■  広瀬城  ■
■期日 H20年4月28日(月) 
【岐阜県】 飛騨市(旧古川町)・蛤城(古川城)、高山市(旧国府町)・広瀬城
■ルート  古川自宅〜P471他〜旧国府T〜P471他〜古川自宅
■コメント
 映画業界の人間ではないが、素直にうれしいゴールデン・ウィーク。今回は間に平日があるので、長期の連休にはならないが、年休を取って4日間の連休+暦通りの4日間の連休と計画した。で、前半は天気はヨサゲであるので、百姓仕事+攻城で帰省することに。4/26の土曜は、午前は10%の降水確率だが、午後からは50%以上に跳ね上がるので、朝早い七つ半(5時)に出っ発。長後街道、R412と順調に進み、相模湖インターから中央道に入ります。途中、須玉インターで降りて、ETCカードを別のETCカードに取替え、再び中央道に。これって、バカ高い高速料金に対する庶民の知恵、通勤割引を100Km以上に適用出来るのである。本来なら、相模湖〜松本間は、バイクでは3200円であるが、コマ切れの通勤割引で1900円となる。コマ切れになるため半分の料金にはならないが、それでも40%引きである。松本インター出口でETC表示の「割引」に、ニンマリしたのもツカの間、5Kmも走らない内に雨がポツリポツリ。...という間もなく、ザァーザァ雨に。「エェーィ、気象庁のバカたれガァ、何が10%だぁ(怒)」。長野県の中信地方も岐阜県の飛騨地方も、12時までは10%の曇りだったのに。しかも、まだ8時ではないかぁ。うぅ〜ん、怒りにメラメラ熱くなってもしょうがない。雨宿りしても、止みそうにもない雲行きなので、アキラめて道中合羽を着込みます。着膨れでは鉄馬に跨り難いが、気温がグゥーッと下がって寒いので、防寒着にはなる。ブツブツ言いながら、安房トンネルを越え、平湯トンネルを越えると、いくらか小降りに。古川の実家に着いて、大急ぎで着替えをします...。 <泊>
 4/27(日)、一日中、野良仕事。 <泊>
 4/28(月)、本来ならば出勤であるが、今日は年休。午前中は百姓仕事、午後は百姓仕事の合間を縫って攻城です。先ずは、子供の頃に聞いていた百足(ムカデ)城の詰め城の蛤(ハマグリ)城(別名:古川城)である。百足城の方は、子供の遊び場所で、陣地を作ったりしてよく登って遊んでいたのだが、蛤城の方は1回も登っていない。年上のガキ大将に「あの山も城山」と教えられていただけ。で、宮川に架かるR41の新蛤橋から高野地区へ向かいます。地区の五社神社の裏山がクダンの城である。神社近くをアチコチとウロウロするも、全然登り口を見つけられず。まぁ直登も止むを得ないカナァ、と思っていると、何やら見知った顔が道端に。なんと40年振りの同級生S君が、ノラ仕事の準備をしているではないか。イロイロと昔話をした後、クダンの城への道を問う。どうやら地元の子供会では、よく登っているらしく、スグに教えてくれた。礼を言って、還暦の同窓旅行会での再会を約して、登り口に向かいます。宮川沿いに県道471号線(高山・谷線)があり、これを高山方向に進むと、新蛤橋から500m程で、「(株)吉城コンポ」の大きな標識が出現する。この標識に従い山側の道を登ると、すぐにコンポストの工場の入り口である。モノがモノだけに、かなり臭う。この入り口から20m上に、山側に入る道がある。途中でスグに通行止めになっているが、山道は上までナントカ続いており、これを登ると9分で出丸跡です。蛤城のイワれである、蛤石が置かれている。子供の頃から聞かされていた石であるが初めて見た。思ったよりも小さい。でも、見ようによっては神秘的な文様ではある。この上が二の郭、主郭で、切岸がよく残っている。主郭には土塁も僅かに残り、櫓台がある。他に虎口や腰郭、数多い段郭などが残っている。疎林ではあるが、見通しはイマイチ。木々の狭間から僅かに百足城が眼下に眺められる。城域への道は、どうやらもう1、2本あるようで、帰りは来た道とは異なる歩き易い道を下って行った。すると、すぐに簡易舗装の林道に降りるコトが出来た。こちらから登れば、主郭まで5分は掛からない筈です。吉城コンポの工場入り口より、300m上に倉庫のような/駐車場のような建物があるが、この左側に登り道があります。

