■  長倉城  ■
■期日 H22年11月27日(土) 【茨城県】常陸大宮市・小場城・部垂城・
                           野口城・那賀城・長倉城
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3〜玉川IC〜環八〜大泉IC〜外環〜三郷JCT
      〜常磐〜水戸IC〜P52他〜常陸大宮C〜R123〜水戸北スマートIC
      〜常磐〜三郷JCT〜外環〜大泉IC〜環八〜玉川IC〜第3・横新〜自宅
■コメント
腰が痛くて腰痛で、その上バイク寿命を延ばすためのジョギングで脹脛(ふくらはぎ)を痛めてしまい、ココのところ最悪の体調である。でも・しかし、懲りない中年ライダーは今日も走るのでした。それにしても、あと2ヶ月で60歳の還暦である。世間的には中年と呼べる歳ではないのかもしれんナァ。そういやぁ、いつも行く格安床屋では60歳以上はシニア料金という設定があり2割ほど安くなっている。う〜ん、そろそろ無理するなってコトなんだろうかしらん。とか何とか言いながら、前回の攻城に引き続き今回も常磐道を北に向かっている。それにしても
「寒っぶぃー」、もう少し厚着にしなければ凍死してしまうな、絶対に。で、水戸インターを降り、先ずは戦の前の朝飯をガッツリ食べます。胃が1/3しかない状況では食い過ぎとも言う。県道52号線を北上し、旧城里町からは県道61号線で旧大宮町に。県道102号線を北上し小場(おば)地区に入ります。県道318号線との交差点の100m手前に小さな十字路があり、ここを左(西)折します。300mも道なりに進むと左(南)手に小場城の案内板が道路脇に立っている。案内板の後ろ側は空堀と土塁跡である。イキナリ迷わずに攻城出来た、こりゃあ幸先が良いワイ。案内板には縄張り図もあり、シゲシゲ読んでから、ウロウロ開始。台地上の平城で、耕地化により大部分の遺構が喪失しているが、堀跡はかなり残っている。
↑ 小場城址、主郭跡 ↑ 小場城址、主郭脇の空堀と土塁跡
↑ 小場城址、主郭と副郭間の空堀跡 ↑ 小場城址、案内板
 次いで旧大宮町の中心部の大宮小学校に向かいます。R293に近いので、ココの場所もすぐに分かった。校門前に鉄馬を停めると、スグそばに部垂(へたれ)城の案内板が立っている。脇には佐竹(部垂)義元の墓碑があり、碑文の解説板も立っている。でも、肝心の遺構は学校の敷地化で消失している。それにしても、へたれとは。
↑ 部垂城址、大宮小学校 ↑ 部垂城址、校門脇の案内板
 R293に入り、県道102、21号線と走って那珂川大橋のタモトまで。ココでR123と交差するが、右(北)折して県道12号線を北上します。200mも進むと最初に右(東)折出来る狭い道があるのでコレを道なりに進みます。300m程で左(北)手に野口城への標識が立っている。砂利の農道なので、標識の近くに鉄馬を停め、砂利道を登ると、道の脇に野口城の案内板と木碑がある。さらに山側に登って行くと、小規模にシイタケ栽培が行われており、土塁跡や二重の空堀跡が残っています。シイタケの原木は何回か収穫すると、養分がなくなり栽培に適さなくなるので廃棄する。でも、この廃木にも旨そうなシイタケが数本生えていて、思わず舌なめずり。栽培農家の方が近くに居られたので失敬はせず。う〜ん、残念(コラコラ!)。
↑ 野口城址、主郭と東側の土塁跡 ↑ 野口城址、主郭北側の空堀跡
↑ 案内板と対岸の御前山城遠望 ↑ 野口城址、道路脇の標識
県道12号線をサラに進み那賀(なか)地区に入ります。県道脇に鹿島神社があるが、この100mほど手前に左(南)手の台地上へ登る道があり、県道脇に那賀城の木碑が立っている。城域は登ったところにある台地上であるが、耕地化で遺構は確認できない。
