■   鹿島城  ■
■期日 H18年2月25日(土) 【茨城県】神栖市・花ヶ崎城・石神城、鹿嶋市・鹿島城
■ルート 戸塚自宅〜R16・R134他〜久里浜港〜フェリー〜金谷港〜R127〜鋸南T
       〜P34〜鴨川C〜R128〜茂原C〜P30〜飯岡〜R126〜銚子C〜R124
        〜鹿嶋C〜R51〜佐倉IC〜東関・湾岸・首都高・横浜新道〜自宅
■コメント
  金曜は横浜は雨であったが、どうやら夜になって箱根は雪になったようで、土曜・朝イチの交通情報では各所で通行止めのようだ。悪いことに、「日曜は100%一日中の雨模様」というご託宣も出た。となると、土曜の今日しか野駆けは出来ない。しかも上野・下野方面へは雪が怖くて行けそうにもない。駿河・遠江・伊豆方面も峠を越えられない。となれば残るは近場か、と考えたのだが丁度読んでいた「津本 陽」氏の塚原卜伝の短編小説に触発され、無謀にも鹿島に行こうと相成った。鹿島神宮には何度か行っているのだが、そばの鹿島城は未攻城なのである。と、決まれば話は早い。早速フェリーの時間を調べ、今から出ても間に合いそうな便を探し出す。どうやら二番目の久里浜港7:20発なら間に合いそう。すぐさま準備を開始し、6時少し前に出っ発、R16などで一時間ちょいでフェリー乗り場に現着。いつもはギリギリ現着で、船上で朝飯と相成るのだが、今回は少し時間の余裕があったので、乗り込む前に朝飯摂取。フェリーには相変わらずゴルファの乗客が多い。鉄馬乗りは私ともう1人のオッちゃん、同行二人である。30分強で対岸の金谷港へ接岸し、車が降りた後で鉄馬に下船命令。R127を南下し、鋸南町の保田から県道34号線で鴨川を目指します。やたらと黄色い線が道に引いてあり、イライラしながらチンタラ進みます。が、昨日の雨のせいで前の車のハネがビュン・ビュン飛んで来てしまい、イキナリにプッツン。点数が満点に戻ったこともあり、黄色い線を無視したガンガン走行モードに移行。それでも結構時間を要して鴨川に。ここで缶コーヒー+シュークリームで一服し、今度はR128を進みます。茂原からは九十九里浜に沿って走る県道30号線で銚子方面へ。ここは信号も少なく、白い点線も多い結構な快適ライン。ところが、途中急に前がツカえ始めて、強く手綱を引きます。「どう考えてもオカシイ」と判断して、前の車の後ろに付いてトロトロ走行モードに。すると前方に、ネズミ捕りのレーダー係員が二人、その先に制服を着た官憲がズラッーと並んでいるではないか。大きな「フーッ」の大きなため息、良かったワイ!。それにしても千葉県は、やたらと裕福のようである。通常レーダー係は1名の筈なのに2名も居た。おまけにオイデ・オイデ係員の多さといったらないワイ。他県の倍以上もボケーッと立って居る。まぁ、こちとらぁ千葉県民税を払っていないからネ、特に下馬して文句を言う筋合いはない。と、先を急いだが銚子に入ったところで11時を回ってしまった。遅くとも10時頃には着くだろうと考えていたのだが、超大甘。考えてみたら結構距離があり、市街地も多かったのであった。銚子からはR124で快適な道で調子よく鹿嶋に向いますが、途中の神栖で寄り道。県道260号線の旧道の狭い道を走り、萩原地区に入ります。ここで浄動院という寺を探しますが、ナカナカ見つかりません。地元の人に聞いて、地区外れの県道から少し離れた北側のコンモリとした林の中の小さな寺を教えて貰います。山門前に花ヶ崎城址の木碑が斜めに立っています。この斜めの木碑を力にまかせて直立させ、先ずは記念撮影をパチリ、この後境内をウロウロ。どうやら住職が常駐する寺ではなさそう。山門脇に小さな祠があり、土塁跡のような遺構がありますが、? です。境内を取り巻くように土塁の一部が残存し、周りの堀跡がクッキリ残っています。竹薮がモノ凄くて、堀跡のデジカメ写真は × でした。
花ヶ崎城址、堀址 花ヶ崎城址、遠景
花ヶ崎城址、j浄動院山門前
  次いで更に旧道を進み石神地区に入ると、道路沿いに花光院という寺があり、入口脇に石神城址の詳細な案内板が立っています。案内板のすぐ後はクッキリ残る堀跡ですが、堀が残っているのはこの部分だけのようである。寺の後側は野球のグラウンドになっており、土塁址が周りを囲って残っています。天気も良いし気温も上がってきたので、マッターリしたくなるのだがすでに12時を大きく回っている。ノンビリ出来そうにもない、次へ行こう。
石神城址、空堀跡 石神城址、土塁跡
石神城址、案内板
  急いでR124に戻り、鹿嶋市へ目指して鞭を打ちます。市内に入ると鹿島神社(う〜ん、ややこしい、鹿嶋と鹿島)への標識があり、難なく神社前に現着。でも、ここに鉄馬は停めず、途中に標識のあった塚原卜伝像の場所に。立派な像ではあるが、バックのマンションとチョチ不釣合い。ここから周りを眺めると、それらしい雰囲気の小丘が眼の前にあります。たぶん鹿島城址だろうと思い鉄馬を走らせると、ピンポーンです。近付くと城山公園の標識が現われました。コレに沿って進むと、イキナリでっかい空堀が迎えてくれます。深さ、幅広さともスケールが大きい。中世の空堀では珍しいのではないだろうか。そのまま進むと公園になっている広い本丸跡へ。所々に土塁跡が残っています。公園の周りには桜木が植えられており、これらの木々で高台にもかかわらず、眺めはイマイチ。ちょち残念ではあるが、桜のシーズンはさぞや見ものであろう。城域はこの公園だけでなく、ズイブン離れた隣の鹿島高校の敷地が二の丸跡であることからも、ズイブンと規模壮大な城であったようだ。ここでも、もっとマッターリしたいのココロではあるが、すでに14時を回ってしまった。急いで帰らなければ。
鹿島城址、広い本丸址
鹿島城址、土塁址
鹿島城址、深くて広い空堀址
鹿島城址、立派な石碑 鹿島城址、本丸からの眺め
鹿島城址、卜伝像からの遠景
 本当は霞ヶ浦に沿って土浦に出て、そこからR6で帰るという遠大な計画であったが、やはり大甘なプランであった。とにかく時間が足りない、しょうがないR51で戻ることにしよう。で、昼飯も食べずにドンドン千葉方向に進むが、結構渋滞している所もあり、途中で今日2回目のプッツン。何と、佐倉インターから東関東道路に入ってしまったワイ。こうなりゃぁ毒・皿である、湾岸、首都高と続き、横浜に入ってからも横浜新道と自動車道を走りまくり、佐倉から1時間ちょっとで、ご帰館です。オイオイまだ17時だよ、って日がある内に着いちゃった。雨の後の走行で、ズイブン愛馬は汚れてしまった、時間がある分だけ丁寧に世話をしてあげよう。この後、熱っ〜い風呂に、長ぁ〜く入って、今度は乗り手の汗を十分に流してスタンバイOK。夕飯でクーッと流し込むビアーがウマ〜イッ〜。本日390Km(この内、自動車道が100Kmと軟弱な野駆けになってしまった)、ヨッお疲れさん
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