋滞はサホドではなかったが、人ゴミはすごい。ミゴトな桜を見たら早々に帰ることに。ところがギッちょんチョン、この辺りからマタしても腰の腰痛が痛み出してきた。くぅっそう、また痛くなりやがった。三春城の石垣を見て少しハシャギ過ぎたのかも。ワインディングも楽しみたいが、これ以上痛くなったら横浜まで帰れなくなるしぃー、う〜ん、どうしようかしらん。で、ココは子供じみた考えを捨て、12時前ではあるが大事を取って帰ることに。あぁモッタイナイ。R288に出て、途中で手打ちラーメンでユックリ昼食。食後、もしかして痛みが無くなっているカモ、という淡い期待に掛けていたが、ヤッパリ×。アキラめて船引三春インターから磐越道に乗ります。いわきジャンクションからは常磐道に入り、南下をヒタスラ続けます。三郷から外環を走り、大泉からは環八です。環八は先週と比べてかなり渋滞、ストレスが一杯に。第3京浜で、このストレスを発散させ、横浜新道等で16時半と超早のご帰館です。まだ日が高いので、腰痛をガマンして時間を掛けて愛馬をキレイキレイにして上げます。家に入るが、イツモのように熱っ〜い風呂に入らず、先週と同じく横になって、夕飯までジィーッと安静。相方の「腰は大丈夫なんですか」の意味深なキツイ一言に、黙って黙して反論せず。夕飯もビアーをホンの少々で、すぐに goto the HUTON。本日、620Kmは殆ど高速道、全然走った気がしないようぉ。再々リベンジを計画しなくっちゃぁ(って本当に懲りないバカ)。
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