↑ 那賀城址、主郭跡 ↑ 那賀城址、道路脇の木碑
県道12号線からR293、県道39号線と走り、県道164号線を南下しR123方向に進みます。長倉地区に入ると、県道脇に「蒼泉寺」への標識と共に長倉城址への標識が立っている。コレは簡単に攻城出来そうじゃワイ。ってんで蒼泉寺の駐車場に鉄馬を停め、寺の裏山で登るべく山道を探します。ウロウロしたが道は無さそう。しょうがなく、寺の裏側の谷を経て山側に取り付きます。もう晩秋というか、初冬ではあるがトゲとげのあるブッシュが凄まじく進むのが大変。それでも、10分ほど格闘すると空堀跡のような遺構が現れた。どうやら城域に入ったようである。でも・しかし、山頂部まではズイブンと距離がある。コレは諦めた方が良かんべさぁ、と思い始めたた頃、イキナリ1.5mほどの幅広な山道が現れた。「何ぁ〜んだ、やっぱり有るじゃん」とニコニコして山道を進むが、その内に下り坂になってしまった。元の所に帰ろうと戻ったが、途中に山側へ進めそうな道がカロうじてあった。この道、例のトゲとげのあるブッシュ道で、夏場では絶対に無理そう。消え入りそうな道を何とか進み、あと一歩で頂上部という所で直登です。どうやら切岸である。土塁がトコロどころに残るダダっ広ーい主郭である。郭内はブッシュ状の部分や疎林部分など、ウロウロすることが難しい。それでも土塁跡や竪堀跡が確認できた。帰りは山道を下って来たが、蒼泉寺近くに城址の案内板・木碑があった。寺に入るとスグに駐車場があるが、実はその手前に道路に沿った右方向に進む幅広な未舗装道がある。途中から山道になるが、この道が登り道とは分かりづらい。寺の入口脇なので、うっかり見過ごしてしまうので要注意。
↑ 長倉城址、主郭跡 ↑ 長倉城址、主郭の土塁跡
↑ 長倉城址、主郭からの眺め ↑ 案内板と後方は城址遠望
↑ 長倉城址、県道脇の標識 ↑ 長倉城址、麓の蒼泉寺
  さぁてとぉ、腰の痛みは相変わらずで、調子がよければ太平洋側のR51でも走ろうかという当初の気持ちは失せてしまった。こうなると早くトンズラするに限る。何たってぇ、千葉・東京・横浜の大都市を3つも横断しなければ帰れないのだから。つぅー訳で、R123をヒタ走り、水戸北スマート(ETCのみ)インターから常磐道に上がります。時間が早いからまだ渋滞していない。快調に進んで、三郷ジャンクションに。イツモはケチって外環+環八というルートを取るのだが、ますます腰痛が...という訳で、ココから首都高速に入った。首都高速の都内と神奈川の2つを走ると財布に穴が開くので、用賀インターで降りることした。このため、「東名」への標識に従って走ります。途中、工事中のスカイツリーを拝み、ズイブンと遠回りして長〜いトンネルの中に。その内にこのトンネル、上へ上へと螺旋状に上がっていく。そうかぁ、これが山手通りの下に造っていた例のトンネルなんだなぁ。横浜に住む前に目黒に住んでいたので、ヤタラと感慨深い。で、トンネルを出ると見慣れた光景となる。サラに進んで用賀インターを降り、環八で玉川インターです。いくら環八が混んでいるといっても、用賀から玉川まで目と鼻の先、ストレス感じずに玉川インターに。この後順調に走って、15時にはご帰館です。早く帰ることが出来たのだが、腰がぁ...。しょうがなく、愛馬の世話もせずに畳みの上でゴロン、そのままフリーズ。3時間程して起き上がり、熱っーい風呂に入って汗を流します。ポタポタと汗を流すとスタンバイ完了。さぁ、今夜も「いっただきまぁ〜す」でスタートです。イツモと違うのは、第3のビアーではなく、お湯割の麦焼酎。そう、11月も下旬ともなれば、そうそうビアーという訳にはいかないのである。本日、もう4Km走れば丁度400Kmとなるトコロだった、惜しい(って、何が?)。早く腰痛を直してね、チャンチャン
★ ホームページのトップへ