■  寺山城  ■
■期日 H22年4月18日(日) 【福島県】矢祭町・横館城、塙町・天神山城、
                        棚倉市町・寺山城
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3〜玉川IC〜環八〜大泉IC〜外環〜三郷JCT
       〜常磐〜那珂IC〜R349〜棚倉T〜P60〜那須T〜R294〜益子T
       〜P41〜桜川筑西IC〜北関東〜都賀JCT〜東北〜川口JCT
       〜外環〜大泉IC〜環八〜玉川IC〜第3・横新〜自宅
■コメント
 昨日(4/17)は雪が降り、東京都心でも積雪があった。4月中旬での都心の積雪は41年振りというコトで、えらく喧伝された。そういやぁ、HYDが田舎から東京に出てきた年も、4月に入ってから雪が降ったっけ...。う〜ん?、計算すると何のことはない、その41年前のアノ時のがソレじゃん。そうかぁ、もう41年も経ったのかぁ、とか・何とか言いながら、鉄馬にムチを振って常磐道を北に向かう。降雪の後だったが、ハマった中年ライダーはサホド気にせず(
ウソ、気象庁の気温分布図など熱心に情報収集して、ようやくGOサイン)、那珂インターで降りるのでした。ここからR394を北上です。この道は何度か走っているが、南側から北へ向かうのは初めての筈。朝早いと凍結が心配なのでノンビリ走ります(これもウソ、走りはイツモと同じで休憩時間を長くした)。茨城から福島に入る峠付近では、道の端に雪がアチコチに残っていたが、道の真ん中は無問題。矢祭町に入ると、山は薄く白化粧しており、しかも桜が満開という、妙な風景である。矢祭の市街からはR118を進み、矢祭役場の先の信号脇に「ふるさとランド」への標識があるので、ここを右(東)折して「ふるさとランド」に向かいます。公園の中心部に宿泊施設や特別老人ホーム(?)の建物があり、横館城の主郭跡である。公園化等で主郭の遺構は消失しているが、展望塔の脇には幾つかの郭・土塁・空堀・2重の竪堀跡が残っている。また主郭の先の山頂部には詰城があり、堀切や土塁、物見櫓跡が残存している。
↑ 横館城址、主郭跡 ↑ 展望塔脇の腰郭跡
↑ 展望塔脇の横堀跡 ↑ 展望塔脇の土塁跡
↑ 横館城址、主郭脇の堀切跡 ↑ 横館城址、詰城の主郭跡
↑ 横館城址、詰城の堀切跡 ↑ 横館城址、主郭よりの眺め
  R118をなおも北上して塙町へ入ります。市内に入る前に「道の駅はなわ」があり、ココから見える大きな山容の頂上部が羽黒山城である。ここへの道順は、道の駅からR118を少し北上し、川上川を渡った所の信号を右(東)折して県道27号線に入ります。500mちょっと走ったトコロで、県道242号線に入り300mで塙中学校です。中学を過ぎて50mも走ると左側に進む道がある。コレを50mも進むと羽黒山林道の標識があり、「羽黒山館城跡入口」の標識も立っている。この簡易舗装の林道を進むが、積雪で最後の民家の竹薮部分の積雪が多く、バイクでの通行がカンペキに×。しょうがなく、愛馬を停めてココから歩きます。10分で羽黒神社への分岐点で、ココから砂利道です。雪が残っていて歩き難いが6分で出羽神社に到着です。夏場なら普通車でも神社ソバまで楽勝に到着出来る筈です。でも城域はというと、夏場はブッシュでウロウロ出来ないかも。積雪で下草が埋まっており、割と歩きやすい(ビショ・ビショに濡れてしまったが)。その上、雪の上に足跡がシッカリ残るので、どんなにアチコチ動き回っても確実に元の場所に戻ることができる。積雪の奇禍を福として、嬉々として歩き回るアホHYD。で、幾つかの堀切や土塁跡が確認できた。また主郭下の腰郭に枡形虎口跡が2箇所、神社への分岐点近くで大型の枡形が1箇所あった。主郭直下の2つの郭はそれぞれ雑木を伐採してあり、ここからの眺めは非常に良い。石で製作された椅子・テーブルが設置されており、コレに座ってシバシまった〜り
↑ 羽黒山城址、主郭跡 ↑ 羽黒山城址、主郭脇の堀切跡
↑ 主郭脇の郭の枡形跡 ↑ 羽黒山城址、主郭脇の郭跡
↑ 主郭下の多段の郭の土塁跡 ↑ 多段の郭の大きな枡形跡
↑ 主郭下の多段の郭跡の一つ ↑ 羽黒山城址、出羽神社下
