■   五覧田城  ■
■期日 6月21日(土)晴れ
     【群馬県】黒保根村・深沢(寒梅)城、東村・五覧田城、
             昭和村・阿岨城・森下城
■ルート 目黒自宅〜山手通〜池袋〜R294〜北町〜R17〜境T
       〜P68〜大間々T〜R122〜中禅寺湖〜R120〜沼田C
        〜R353他〜赤堀T〜R17〜北町〜R294〜池袋〜
         山手通〜目黒自宅     総距離:420Km
■コメント
 今年の6月の天気はどうしたんだ? 列島直撃の台風のオンパレードである。でも良いこともある、そう梅雨時なのに、台風一過で晴天になる可能性が高いのである。それを期待していたら、案の定と言おうか、行ないが良い所為か、木曜日に台風が通過し、土曜日は晴れのご託宣に。よーっし、出っ発じゃあ。予想最高気温が軽く30度を超えると、軽く占い師はのたまうので、今回の標的は涼しい所を狙うことにする。具体的には中禅寺湖周辺にしよう、ってんで下道で、大間々町をやり過ごし、R122沿いの黒保根村に着到。この村の、その名も「城」地区に行くと、難なく深沢城に行き着き、幸先良いスタートとなるのでした。本丸跡と周りに空堀・土塁跡が確認できます。そばの正円寺も城域らしいということでしたが、こちらの方は遺構は分らず。でも境内の墓地には歴代城主の立派な墓が幾つも並んでます。
深沢城址、本丸跡入口 深沢城址、本丸跡前の案内板
 さぁてと、次の攻略は隣の東(あずま)村の五覧田城です。群馬県には東村が3村もあって、ややこしいのですが、この村はR122沿いです。黒保根から東村に入ってすぐの国道上に五覧田城の標識があるので、これに従って行くと難なく、城址への登山道の登り口に。登り口は関守口と高橋口の2箇所ありますが、私は距離の短そうな高橋口から攻めることにしました。で、整備されて歩き易い登山道を要害山の頂上目指して進みます。今回は前日のアルコールも残っていたんで、ノンビリ登ったためか、距離1250mの案内板の道を25分弱も要して本丸へ。朝早かったのですが、結構汗をかいてしまいましたが、ここからの眺めは◎です。眼下に東村他が一望できます。富士山も眺められると言うことですが、モヤっていて、こちらはNG。連郭式の城で、幾つかの郭跡や堀切が残ってます。ここで朝飯のコンビニ・オニギリを食して、3,4分で行ける三角点のある頂上を攻略。ここも曲輪の一部で、堀切なんかもあります。再度本丸跡に戻り、しばしマッタリした後で下城。
五覧田城址、本丸跡よりの東村眺望 五覧田城址、本丸跡
R122に戻り、駒を中禅寺湖に進め、さらに金精峠へと進みます。さすがここまで来ると、メッシュジャケットでは寒い・寒い・寒い。ゆくっり走って(本当かいなぁ?)、冷えないようにして片品を経て沼田市に、ここから昭和村へ。村役場から見える左岸の河岸段丘を目指して、キツイ勾配のヘアピンカーブを幾つか曲がり、丘上へ登ります。ここから関越道を跨ぐ手前で、前橋側に曲がり、しばらく行くと、段丘の端っこに城跡が見えてきます。阿岨(あぞ)城です。廻りは畑で、遺構は曲輪の一部と土塁位しかなくて残念ですが、段丘の崖をうまく利用した城のイメージは沸いてきます。
ここは予め 柳 尚晋 氏の「日本の城大全」ホームページ 

http://www.bekkoame.ne.jp/ro/gi11927/siro/

で調べておきました。氏のたった2,3行のコメントが有るか無しかが、見つけられるか・否かの岐路になります。そうでなかったら探すのは大変でした。
阿岨城址、本丸跡の案内板前にて 阿岨城址、本丸跡の土塁
 続いて、同じ村の森下城を攻めるつもりで、ここも予め前述のページで調べてました。ここも探すのには苦労しました。行き方を説明すると、もとの県道に戻り、前橋方向に進んで、村立昭和中学校を過ぎて、しばらく行くと利根川に最も近づくカーブになりますが、これを過ぎてすぐの川側に城址があります。道の右側に小さな平屋住宅が幾つか建ってますので、これを目印にし、一番道路側の家の横を突っ切ると畑があり、その先に案内板が立ってます。探すのに苦労した割りに、これといった遺構は有りません、土塁と思われるものがあるだけです。
森下城址、本丸跡(?)の案内板
 さぁてと、次はどこを攻城しようか、とも思ったのですが、朝早かった(4:40出発)こともあり、無理をせず帰ることに。いつものように、途中からR353に入り、大胡町を経てR17に。まだ日も高いこともあり、熊谷の辺りも渋滞がなく快調に飛ばして帰路を急ぎ、18:30前には自宅到着。
          本日はALL下道で420Kmなり、お疲れさん。
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