■  戸田城  ■
■期日 H22年12月5日(日) 【栃木県】那珂川町(旧小川町)・戸田城・片平城
■ルート  戸塚自宅〜横新・第3〜玉川IC〜環八〜大泉IC〜外環〜川口JCT
       〜東北道〜上河内スマートIC〜P63・R293〜那珂川T〜R293〜常陸太田C
        〜R394・P31〜那珂IC〜常磐〜三郷JCT〜首都高〜用賀IC〜環八
         〜玉川IC〜第3・横新〜自宅
■コメント
 厳冬期ほどではないが、確実に冬である。「
やっぱぁー寒いワイ」とか言いながら、愛馬のカバーを外し出っ発の準備を進めます。寒いけれど、道路が凍結・積雪している訳ではないから、出掛けられるのはウレシイ。来年は飛騨の山ん中に引っ越すから、11月〜3月の冬の期間は「ジィーッと冬ゴモリになるんだろうあぁ」とか何とかツブヤきながら、 横浜新道・第3京浜と飛ばし、環八を進みます。途中、駐車場のある某牛丼屋(環八沿いでは珍しい)で、ミニ丼+トン汁+卵セットの朝飯をカッ食らいます。そう、店に入って、出るまで10分ピッタンコ。ファーストフードはこうありたい。途中、危ないアウディ車と一緒に谷原交差点に。コイツ、大排気量のスポーツカーなんだが、鉄馬の実力を知らなさ過ぎる。交差点ダッシュで横からHYDの前へ入ろうとステアリングを切って来る。慌ててブレーキング。そのまま行ってたら逝ってた。すかさず、赤レベルまでムチを入れ車の前へ行き、すぐにミラーの点にしてやります、ざまぁみろぅ。大泉インターから外環に上がりますが、それにしても心臓バクバク・手ブルブルがどうにも収まらない。うぅ〜ん、あと0.5秒遅かったら絶対に危なかったナァ。後から考えれば考えるほど、馬鹿アウディに腹が立つ。と同時に危険が危なかったなぁと振り返る。それでも川口ジャンクションから東北道に入る頃にはコレも収まり、北へ北へと進みます。そう、今回は下野国那珂川町(旧小川町)の城を攻める計画である。国指定史跡の神田城の近くの城から各個撃破するツモリ。で、上河内サービスエリアのスマートETC出口から降り、県道63号線でR293に入ります。国道をチンタラ進み那珂川町に入ります。町に入り4Kmほど進むと最初のガソリンスタンドがあり、さらに500m進むと最初に右(南)折できる町道が現れる。ここを右折すると右(西)手にはまばらに民家が在る。この辺りは東戸田地区で、村社の熊野神社へ向かいます。神社の裏山が戸田城という情報で、神社脇に鉄馬を停め、長ぁ〜い階段を登って由緒ありそうな神社へ。神社裏から山側に入っていきます。ブッシュがすごい。でもスグに途切れて堀切が2条現れた。う〜ん、今日もラッキィー、スグに攻城出来そうだ。ってんでサラに進むが、どうにも??である。城域らしくないのである。こうなると堀切と思われる地形も??となってくる。アチコチとウロウロするが全くラチが明かない。周囲の地形を見て、2.5万分の一地図とニラメッコし、コンパスを何度も見ながらながら考えても、どうにもオカシイ。1時間以上も山中を彷徨したが、ツイにギブアップ。鉄馬の所に戻り、もう一回2.5万分の一地図を見る。すると神社記号である鳥居マークがもう少し北側にも1つ記してある。もしかして、ひょっとすると、に期待を掛けて、その場所まで戻ると、何と町道脇に『戸田城址入口』の標識があるではないか。クッソウ、あの得意の動体視力はドコへ行(逝)ってしまったのか。熊野神社より小さいが、この地区の神社だそうで「温泉神社」と呼ばれているらしい。隣に馬頭観音のお堂がある。馬頭観音の左側へ進む道があり、ちょっとした墓地がある。鉄馬を停められるスペース(四輪は無理)があり、ここに愛馬を留めます。墓地前の道を進んで、途中で山側に少し入ると城域です。墓地のところから3,4分でアッケなく到着。さっきの1時間以上の格闘は何だったんだろうかしらん。それでも主郭のグルリを廻る空堀跡や、副郭の周囲の空堀、土塁跡を見る内にモヤモヤも消し飛んでしまった。虎口も明瞭に残っています。クレグレも東戸田地区の温泉神社の裏山であるので、ご注意を。

■36°45′28.3″−140°06′47.2″、比高は41mです。
↑ 戸田城址、主郭跡 ↑ 戸田城址、主郭の虎口跡
↑ 主郭北側の土塁跡 ↑ 主郭南側の空堀跡
↑ 主郭南側の副郭跡 ↑ 副郭南側の2重の堀切跡
↑ 主郭の鉄碑 ↑ 町道脇の入口標識
先ほどの町道に戻り、サラに南下します。このまま進むと県道233号線となり、さらに200m進むと片平地区の常円寺です。この寺裏の山が片平城。さぁてとぉ、今度は大丈夫かしらん。で、境内に入り本堂脇に片平城の案内板があったのでヒト安心。寺裏に墓地があり、その左側に小さな貯水用か何かの池がある。この池畔の山側に『片平城址入口』の標識があるので、この山道をグングン登っていきます。山道が途切れ途切れになる辺りに来ると城址の木碑が立っていて、池から4分ほどで城域に入ります。城域は竹薮やブッシュがスゴくてウロウロ出来ない。それでも虎口のような地形や土塁、空堀跡を確認できた。冬場でも相当に難儀したので、夏場の攻城は無理だろうな、絶対に。

■36°44′29.1″−140°07′06.7″、比高は計測忘れ、すまんそ。
↑ 片平城址、主郭跡 ↑ 帯郭と切岸跡
↑ 城域入口部の鉄碑 ↑ 常円寺と城址遠望
  まだまだ攻めたい城があるのだが、ニセ戸田城で体力を使い果たし、依然として良くならない腰痛が又もブリ返して来た。こうなると遠路ハルバルという気概は無くなって来る。本格的に痛くならない内に撤退しよう。ってんで、攻城は諦めR293を道なりに進んで太平洋側に進みます。常陸大宮市からR118に入り、ひたちなか市から県道31号線で那珂インターに。ここから常磐道に入りチンタラ南下して三郷へ。今回もココから首都高に入り、例のトンネルを経て用賀インターで降り、環八を進んで玉川インターから第3京浜に。日曜で夕方前ということもありスムーズに進んで15時にはご帰館です。腰痛がサホドではなくなったので、長らく交換していなかったオイルとオイルフィルタを交換してあげ、久し振りに愛馬のお世話。ツイデにキレイキレイもしてあげ、熱っ〜い風呂に入ればスタンバイ完了。今日も第3のビアーで乾杯です。本日、450Kmと腰痛の割には走ったが、高速中心は残念でしょう。それえにしても早く良くなってね、チャンチャン
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