■36°13′24.3″−137°10′55.6″、比高は計測忘れ。
蛤城址、二の郭よりの主郭跡 蛤城址、主郭の物見櫓跡
蛤城址、主郭脇の腰郭 蛤城址、出丸跡の蛤石
蛤城址、出丸の虎口跡 蛤城址、出丸跡よりの百足城
登り口、建物の左側 道の駅「アルプ飛騨古川」よりの蛤城址遠景
 次いで、同じ県道471号線をさらに高山方向に進み、隣町の旧:国府町(現:高山市)へ。名張地区に入ると、バス停「名張」脇に何やら案内板のようなものを発見。鉄馬を止めて見ると、広瀬城の城域外観図であった。う〜ん、いつもながらの見事な動体視力である。国道41号線から見える、大規模店舗「アピタ」の裏山が広瀬城と信じていたが、間違いないようである。どうにも見た感じが城山で、遠くからでも堀切跡と思われる地形が見えミエなのである。どうやら、案内図によると放射状の竪堀も残っているようだ、これは楽しみである。バス停から山側への道を進み、途中で鉄馬を停めて侵攻開始。雑木や下草が刈られているので、道がなくとも楽々登れます。グングン高度を稼ぎ尾根に取り付くと、素晴らしい古川盆地の風景が広がります。それとともに、上方に帯郭に防御された郭が見えてきます。何やら畝状竪堀の跡もウッスラ見えます。桜の苗木が、アチコチに植えられているので、あと20年もすると、今見えているような風景は見られないかも。堀切を越えて郭に近づくと、何条かある畝状の竪堀もよく分かります。急峻な切岸を登ると、広瀬城の石碑が残る郭に到着です。木が切り払われているので、素晴らしい景色です。当然、マッタ〜リ時間に突入。汗が引き、先ほど見てきた案内図のデジ写真を見ながら、首をカシげます。オカシイぞ、案内図と自分の位置との関係がチグハグなのである。後で分かったのだが、石碑のあるトコロが主郭と勘違いをしていたのである。実際には、出丸跡なのだが、周りの帯郭や空堀・畝状竪堀や多段の段郭で、主郭と思い込んだのだった。で、位置関係が呑み込めずに、ウロウロする内に、広い二の郭や幅広・深い堀切、石積みで補強された土塁を見つけた。石塁フェチのHYDである、驚喜(他人が見たら狂気)したのは言うまでもない。で、ようやくに位置関係がハッキリしてきた。そして、もっと狂喜(クドイ!)するのを目の当りにする。それは、主郭の見事な何条もの畝状竪堀である。出丸のソレとは比較にならない位にハッキリと残っている。う〜ん、すごい!、絶句。地元・飛騨に、こんなにも立派な遺構が残っている城があったとは。高山市の松倉城の石垣にも驚いたが、それ以上の驚きである。主郭の先にも大きな堀切があり、それを越えると古墳跡。残念ながら、主郭・二の郭は松林で眺めがイマイチであるが、それを救うように出丸からの眺めが素晴らしい。あいにく北アルプスの眺望は得られなかったが、天気のよい日は、...。地元の城でもある、よっしゃぁ大判振る舞い、久し振りのを上げよう、広瀬城に。帰りは段郭群の中の道を戻ったが、途中で田中筑前守の墓があり、菜摘(なつみ、山菜採り)のオバチャン2人とスレ違って下山。そういやぁ子供の頃、今の時期には菜摘によく行ったナァ。アズキナ・ゼンマイ・ワラビ・ウド・タケノコなどなど。

■36°12′02.8″−137°13′14.9″、出丸の経緯度です。こちらも比高は計測忘れ。
広瀬城址、出丸跡 出丸の竪堀跡
広瀬城址、出丸跡 広瀬城址、出丸跡
広瀬城址、出丸の段郭跡 広瀬城址、出丸跡よりの眺め
広瀬城址、二の郭の土塁跡 広瀬城址、二の郭脇の堀切跡
広瀬城址、二の郭跡 広瀬城址、主郭の畝状竪堀跡
広瀬城址、主郭の畝状竪堀跡 広瀬城址、主郭跡
広瀬城址、バス停西側からの遠景 新広瀬橋よりの広瀬城址遠景
 心地よい攻城の感動の余勢を駆って、今度は鉄馬での感動をしたくなり、残っている百姓仕事のコトをスッカリ忘れて、愛馬に鞭をくれ、県道90号線(卯の花街道)を走り抜けます。メチャ空いている+適度なワインディング+白い点線+新緑の景色=超楽しい、の方程式で極上の走りを満喫です。もう、こうなりゃぁ速度違反で捕まってもクイがない。トンでもないスピードで駆け抜けると、アッという間に清見の夏厩。ここからも快適なR158を飛ばし、清見の八日町からは県道73号線と、快適な道は続きます。振り出しの古川に戻って、思い出してしまった、やり残している百姓仕事。急に現実に引き戻されるが、しょうがない。 <泊>
