■  常陸・多気山城  ■
■期日 H22年11月13日(土) 【茨城県】つくば市・多気山城・北条城
                     (平沢官衙)・水守城・若森城・手子生城
■ルート  戸塚自宅〜横新・第3〜玉川IC〜環八〜大泉IC〜外環〜三郷JCT
       〜常磐〜土浦北IC〜R125〜つくばC〜R408・R294〜谷和原IC〜常磐
       〜三郷JCT〜外環〜大泉IC〜環八〜玉川IC〜第3・横新〜自宅
■コメント
 先週は飛騨の実家に帰省していたり、天気が雨模様などで、ここ3週間愛馬に跨っていない。来週も実家に帰省予定なので、今度の土日を外すと丸1ヶ月以上も跨らないコトになってしまう。〜つう訳で、腰が痛くて
腰痛なのに出掛けることに。それでも腰痛を意識して近場の、つくば市辺りをウロウロすることにした。体調が良ければ、「攻城の後で、小春日和の霞ヶ浦をチンタラ一周でもしよう」というノリである。七つ半(5時)に出っ発し、横浜新道・第三京浜と順調に進み環八へ。案の定、R20との交差点近くでイツモの工事、大渋滞である。こんなに早い時間なのにズイブンではある、何とかならないものか。ブツブツ言いながらも大泉インターから外環に入ります。三郷ジャンクションから、常磐道に入り土浦北インターを降ります。R125を進み「小田城址」への標識を過ぎて、県道138号線で北条地区に入ります。歴史を感じさせる地区で、アチコチに古刹や鎌倉道などの案内板や標識が立っている。案内板に従い宝安寺へ進み、寺裏の墓地の一画に鉄馬を停めます。宝安寺の裏の城山(じょうやま)が多気山城である。『古い町並みEQ道幅も狭い』という図式で駐車場はなさそう。こちとらぁ鉄馬なのでチョコナンとさり気なく停めちゃった。で、墓地の裏側に1.5m幅程の山道があるので登り始めます。スグに「この山林は●●寺の所有であり、立ち入りをご遠慮して下さい」というような立看板が立っている。●●寺は宝安寺ではない別の寺名である。「変だナァー?」と思いながらも、『立入り禁止』とは書かれていないので、無視して登ります。するとスグに(ホンの2、3分)堀底道が現れる。もう少し時間がかかるものと考えていたので、意外に城域は広く規模は大きいようだ。ウロウロしながら上へ上へと進みます。途中、空堀・土塁跡だけでなく、虎口や土橋跡も確認できる。しかも規模は大きい。さぁてとぉ、いよいよ主郭へという段階で、景色が一変する。立派な舗装道が造成されている。主郭と思われる一部は、何やら削平されてもいる。アレレッ、どうしたのかしらん。規模も大きく遺構も良く残っていた城址なのに、肝心の部分が壊されているとしか思えない。つくば市も妙なコトをするものである。造成するような土地は一杯有る筈なのになぁ。壊されたモノは元には戻らないんだが、などとブツブツ。
↑ 多気山城址、土塁の残る主郭跡
↑ 多気山城址、二の郭の空堀跡
↑ 多気山城址、三の郭跡 ↑ 多気山城址、主郭の虎口・土橋跡
↑ 宝安寺墓地よりの眺め ↑ 多気山城址、造成工事中
  次いで近くの北条小学校へ向かいます。小丘上に小学校が建てられているが、小学校周辺が北条城の城域である。残念ながら切岸跡のような遺構が残るのみか。それでも丘の上の小学校、筑波山など眺めは良いです。
 北条城址、切岸跡 ↑ 小学校よりの眺め、遠方は筑波山
  城址とは関係ないが、近くの大池公園脇の平沢官衙に寄ります。ここは、つくば市が住宅地として造成中にタマタマ大昔の官衙跡が発見されたものでスッタ・モンダの議論の末に、造成を取り止めて遺構保存となったイワクつきの遺構である。ここから多気山城がよく望める。なかなかに景色が良い。遺構管理センターの方に、先ほどの多気山城のコトを(大人気もなく)ブツブツ言うと、どうやらどこかの宗教法人が全山を買い占めており、何かしらの工事を進めているという話であった。工事の前に、イロイロ発掘調査をするなど、それなりの手順を踏んでるので、市としてもこれ以上の反対は出来ないらしい。
 平沢官衙と多気山城遠望
  R125に戻り北上し、今度はR408(学園東大通)を南下します。1Kmも進まない内に水守(みもり)地区です。地区にある田水山小学校に進みます。小学校の周辺が水守城の城域で玄関前に校歌の立派な石碑があり、城跡に建つ学校である旨の文言がある。校庭には櫓台跡のような地形がある。隣の幼稚園や勤労者体育センターにも同様な地形が残るが、遺構とは確認できず。それでも雰囲気はよく残っている。
水守城、田水山小学校校庭 
  さらにR408を南下し、「西大通入口」信号で左(東)折して県道53号線に入り東に向かいます。500m進んで左(北)折して県道19号線に入ります。ここには信号はない。500m程北上すると、左(西)側に「若森県庁跡」の案内板が立っている。ここが若森城の城域、土塁跡がキレイに残っている。でも・シカシ・BUT、ここは個人の敷地で「立入禁止」の立看板がデカデカと立っているのでウロウロせずに退散。
 若森城址、土塁跡  若森城址、土塁跡
 R408を再び南下し、「西平塚」信号を右(西)折して県道24号線を西に進みます。5Kmほど進むと手子生(てごまる)地区で、左(南)手にENEOSのガソリンSがある。この裏が手子生城の城域。MapFanの地図には城址の位置が記されている。地図に載っているほどなんだが、それらしい堀跡のような地形があるものの遺構はないようだ。しかし立派な石碑が芝生畑の中に立っている。農家の方が芝の出荷作業をされていて、腰痛もあってノンビリと作業を見つめてノンビリ、ウダウダ。
↑ 手子生城址、雰囲気のある地形 ↑ 手子生城址、立派な石碑
 一向に腰の痛みは引かないので霞ヶ浦は諦め、本格的に痛くならない内に早々に帰館することにした。う〜ん、それにしても痛い(っていうか、普通の人は家で安静にしているな、絶対に)。R294を経て谷和原インターから常磐道に入り、後は来た道をそのまま戻ります。環八がメチャ混んでいて、大泉インターから玉川インターまで1時間以上も要してヘトヘト、腰はチクチク痛くて最悪。ようやくに帰館できたが、そのまま愛馬の世話もせずに家の中に入るなりゴロン。そのまま夕飯まで動けず。少し痛みが引いたので軽くシャワーをしただけで、「いっただきまぁ〜す」。こういう状態でもビアー(第3のだけれど)を飲むのだからシタタかではある。本日、280Kmのミニ・ツーリングでした。早く横になって痛みを和らげてネ、おしまい。
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