■  茂沢城  ■
■期日 H22年10月11日(月・祝)
  【長野県】上田市(旧丸子町)依田屋敷・古城館・中城館・茂沢城・赤畑館・三日城
■ルート  戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央道〜諏訪南IC
       〜P17・R152他〜白樺湖〜ビーナスライン〜和田峠〜P460・R142・R152
       〜丸子T〜R152・P17他〜諏訪南IC〜中央道〜相模湖IC〜R412
       〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
  そろそろ今年最後のビーナスでも、という季節になって来た。11月に入ると凍結・積雪が怖くなるので、その前に攻めようという訳である。で、久し振りに丸子町の攻城でもしよう。3連休の前半の土日は
の天気であったが、祝日の11日は晴れのご託宣であるので、日曜は早寝の良い子。当たりの然で、朝は早い内から起き出しイソイソと準備を始め、七つ半(5時)丁度に出っ発です。長後街道、R412と走り相模湖インターから中央道です。6時チョチ過ぎという時間なのに、ヤケに車・バイクが多い。ふ〜ん、HYDと同じ発想で、土日が雨だったので今日の祝日に集中したのかしらん。これだけ多いと、帰りは渋滞するナァ、絶対に。しょうがない、今日は早く帰るとしよう。で、中央道を我慢にガマンを重ねて100〜120Kmのエコ・モードで走行し、諏訪南インターを降ります。ここから県道17号線等でR152に入り、白樺湖の湖畔に。ココからは雲上の至高の時間です。秋晴れで空気が澄み切っているので、遠くの嶺や下界もクッキリ。前を走る車やバイクも景色を堪能しながら走っているのか、チンタラ走っている。こちとらぁ、3速でぬわわ〜ぬふわをキープしながらのワインディングが超楽しくて、勿体なくて休まずに一気に和田峠です。ココから一般道に降りて(をいをい、ビーナスラインも一般道だってばぁ)、R142・R152で丸子町に入ります。R152の「下丸子」信号で県道81号線に入り500mも進むと右側にセブン・イレブンのコンビニがあり、50mほど先の道を右(東)折して道なりに300m進みます。この辺りは高台の農地で、左側の畑地の中にポツンと1本の松が立っている。この周辺が依田屋敷の館域です。土塁か櫓台跡と思われる遺構が残り、小さな石の祠が祀ってある。これ以外の遺構はないが、周りの景色は絶景です。

36°20′21.0″−138°16′59.9″、です。
↑ 依田屋敷址 ↑ 櫓台or土塁跡
↑ 依田屋敷址からの眺め ↑ 依田屋敷址からの眺め
  県道81号線に戻り、上田市街方向にサラに進みます。長瀬地区に入ると、割と大きな「上長瀬南」信号(最初は、ココを左折して大失敗)の先に、「上長瀬」信号がある。この信号を左(西)折して400m進んだ右側の切岸状の地形の上部の畑地が古城館の館域です。案内板と石の祠があり、脇に空堀跡が僅かに残っている。

■36°20′44.6″−138°17′02.7″、です。
↑ 古城館址、主郭跡 ↑ 古城館址、主郭の空堀跡
↑ 古城館よりの眺め、依田城遠望 ↑ 古城館址、案内板
 R152に戻り、上田方向に馬首を向けて走るとスグに「長瀬」信号です。この信号を左(西)折して依田川に架かる依田橋を渡ると、スグ左手に丸子北小学校です。この小学校の西側の河岸段丘の上部が中城館の館域です。大きな堀跡、土塁跡が残っています。

■36°20′59.1″−138°16′25.9″、です。
↑ 中城館址と依田城遠望 ↑ 中城館址の案内板
↑ 中城館址、幅広な堀跡 ↑ 中城館址、河岸段丘上よりの眺め
  北丸子小学校前の道を少し進むと、『信州国際音楽村』への案内標識が数多く立っている。この標識に従い国際音楽村へ進みます。この音楽村の入口辺りから南東方向200m先に小さな溜池が見える。入口の2つ手前の交差点を右に進むと、この明賀池に着く。この池の南側の小丘が茂沢城の城域。道はないが、ブッシュが少なく比高も低いので、どこからでも登れそう。HYDは東側から登り、帰りは明賀池側へ降りた。頂上部に石+枯木の祠が祀ってあり、土塁、虎口、3重の堀切、多段の段郭が残存している。雑木で頂上部からの眺めは×です。

