■   飯山城  ■
■期日 H15年8月2日(土)  【長野県】飯山市・飯山城、
     中野市・壁田城・高梨氏居館・中野陣屋、須坂市・竹ノ城
■ルート 目黒自宅〜山手・目白通〜練馬IC〜関越道〜渋川伊香保IC〜R353
      〜中之条T〜P55〜六合v〜R292〜草津・白根・志賀〜R292〜中野C
      〜R117他〜飯山C〜R117他〜中野C〜R403他〜須坂C〜R406〜菅平
      〜R144〜真田T〜P4・P79他〜軽井沢T〜R18〜安中C〜P10他〜富岡IC
       〜関越〜練馬IC〜目白・山手〜目黒自宅   総距離 520Km
■コメント
 8月に入りようやく梅雨が明けたらしい、暑いのはイヤだが、雨に降られるよりはまし。さぁ、今日も出掛けるゾ。さぁてと、今日は草津・白根・志賀道路R292を堪能しよう、ってんで朝の早い時間に目覚ましをセットし、アルコール睡眠剤で寝たのは良いが、気が付いたら、セットした時刻の30分後。オイオイ、どうなっているのねんのねん。どうもセットをミスしたらしい。急いで準備したものの、出っ発は6時近くになってしまった。こりゃぁマズイ、高速を多用しよう。何時もは、首都圏外れの花園ICで降りるのだが、今回は何と渋川ICまで(軟弱)。ここからR353で中之条まで駆け、県道55号線で六合村に出ます。この55号線は、白い点線ばかりで、気持ちよく走られ ○ の道です。でも、この先はもっと楽しい道が待っているんだ。草津を抜け、いよいよメインイベントへ。まだまだ朝早いので、サインをせがむ人は居ない筈だと、悪いササヤキもあって、いきなりアドレナリン全開モードに。霧で視界が悪かろうとお構いなく、雲上へと駒を進めます。稜線の上に出てもまだまだ霧の中。これで気落ちするのが普通の人、ハマッた中年ライダーは視界が悪くても、依然と意気軒昂。黄色い線も(無視して)何のその、遅い大型バスを蹴散らして、「あっ」という間に湯田中辺りに到着。横手辺りから、霧も晴れて、すばらしい景色を堪能しながら(ウソ、そんなものには目もくれず、ひたすら駆けたのでした)、R117で飯山市に。途中、中野市との境の辺りで「壁田城址」の標識発見。う〜ん、そんな城名って聞いていないよ、と思いながら、帰りに寄って行こうとホクソエムのでした。先ずは飯山市の「飯山城」の攻城です。市内に入ると、標識が沢山あるので難なく現着。石垣や、本丸・二の丸・三の丸と縄張りを見る限り、近世の城と思うのですが、案内板には中世の城と書いてあります。まぁ、そんなことはどうでも良いかも、アドレナリンを放出し過ぎた体では、ちょっと無感動。申し訳ないっす、飯山城。他の近世の城と同じように、本丸跡に神社があり、公園化されていて、どうにも特徴がない。それでも、30分以上佇んで、途中で見つけた壁田城へ向かいます。
飯山城址本丸跡
飯山城址、本丸の案内板前にて
 R353で見つけた壁田(へきた)地区の標識に沿っていくと、城への登山口に。鉄馬を農家の庭先に停めて、いざ登城。林道を登り続けると、ちょっとした池(籠池)が出現。どうも城の大事な水源らしい。ということは、もうすぐ本丸かしらん。ここから登山道になり、5分くらいでようやく本丸到着。ふーうっ、疲れた、麓から休みなしで20分位歩いたような気がします。涼しければ問題ないんですが、この暑さではネー。で本丸跡には、立派な神社が祀られてます。登山道も夏草が生い茂ってますが、整備されていて、地元壁田地区の皆さんの気持ちが伝わってきます。
 ありがとうございます >> 壁田地区の皆さん
こじんまりした本丸から、中野・飯山の景色が雑木の間からキレギレに見えます。もう少し展望が良ければネー。確認しづらいほど堀切は面影が無く、これから消滅するのでは、と心配になりました。
壁田城址、本丸の案内板前にて 壁田城址、本丸からの眺望
 さぁてと、次は中野市の高梨氏の居館です。正直、ここには期待してなかったのですが、探し当てて入り口から入ると、アドレナリンが無い状態でも興奮してきました。四囲の土塁・空堀も殆ど残っており、これだけでまず興奮。そして郭内に入ると、当時を偲べられるように、建築物の礎石が整備されていて、複数の建築物を頭に思い描き、また興奮。そして、なんと庭園跡が再現されていて、トドメの興奮。この居館から、山城の鴨ヶ嶽城が遠くに眺められますが、ちょっとアドレナリン不足・暑さバテで、行きたいのを堪えてパス。次には攻城するぞ、待っててネ。
高梨氏居館址、土塁と空堀 高梨氏居館址入口にて
高梨居館址、本丸の庭園跡 高梨居館址、建造物跡
居館址からの鴨ヶ嶽城遠景
高梨氏居館近くの中野陣屋を巡りますが、何も遺構なし、残念・無念。でも一応、証拠写真をパチリとして、駒を進めます。
中野陣屋址
 須坂市に入り、井上地区に幾つかの城があるってんで、須坂長野東ICのそばの長野電鉄井上駅へ。駅前には何らかの案内図があるだろうという魂胆でしたが、無にもなし、駅前には1軒の店があるのみ。この店に入り、城を聞くと親切に教えて頂きました。とにかく浄雲寺を目指して、標識に沿って行きなさい。すると途中から、城址の標識が出現するので、簡単に行ける、ということでした。早速進むと、まず「竹ノ城」の標識が有りましたので、何も考えずに、これに沿って進みます。で、途中で鉄馬を降り、標識通りに登山道を登ります。ところが、ところが、これが大変でした。登山道は整備されているのですが、体力とアドレナリンを使い果たした後で、気温も最高の時間帯、とくると30分ほどかけて、本丸に到着したときは、鍛え上げた体でもバテバテ状態に。郭や堀切位が確認できますが、他の遺構は分かりませんでした。しばらく休憩して、エネルギーが充填されてきて、本丸をウロウロすると、展望の良いテラスを発見。「おーっ、良い眺めじゃあ」、思わず男の特権、テラスの上から、善光寺平の下界を目指して...、「う〜ん、ハレバレ」。ヲイヲイ、何をするのじゃ!!
竹ノ城址、本丸跡 竹ノ城址、本丸跡からの善光寺平
 同じ道を下って井上地区に戻りましたが、井上氏居館跡など攻略したいのはヤマヤマでしたが、エネルギー枯渇。角張居館跡だけを攻略して、帰陣(のきじん)することに。
角張居館址
すでに14時を回っているのに、北信に居るということは、江戸には帰られるのかしらん、とにかく帰ろう。楽しいR406を走り、菅平から真田町に入り、ここから楽しい県道4号線等を走って、軽井沢に。ここまで来れば、江戸までは何とか帰られそう。R18で安中を経て、富岡に回り、ここから早くも高速に入り20時少し前に、自宅着。オカンムリの家族の冷たい視線に晒されながら、うまいビールを飲み干すのでした。往復の高速道が約200Km、下道が約300Kmの合計520Kmなり、「よっ、お疲れさん」
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