■  大塩中山城  ■
■期日 H22年5月8日(土) 【福島県】三島町・岩谷城・丸山城、
                          金山町・大塩中山城
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3〜玉川IC〜環八〜大泉IC〜外環・東北
       〜郡山JCT〜磐越〜会津坂下IC〜R252〜小出IC〜関越
         〜練馬IC〜環八〜玉川IC〜第3・横新〜自宅
■コメント
 久し振りに会津の西奥の方、只見辺りを走ってみたくなった。もう路傍の雪も消えているだろうし、三島町・金山町・只見町の攻城もしたくなったので出掛けることに決定。となると、いつものように金曜の夜は
早寝の良い子。...とはいかなかった。ついつい仕事のキリが付かなくなり、タラタラ遅くなって帰宅したのが遅くなったのダァ。しょうがねぇなぁ、睡眠時間を短くしよう。速攻で呑みまくり、23時頃にフトンの中に入ります。当たりの然で寝不足、それでも七つ(4時)に起き出します。モロモロ準備を済ませ、七つ半前には出っ発です。横浜新道、第3京浜と快調に進み、環八も下高井戸の工事中の所を除き順調に。大泉インターから外環を突っ走り、川口ジャンクションからは東北道です。料金所のETCゲートも6時前にクリアしているので、早朝割引料金だろう。で、追い越し車線をヒタ走り、延々と単調路を我慢の子。ようやっと郡山ジャンクションから磐越道です。ココからもマダまだ遠い。会津若松を過ぎて、次の会津坂下インターで降ります。大泉インターから300Km超の距離である。う〜ん、長かったぁ。下道に降り、すぐにガスと朝飯の補給を実施。ここからR252を西に進みます。柳津役場を過ぎ、2Km程走って県道32号線に入ります。この県道を滝谷(たきや)川に沿って進み、JR只見線から離れると滝谷地区です。この集落の中心部から見て、北側に比高100m位の切り立った小山がある。この山頂部が岩谷(がんこく)城である。2.5万分の一地図を見ても、麓から実際にこの山を見ても、周囲は崖状になっている。本当に登れるのかしらん。で、サスガに心配になり地元の方に聞くと、「大丈夫、何とか登れる、でも道は無い」とのこと。地図を見ても地元の方から聞いた情報でも、真東から登れそうなので、東側に取り付けそうな林道を登って行きます。途中で鉄馬を降り、今度は歩きで鞍部まで。ここからなら、東側に取り付き何とか登れそうである。で、往時の雰囲気のある場所から岩場に向かいます。低木があるので、これを利用して(掴まりながら)岩場を登り切ると、案に相違して広い削平地の主郭です。堀切も土塁も必要ない地形である。東側に虎口跡が確認できる。また主郭と比べるとズイブン狭い副郭があり、ここには土檀跡がある。降りるのは登る時より恐怖心が出るモノ、十分に注意して無事に下山。
↑ 岩谷城址、主郭跡 ↑ 岩谷城址、主郭の虎口跡
↑ 岩谷城址、副郭の土壇跡 ↑ 岩谷城址、主郭跡
↑ 岩谷城址、登り口 ↑ 滝谷地区よりの岩谷城址
 次いで、滝谷から県道417線でR252に向かい、R252に入ったらスグに右(北)折して桧原地区に入ります。道なりに走ると、春日神社です。鳥居前に木碑があり、「巡検使の古道、丸山城址への道」のキーワードが書かれている。う〜んヤッタね、どうやら簡単に攻城出来そう。神社から西に見える尾根の通称『丸山』の頂上部(465m標記)がクダンの丸山城。先ず尾根の山懐に向かいます。ところが、ウロウロしても登り道は見つからない。しょうがない、杉林の所から直登しよう。杉林の部分は良かったのだが、杉林の上から尾根上まではブッシュの嵐・アラシ。早春でコレだから、夏場では絶対に無理だナァ。何とか尾根上に登り着くが、期待していた尾根道はない。ケモノ道のような心細いものがトコロどころにあるが、コレも夏場では無意味な筈。神社から51分でヨウヤク主郭です。麓から眺めて期待していた眺望だが、全く×、残念。堀切らしき遺構が幾条かと腰郭・副郭が確認できる程度で、お奨め出来ません。どうやら今日は只見線にSLが走る日らしく、下の方からサカンに汽笛が聞こえて来る。帰りも難行して、ヘトヘトになって春日神社に到着。
