■  村岡山城  ■
■期日 H23年8月10日(水)
        【福井県】大野市・亥山城・戌山城、
         勝山市・三室山城・西光寺城・勝山城・村岡山城・平泉寺城
■ルート   飛騨自宅〜R41〜高山C〜P73〜八日町〜R158〜大野C
          〜R157〜勝山C〜R158〜清見〜P90〜自宅
■コメント
 又しても
長げぇ〜っこと鉄馬に跨げられなかった。今度の理由は、クソ暑っ〜くて何もする気が無かっただけ。1年前にはコンなことは無かった。とにかく次の土日までの1週間が待ち遠しかった。...のだが、サンデー毎日となると話が別だから我ながらオカシイ。それでも、猛暑日になるが飛騨南部では夕立は無さそうというご託宣を信じて、朝早く起き出すのでした。例によって、朝の5時には出っ発です。少し遠回りして高山のバイパス沿いの牛丼屋でミニ丼+卵+味噌汁セットでイツモの朝食。この後県道73号線で八日町に入り、ここからヒタスラR158を進みます。この時期の飛騨の殆どの地域では、朝方に(高原ゆえの)特有の霧が発生する。霧雨に近い状態の所もあって、トンネルの中などは雨以上に地面が濡れていて滑りやすい。それでもキカン気のGGライダーはウェットにも気を遣わず3桁走行で進みます。当りの然で、アッという間に越前大野に。R476で越前大野駅の西側200mほどの所に日吉神社がある。この境内周辺が亥山城である。ただ遺構は堀跡のみ。まぁ都市の中心部ではしょうがない。
↑ 亥山城、堀址 ↑ 亥山城
  そのままR476を西へ進むと大野城の真下を通る。でも、攻城済みなので今回はパス。何か面白い遺構の話でも聞こえたら来てみたい。R476で犬山地区に入りR476沿いの白山神社を過ぎると山際に『みくら清水』の看板があり、脇に戌山城の案内板が立っている。イノシシ除けの高圧線があるので中に入りづらいが、跨いで中に入り山道を登ると、ピッタシ15分で主郭に到着です。3つの尾根にそれぞれ郭・堀切が残っている。特筆すべきは朝倉氏特有の畝状竪堀が残っているコトである。冬や春先なら、この竪堀も分かりやすいだろうが、今は盛夏である。それでもシッカリ確認できた。この他、虎口・土橋・土塁も残存している。

35°59′0.14″−136°28′22.5″、比高は105mです。
↑ 戌山城、主郭跡 ↑ 戌山城、主郭脇の畝状竪堀跡
↑ 戌山城、主郭の土塁跡 ↑ 戌山城、主郭の虎口跡
↑ 戌山城、主郭の案内板 ↑ 登り口のみくら清水
  ここからR157に進み、九頭竜川を渡る手前で県道168号線で北西へ進みます。2.5Kmほど走ると県道右側に特異な凸山が見えてくる。たぶんアレが三室山だろうと近づくと、ピンポ〜ン♪です。麓の春日神社境内に三室山城の案内と石碑が立ってます。整備された山道を歩き境内からちょうど3分で主郭です。堀切が残っています。360度の展望はきかないが、結構見晴らしは良い。笑えるのは、ココから模擬天主郭のある堂々とした勝山博物館が遠くに眺められる。

36°02′15.6″−136°29′50.5″、比高は47mでぇ〜す。
↑ 三室山城、主郭跡 ↑ 春日神社境内の石碑
↑ 主郭跡からの勝山城模擬天守閣 ↑ 三室山城、遠望
  さらに県道168号線を進み、発坂(ほっさか)地区で県道31号線に入り南に進みます。西光寺地区への標識があるので、コレに従い進むと右手の山裾に西光城址の大きな看板が眼に入ります。看板の直前に、イノシシ除けの柵があり、これを開けて中に入り、再び柵を閉じて看板の下へ。看板の裏側は城址の案内板になっている。ここから整備された山道を登ります。案内標識も多く、道を間違えるコトは無いです。...と言いたいのだが、尾根に取り付いた所に高圧線の鉄塔があり、基部に案内標識が立っていたのに、これを無視して上へ上へと登ってしまった。よくある先入観というヤツで、最高部が主郭という呪いにマタしても負けてしまった。行けども行けども、登れども登れどもソレらしい雰囲気はなし。とうとう最高部まで来てしまった。ここで鉄塔基部にあった標識の方向が、どうも反対の方に向いていたようなのを思い出した。何かの間違いだろうとタカをくくっていたのだが、どうやら間違えたのはHYD自身ではないだろうか。急いで戻り、マジマジと基部の標識を見ると、ここから少し下るが、その先が城域である、というようなコトが書かれている。あっちゃぁー、信じないモノは救われないわナァ。結局、麓から30分もかけて回り道して主郭に到着した。この日は猛暑日だったから、超グッタリしたのは言うまでもない。それでも、畝状竪堀や大きな堀切に救われた。景色はあまり良くなかったけれど。