↑ 主郭脇の郭跡よりの眺め ↑ 林道入口と羽黒山城址遠望
 さらにR118で棚倉町へ。市内に入る前にR289と交差するが、ここを右(東)折してR289を東に進みます。500mも走ると久慈川に架かる橋です。これを渡って200mも進むと山の端で、左(北)折できる道がある。この道を300mも走ると山側に砕石場のような所があり、脇に山側に入る砂利道がある。この道は久慈川支流の九沢川に沿っており、道なりに登って行きます。途中で3分岐する場所となるが、左手の山中へ入るように左の道を進むと、九沢橋です。これを渡ると、大きな水田が何枚もある場所に到着です。隠し田のような雰囲気がプンプン。HYDは積雪と泥濘のため、3分岐点からは歩いて進みました。水田が途切れるまで登っていくと、左(西)手に鋭角に山側に入る山道が現れる。この緩やかな道を進みます。途中からドンドン下っていくようになったので、ココから尾根上へ直登です。するとヤセ尾根に辿り着き、ココから上へ登るとイキナリ土塁の残る広い郭です。小さな石の祠も祀ってある。虎口がシッカリ残っていて、この先の寺山城の主郭が楽しみに。幾つかの郭を経て広い主郭です。ここには石の祠が3つ祀ってあり、ここへ参るための道もあるようだ。ここにも積雪があるので、思いっきりウロウロしても道に迷わない。とにかくアチコチ徘徊します。主郭の枡形虎口はよく遺構が残っていて驚きです。東側の尾根上にも郭が展開されており、2重の横堀や高い土塁跡が幾つも残存。北側の尾根上にも城域は展開されており、枡形や2重の竪堀跡が確認できる。積雪+早春で歩きやすかったが、夏場はキツイだろうナァ。主郭よりの眺めは期待していたのだが、残念ながらイマイチです。これが良かったら、久し振りのの山城だったんだが...。
↑ 寺山城址、主郭跡 ↑ 寺山城址、主郭の枡形跡
↑ 南側副郭の枡形跡 ↑ 主郭脇の2重竪堀跡
↑ 西側副郭の2重竪堀跡 ↑ 主郭東側の副郭跡
↑ 西側副郭の枡形跡 ↑ 東側副郭の2重横堀跡の一つ
↑ 東側副郭の2重横堀跡
↑ 南側副郭の土塁跡 ↑ 寺山城址、主郭跡
 さぁてとぉ、羽黒山城と寺山城の2つで徘徊し過ぎてしまい、もうスデに13時を回っている。当初の計画では白河の南湖周辺の美味い手打ちラーメン屋で昼飯を、と考えていたんだが、惜しいコトにモウ時間切れ。しょうがねぇ、トットと帰ろう。ってんで、棚倉から県道60号線でショートカットして、下野国に出ることにした。この道は快適なワインディングで、また来たい道だナァーと思いながらムチを振ります。ところが峠に近付くにつれ、路傍の雪がダンダン多くなってきた。幸いにも道の真ん中は凍結してなくてジャリジャリの雪なので、無理+ガマンして進みます。でも雪解けの道なので、汚いハネが多くてモウ大変。この泥ハネがメチャ気になるが、峠付近からは毒サラ状態に陥り、そのまま強行突破。那須町の伊王野に入ると、道路は完璧にドライに。周りの景色も一変、サッキまでの雪景色はドコへ行ったのかしらん。ココから東北道へ入ることも考えたのだが、もう少し下道を走りたいココロ。で、R294をドンドン南下します。益子に入ったら県道41号線でR50まで走り、桜川筑西インターから北関東道に入ります。この道は出来たばかりのようで、道路も黒々としており交通量も少ない。となると、どの車も120Km超のスピード。こういうシチュエーションで遵法精神で100Km走行(ヲイヲイ、制限は80Kmだってバァ)するってホンに難しい。西に向かって走り、都賀ジャンクションからは東北道を南下です。前日の降雪の影響か、さほど混雑していなく、渋滞で停車することなく川口ジャンクションに。ここから外環、環八と走り、玉川インターから第三京浜、横浜新道です。ココも順調に流れていて、19時チョチ前にご帰館。泥ハネで汚れまくった愛馬がかわいそうだが、キレイ・キレイもせず、風呂にも入らず、手を洗っただけで食卓に。ここでイツモの儀式「いっただきまぁ〜すぅ」のゴングで試合開始です。本日、山城を3つ堪能できて530Km走行、う〜んお疲れさん、ちゃんちゃん
↑ 登り口(水田先端の左側)
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