■36°21′34.3″−138°16′49.8″、です。
↑ 茂沢城址、主郭跡 ↑ 茂沢城址、主郭の虎口跡
↑ 茂沢城址、主郭跡の祠 ↑ 主郭西側の池側への竪堀跡
← 明賀池と茂沢城址の遠望
 国際音楽村の300m西側が尾野山地区である。この山の頂上部は尾野山城で攻城済みであるが、この麓に赤畑館があり未攻城であった。モノはツイデで、尾野山地区に入り、「愛宕山展望台入口」標識から狭い急坂を登り200m進んで尾野山地区の小さな集落に入り、さらに100mも進みます。すると民家の間に山側に抜ける狭い道があるので、ここを左(西)折して坂道を進みます。峠になる手前の左側の畑地が赤畑館です。小さな神社が祀ってあり、櫓台跡と思われる遺構が残っています。ここからの眺めは素晴らしいです。

■36°21′42.0″−138°16′16.7″、です。
↑ 赤畑館址、主郭跡と尾野山城遠望 ↑ 赤畑館址、主郭脇の櫓台跡
↑ 集落からの赤畑館址への登り口(左)
↑ 赤畑館址、主郭跡の神社・祠
 この辺りには溜池が多い。どの地図を見ても、上の池、下の池が表示されている。この内、上の池の東側200m先に名前の無い小さな溜池がある。この池畔に進み、池の北東側の堤の上に鉄馬を停めます。HYDより先に軽四輪が停まっていた。「何で、こんな所に?」と思ってはみたが、自分もその同類項、思わず苦笑い。で、ココからドコを攻めようかと言うと、三日城である。2.5万分の一地図で場所は確認していたが、千曲川から道の無い急坂を登るのもイヤだったので、裏側から攻められないかと考えたのである。よくよく見ると、堤の下側に山道があるようである。もしかして・ひょっとしてを期待し、堤下に降ります。すると、この山道、幅2mほどと、かなり広い。コレだけの山道なのに、どういう訳か2.5万分一地図には記されていない。この道を突き進むとスグに竹林となり、これがしばらく続く。3分ほども歩くと、根小屋らしき雰囲気の場所となり、竹林が途切れる。この切れた辺りの右(北)方向に、尾根筋に登れそうな道が現れるので、これを進むと20mほどで堀切が出現する。「ラッキー!」と叫びながら進むと、土塁が僅かに残る狭い主郭である。堤下から僅かに4分で到着したことになる。下方から千曲川のセセラギ音が聞こえてくるが、眺めは雑木でNG。堀切以外には遺構は無さそう。さっきの堤の所まで戻り、景色が良くて誰も居ないことを良いコトに、立って雉を撃っていると、イキナリ地元の人が現れた。う〜ん、まずい、拙なポコチンを出しているというのに。「どうも、すいません」などと、訳の分からない挨拶をしてしまった。この地元の人、「こんなに一本シメジが採れた」と山の幸を満載にした大きなビニール袋を3つも見せつけてくれる。いろいろ雑談の後、彼にこの池の名前を尋ねたら『新池』というそうな。いくらかでもオスソ分けを貰えるかもと期待したが、こちらは×。でも思惑よりも簡単に攻城出来たので、ルンルンで丸子に戻ります。

■36°22′17.4″−138°16′11.9″、です。
↑ 三日城址、主郭と僅かに残る土塁跡 ↑ 三日城址、主郭からの眺め
↑ 主郭脇の堀切跡 ↑ 主郭脇の堀切に続く竪堀跡
  さぁてとぉ、これからビーナスかR299でも走ろうかと思っていたのだが、遅くなると高速の渋滞が...。で、真っ直ぐ帰ることにした。R152をヒタ走り、白樺湖に出て、さらに県道17号線等で諏訪南インターへ。ここから中央道に入り、危ないスピードのノン・エコ走法。快調に飛ばすが、甲府を過ぎた辺りで「笹子トンネル3Km渋滞」の赤い表示ゲェーッ、ここが渋滞しているんじゃ、小仏トンネル辺りはトンでなもない大渋滞に違いない、まだ14時だというのに。それでもトンネル手前の渋滞はスリ抜けでスピーディに通過できた。さらに走っていると、今度は「中野トンネル〜小仏トンネル20Km渋滞」の表示が...、やっぱり、ガックリ。談合坂サービスエリア手前で巨大駐車場に成り果てた道をスリ抜けで進むが、一向に渋滞の先頭に出ない。そりゃそうだ、20Km渋滞って言やぁ、相模湖インターよりずぅーっと先までである。気の遠くなるほどスリ抜けを繰り返し、ようやくに相模湖インターを出ます。この先の20号線、R412も渋滞していて、ヘトヘトになって厚木に。ここから長後街道も混んでいて、疲労困憊でご帰館です。まだまだ明るかったが、愛馬の世話をする元気が喪失してしまい、いきなりバタン・キュウ。しばらく経ってからシャワーを浴び、食卓に着いて「いっただきまぁ〜すぅ」の声も元気なく、でも美味いビアーを咽喉に流して夜も更けるのでした。本日、丁度500Km走行も下道は200Km弱。その割に渋滞でメチャ疲れたワイ、ユックリ休んでね、ちゃんちゃん
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