36°03′35.6″−136°27′27.0″、比高は138mどした。
↑ 西光寺城、主郭跡 ↑ 西光寺城、主郭脇の堀切跡
↑ 西光寺城、主郭跡の案内板 ↑ 西光寺城、遠望
  エナジーを殆ど吸い取られて西光寺城を下山し、勝山市街の市役所に向かいます。コジンマリとした市役所(イマドキ珍しい)の隣が勝山市民会館で、敷地内に大きくて立派な勝山城の石碑が立っている。案内板に書かれている城域の建物群を見ると、少しくらい残しておいて欲しかったナァ、と思わずタメ息。
↑ 勝山城、天守跡の石碑 ↑ 勝山城、模擬天守閣
  市役所から見て北側に特異な山容が見える。いかにも山城という感じの御立山である。麓には村岡小学校や村岡神社があり、神社の参道入口には村岡山城の石碑と案内板が立っている。整備された幅広な道もあり、これは容易に攻城できそう。ってんで、神社脇の幅広な道を登って行きます。が、スグに背丈を超えるススキやトゲ・トゲのある木々に進路を塞がれてしまった。う〜ん、夏場には来るべきではないナァ、とボヤキながらも還暦を過ぎたバカGGライダーは老体にムチ打って無理して登って行きます。と、突つの然に、整備された登山道に合流した。この山道には所々に石仏が祀ってあり、このための道のようである。この道を進むと、15分で主郭です。最初から整備された道を進めば12分位で到着できそう。この攻城でも道を間違い、エライ目に遭ってしまったが、この城はなかなかにである。規模は小さいが、山城のイロイロなエッセンスを全て残している。しかも景色がスコブル良い。特筆すべきは、やはり畝状竪堀だろうか。虎口・土橋・堀切・空堀・櫓台などなど、規模は小さいが十分に楽しめられる、お奨めです。神社右側の幅広な道の右側の石仏群へ進む狭い道が整備された山道です。

■36°04′32.9″−136°30′29.0″、比高は計測忘れ。
↑ 村岡山城、櫓台跡の残る主郭跡 ↑ 村岡山城、主郭の虎口跡
↑ 村岡山城、主郭の土橋跡 ↑ 村岡山城、主郭脇の空堀跡
↑ 村岡山城、副郭の土塁跡 ↑ 虎口・土塁の残る副郭跡
↑ 村岡山城、畝状竪堀跡 ↑ 村岡山城、主郭からの眺め
↑ 村岡山城、主郭跡の石碑 ↑ 村岡神社脇の登り口(右の山道)
  R157に戻り、大野市方向に進むと、三室山から望まれた模擬天守閣のある勝山博物館の脇に出る。ここから平泉寺への標識があり、これに従って進むと国史跡の平泉寺旧境内で、平泉寺城の城域です。静かなタタズまいの参道や、参道から脇に入って林の中を散策すると、何とも言えない気持ちになる。寺が城で、城が寺なので、遺構は寺院跡である。
↑ 平泉寺城、白山神社参道 ↑ 平泉寺城、坊院跡
  さぁてとぉ、当初は金沢に出て富山を回って帰る予定であったが、15時を過ぎると飛騨北部に夕立のお告げがあったので、来た道を戻り飛騨北部の山の中を走らないルートに変更。同じ道を往復するのはゲイがないし、走る距離も少なくなるが、まぁズブ濡れになることを思えばいたしかたないカァ。朝方は霧でウェットな道なのに、それなりのスピードで走った。でも、ピーカン天気でドライに変わったにもかかわらず官憲が怖くてチンタラ進みます。昼飯を食いそびれたので、14時過ぎにゴク軽いモノを食べ満腹にならないようにして家路へ進みます。えぇ?何故満腹にしないってかい? それはねぇ、この時間に満腹になると、あまり腹が減らずに晩酌がまずくなるから。という普段はしない気バタラきをして、16時半にはご帰館です。夕飯までにはマダ間があるので、畑へ行って散水やら草むしりを実施。少し暗くなったトコロで家へ戻り、シャワーを浴びれば準備万端。いつもの儀式「いっただきまぁ〜す」の合図でビアー(今日は珍しく本物、何のことはない貰い物である 苦笑)をゴクゴク、ぷっーわぁ〜、うんめい。本日、オール下道320Km。それでも攻城数7とは暑い中に頑張ったネェ。早く休んで疲れを取ってね、チャンチャン
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