 4/29(火)祝日、今日は前半連休の最終日。夕方まで百姓仕事をしてから、横浜に戻るツモリであったが、予定変更。百姓仕事で腰が痛い。イキナリ出勤ではツライので、早めに横浜に戻り英気を養うコトにした。5時半に出っ発し、1時間チョチ後には松本インターである。ヤケニはぇー、っていうかスピード出し過ぎ。ここから長野道、中央道を走り、須玉インターで一旦降ります。勿の論、ETCカードの交換です。で、再度高速に乗り、相模湖インター目指して走ります。途中、2箇所で覆面パトカーの餌食になっている四輪を眺め、クワバラ・クワバラの呪文。いつも思うのだが、この光景って「仲間がライオンに喰われているソバで、のんびり草を食んでいるキリン」そのもの。とか・なんとか思いながら、甲府を過ぎ、勝沼のインター出口を過ぎたところで、イキナリ悲劇が待っていた。な・なんと、タコメータがストーンとゼロを示し、エンジン・ストール。直線コースで良かった、カーブでエンストした日にゃぁ、もっと過酷な悲劇が。愛馬をすぐに路肩に寄せ、セルを回すもエンジンは目覚めない。仏教徒なのにオー・マイゴォーッ、と叫んでもエンジンは回らない。しょうがなく、インター入り口へ進み、ここからバックでインターに戻ります。四輪では簡単にバック出来るが、二輪では難しい。いわゆる逆走になるが、走っていないので、逆歩き。とりあえず、インターから出ることにした。インターの事務所の職員にお願いし、反対車線へのゲートを開けて貰い、ETC出口を出ます。ここなら車との事故の心配はない。イロイロと原因を考えてみた。何の前触れもなく急にエンストしたので、先ずはヒューズ断を疑った。で、4個あるFUSEを見たが、どうやら全員OKのようである。うぅ〜ん、もしかして7.5AのFUSEが切れているかも。という訳で、常備しているデジタル・テスターの登場。そう、BMWのバカ技術者の電気系統の技術力不足が分かっているので、テスターが必携なのである。で、チェックするもOKである。う〜ん、残念。残りの3個のFUSEも念のためチェックしようかとフト思ったのだが、見た目は完璧にOK。なので、クタビレ損になるのもイヤだし、違う場所のアヤシイ所をチェック。プラグ周りは心配なトコロである。面倒だが時間を掛けてカウルを外し、念入りにチェックしたが問題なし。これ以外には、HYDのスキルでは目視でのチェックしかない。イロイロ各箇所を見てみるが、ヤバそうな箇所は見当たらない。ここでバンザイ、両手を挙げた、お手上げ。ディーラーにTELを入れたが、山梨県にはBMWのソレはなく、遠く八王子のK社にピックアップを依頼。鉄馬に乗り始めてから、カレコレ10年、13万Kmほど走っているが、鉄馬を「引き上げ」て貰うのは初体験。でも、都合がつかないので、午後になってから「引き上げ」に来るとの有難い・親切な対応。マンジリとソレを待つのもイヤだったので、インター事務所に愛馬のキーを預け、鉄馬を置きザリにすることにした。HYDは、歩いて近くのJR駅まで歩くことにする。うまくいけば、タクシーを拾えるかもしれない。と楽観的に考え、ブドウ畑の中を歩くこと40分、とうとうタクシーはつかまらず、JR勝沼ぶどう郷駅まで。ここから中央線で60分掛けて八王子に出て、横浜線で60分で横浜に。横須賀線で戸塚駅に着いた時には、疲労困パイ、気力ゼロ。何とか自宅に戻り、昼飯を食べて一服してから、ようやくに生気が戻って来た。夕方、ディーラーからTELがあり、「原因はFUSE断であった。見た目にはOKだったのだが、イロイロ切り分けて行ったら、FUSE断にたどり着いた。ちょっと見ただけでは分からないクラックが入っている」とのこと。そうか、面倒臭がらずに、全数のFUSEをチェックしていたら、何でもないトラブルに終わっていたんだぁ、ガックリ。それでも、修理に金と時間が掛からないのはウレピー。GWの後半にも野駆に出掛けられるではないか、とポジティブなHYD。ヲイヲイ、「引き上げ」代は高いんだヨォ、分かってないナァ、ちゃん・ちゃん。
★ ホームページのトップへ