■  野田城  ■
■期日 H22年7月18日(日) 【愛知県】新城市・野田城・織田信長旗本地
                    織田信長極楽寺本陣・北畠信雄本陣
                    織田信忠本陣・岡崎信康本陣・信長茶臼山本陣
                    徳川家康本陣・徳川家康物見塚・天王山陣所
                    武田勝頼戦地本陣・武田勝頼医王寺本陣
                    武田勝頼医王寺山陣所・天神山陣所
                    大通寺山陣所・鳶ヶ巣山陣所
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木IC〜東名〜豊川IC〜R151〜新城C
        〜R151〜豊川IC〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
  う〜ん、メチャ長かった。ん、何がかって? 決まってらぁなぁ、梅雨である。例年だと梅雨の中休みがあって、梅雨時でも1度ならず2度3度と出掛けられるのだが、今年の梅雨はソレを許してくれなかった。1ヶ月以上もご無沙汰でヨウヤクに晴れそう。というか梅雨明けである。でも・デモ・しかし、今度は腰痛である。激痛ではないが、ここ一ヶ月程前から同じ姿勢で居ると
腰がズキズキ痛いのである。しかも、相方の体調も悪く、ソバに居てあげなくてはいけない状況。でも、そういう逆境でも出掛ける勇者普通はバカという)がソコに居た。さすがに腰痛で山城を攻めるのは難しいだろうと判断し、平城を攻めることに。それと山沿いでは雷雨があるとのご託宣が出ているので、唐突に三河を攻めることにした。相方の体調を無視し、早寝早起きの良い子。七つチョチ過ぎには出っ発です。長後街道を走り、厚木インターから東名高速に。最近はエコに目覚め、高速でも100Km/H程でチンタラ走るのが常であるが、溜りに溜まった欲求不満が猛爆、危ない速度で巡航です。腰の腰痛が痛いが、オヒさのツーリング、ルンルンで快走。But・でも・しかし、足柄を越えてから、ポツポツ来たぁー。げぇーっ、降水確率は10%と言うたではないか。しかも進む方向のハルカ先まで黒雲ではないか。高速バスのバス亭でカッパを着込んでいる同じ鉄馬乗りも何人も居る。う〜ん、着込もうか/ガマンしようか、どうしよう? と悩んでいる内に、いつしか止んで来た、うれしや。途中、1回だけトイレ休憩し豊川インターを降ります。ここからR151を北上し、新城市に入って「川田」からは旧道の国道を走ります。最初の信号が「豊島」で、ここを右(東南)折して200mも走ると野田城です。案内板をフムフム読みますが、金堀人足が水脈を断ったという有名な穴は見つからず。それでも土塁、空堀、土橋、郭跡が確認できる。何よりスンナリ見つかったのがうれしい。
↑ 野田城址、主郭跡 ↑ 野田城址、空堀跡
↑ 主郭の立派な石碑 ↑ 入口の案内板
 次いで、R151のバイパスに戻り、飯田方向に進みます。「上平井」信号を過ぎ、2つ目の十字路を左(北)折して進むと前方200mの所に平井神社のある森が見えます。神社周辺が織田信長旗本陣地です。階段脇に小さな石碑が立ってます。
↑ 織田信長旗本陣地 ↑ 織田信長旗本陣地
 平井神社のさらに北50m地点の丘陵が極楽寺跡で、織田信長極楽寺本陣跡です。携帯用の鉄塔が建っています。ここにも石碑があります(というか、殆どの設楽ヶ原の史跡に立ってます)。
↑ 織田信長極楽寺本陣 ↑ 織田信長極楽寺本陣
 極楽寺跡から北東400mの小丘に建物が見えます。用水路に沿って建物まで進むと、「サマリヤの丘」ホームで、北畠信雄本陣跡です。南側は新城東高校の敷地です。この高校を目印にすればOKです。
↑ 北畠信雄本陣 ↑ 北畠信雄本陣
 さらに東200m地点の森が野辺神社で、周辺が織田信忠本陣跡です。
↑ 織田信忠本陣 ↑ 織田信忠本陣
 野辺神社から400m東に小丘があり、松尾神社が祀られています。この周辺が岡崎信康本陣跡です。
↑ 岡崎信康本陣 ↑ 岡崎信康本陣
 信康本陣から真北400m地点の小山が茶臼山です。山頂部に山住稲荷神社が祀ってあり、織田信長茶臼山本陣跡です。狭い山道ですが山頂近くまで四輪でも行けます。削平地が沢山あるが、郭跡かどうかは分からず。残念ながら、雑木でココからの連吾川周辺の見通しは悪い。
↑ 織田信長茶臼山本陣 ↑ 織田信長茶臼山本陣
← 織田信長茶臼山本陣
 R151バイパスに戻り、東に進みます。連吾川の手前に小さな大宮川があり、大宮橋を渡って100mの所の十字路を左(北)折するとスグに東郷中学校で、西川の小丘裾に八剣神社があり、入口に徳川家康本陣の案内板・石碑がある。神社裏の小丘を登ると、ディスク・ゴルフ場になっており、立派な徳川家康本陣の石碑が立っている。
↑ 徳川家康本陣 ↑ 徳川家康本陣
↑ 徳川家康本陣 ↑ 徳川家康本陣
 東郷中学校に戻り、東側の山裾に徳川家康物見塚の石碑や設楽ヶ原合戦場の石碑がある。ココからは連吾川がよく望め、川を隔てた武田軍の陣地がズゥーッと見渡せる。
↑ 徳川家康物見塚 ↑ 家康物見塚よりの連吾川
物見塚脇の石碑 
 先ほど見た連吾川に進むと、竹広激戦場の石碑と案内板がある。
 竹広激戦地の石碑
設楽原の戦の案内板 
 小丘台地上の竹広地区に進むと、戦死者の供養した信玄塚があり、武田諸将の墓(碑)がアチコチに点在している。地区の中ほどに、設楽ヶ原歴史資料館があり、北50mの所に東郷中保育園がある。保育園の北側の駐車場に進むと、石碑がアチコチ立っており、天王山陣地の石碑もある。ここからは、連吾川は望めない。
 天王山陣地  天王山陣地
 R151バイパスに戻り、さらに東に進むと「清井田」信号です。この信号を過ぎて50m北東側に進むと、右(東)折できる狭い道があります。ここを入って、100m進むとコジンマリとした永観寺です。ここを左(北)折してミカン畑の中を進み山裾に。丁度、地元の皆さんが下草が刈っておられており、武田勝頼戦地本陣の案内板・石碑が立っているのがよく分かります。
↑ 武田勝頼本陣地 ↑ 武田勝頼本陣地
 R151をさらに進みます。その名も「長篠城址」信号を左(北)折して、500mも進むと医王寺への標識があるので、医王寺に向かいます。瀟洒な境内周辺が医王寺本陣跡です。本堂の左横に立派な石碑が立ってます。例の小さな石碑は無いかと思っていましたが、ウロウロしている内に本堂裏にありました。
↑ 武田勝頼医王寺本陣 ↑ 武田勝頼医王寺本陣
 境内の中にある池ホトリに付近の案内板が立ってます。どうやら寺の裏山が医王寺山陣所である。案内板の通りに進み、5分ほど(すいません、時間は測定してません)で、頂上部の主郭部に到着です。ココには模擬櫓が建ってます。長篠方向の眺めが良いです。主郭の東と西にソレゾレ郭跡があり、空堀跡も一部残ってます。
↑ 医王寺山陣所 ↑ 医王寺山陣所
 今度は医王寺の左側の小山を登ります。寺の西側を進むと陣地への案内標識があり、5分ほどで天神山陣所で案内板が立っている。現在は神社が祀ってあります。
↑ 天神山陣所 ↑ 天神山陣所
 「長篠城址」信号に戻り、信号の北側に隣接する大通寺へ。寺の駐車場に愛馬を停め、境内に。寺の右脇に武田諸将訣盃之跡の石碑があり、諸将が別れの水サカズキを交わした泉(この逸話は歴史小説によく書かれている)がある。さらに上へ進むと、大通寺山陣地で、案内板が立っている。
↑ 大通寺山陣地 ↑ 大通寺山陣地
 大通寺から見ると、宇連川の対岸の山懐を見ると、ヘンポンと幟が幾筋か流れている。たぶんアソコが鳶ヶ巣山陣地に関係する場所だろうと、対岸に進み幟の下へ。すると、鳶ヶ巣山への標識があり、「車で登れます、2分」と書かれている。急坂で狭い道を進み、頂上部付近で鉄馬を停め、標識に従って少し下ると鳶ヶ巣山陣地です。
↑ 鳶ヶ巣山陣地 ↑ 鳶ヶ巣山陣地
↑ 陣地より少し下った場所からの眺め ↑ 鳶ヶ巣山陣地
  ここでグゥーッと腹が鳴って来た。時計を見るともう14時を回っている。朝にオニギリを1個だけカッ食らっただけなので、もうエナジー切れ。コンビニ・オニギリを食べ、水分補給をタップリしたところで、もう時間切れ、ここらで帰ろう。混雑しているR151を豊川方向に戻り、豊川インターから東名に。割と順調に進んだが、沼津あたりで「中井〜横浜町田20Km渋滞」の赤い標識が目に入った。あちゃぁー、梅雨明けの3連休だもんなぁ、しょうがねぇーなぁ。進むにつれ、渋滞距離は延び30Kmに。途中、カンペキに夕飯に間に合わないので、相方にケータイで詫びの一報。中井からは完全に駐車場と化している道をスリ抜け、ヘトヘト状態で厚木インターを降ります。もう19時半を回っている。この時間なら長後街道はサホドの渋滞路ではない。20時を少し回ったところで、ご帰館です。シャワーも浴びず、愛馬のキレイ・キレイもせず、食卓に着きます。う〜ん、無事に帰れたワイ、しかもダマシだましして、腰痛は何とか我慢できた。先ずは自身のために乾杯しよう。「かんぺぇー」、うっーぅ、うんめい。本日530Kmと走ったが、殆ど高速利用、しょうがない腰痛だからネ(って、腰痛だったら普通は走らねぇヨ)、チャンチャン
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