↑ 丸山城址、主郭跡 ↑ 丸山城址、堀切跡
↑ 主郭よりの唯一の展望 ↑ 東よりの丸山城址遠望
  神社からR252に戻り、魚沼方向にサラに進みます。途中、黄色い線の場所では官憲が居そうな雰囲気がアリ・ありなので、珍しくノンビリ走ります。金山(かねやま)町に入り、只見町に近くなると大塩地区です。地区の山懐に宇奈多理神社があり、参道前に鉄馬を停めます。ここでオモムロに2.5万分の一地図を取り出し、シゲシゲと地図を読みます。神社の裏山、564.7mの三角点のある山頂への山道がある。歴史を感じる神社の裏手に回ると、確かに立派な山道があるワイ。う〜ん、さっきの丸山城とは違って、こりゃぁ楽勝じゃぁ。ってんで、勇んで登って行きます。地図上からも尾根道となっており、山道も尾根道になっていて間違いない。ところが・どっこいしょ、途中から山道は尾根からドンドン外れて谷筋になってしまうではないか。その内にトウトウ道はなくなってしまった。コレはどうしたコトか? ウロウロしてもラチは開かない。しょうがなく、尾根上に直登です。尾根上に行けば、きっと山道はある筈。But・しかし、尾根に出てもヤッパリ道はない。ケモノ道が所どころにあるくらい。ここで、只見の水久保城を攻めた時の、思い出したくもない悪夢を思い出してしまった。アソコの城も、地図上には山道があるコトになっていたが、実際には消失して「無かった」のである。ここも同じに違いない。こうなると、もうブッシュも何もあったモノではない。ただタダ、ブッシュを掻き分けて進むのみ。難行苦行で神社から42分で大塩中山城の主郭です。主郭からは4本の尾根筋があるが、そのどれもに段郭が数段構成されている。主郭には土塁跡は残っていないが、土塁の残っている副郭や空堀跡、腰郭など、遺構は割と多く残っている。雑木・ブッシュがなければ、さぞや壮観だろう。そうそう、頂上部の樹木は冬の積雪・風でどれも同じ方向に寝かせられていて、自然の厳しさがマザまざ。残念ながら、雑木で見通しは悪いです。
↑ 丸山城址、麓の春日神社
↑ 大塩中山城址、主郭跡
↑ 東尾根の段郭と主郭跡 ↑ 東尾根の段郭跡
↑ 北尾根の段郭跡 ↑ 主郭近くからの眺め
↑ 麓の宇奈多理神社 ↑ 大塩地区よりの遠望
途中で見つけたイワカガミ 
 う〜ん、道なき攻城を3つも連続してのけた。もう疲労が困憊である。ヨロヨロしながら山を降りたが、途中で、あろうことか地図を紛失。さらに道を間違え(というか、道がないし、地図もないので....)、凄いブッシュの嵐・アラシにまた遭遇。最後には「遭難」の文字も浮かんで来る。が、元山岳部、何とか谷筋の沢に降りることが出来た。ここならブッシュがないので歩きやすい。でも今度は軽登山靴からジワジワと水が浸み込んで来る。う〜ん、弱った魚は眼を見りゃ分かる。とか何とか言っている内に、神社の真裏にイキナリ出た。ホッ、としたのは言うまでもない。神社の階にて、コンビニで買っておいた弁当を広げ、遅い昼飯を食べエナジーを充填します。ヤレヤレ、とんだ災難であったワイ。エナジーが緑レベルに上がったトコロで、鉄馬に跨りR252を進みます。遅い四輪・二輪を蹴散らし奥只見ダムを過ぎ、魚沼に入ります。R17に入れば、もう限界。小出インターから早々と高速に。前橋辺りまでは空きスキで快調だったが、その先はアウト。所どころ渋滞しており、スリ抜けの荒業を駆使して練馬インターを降ります。環八も激渋滞時間で、超チンタラ走行。1時間ほど要して、ようやっと玉川インターです。ココから第3京浜、横浜新道と順調に走り、19時丁度にご帰館です。もうエナジーと疲労表示のランプが赤で点滅している。愛馬のキレイ・キレイは明日、風呂は夕飯を食べてから、後片付けも後でネ。そう決まると、速攻で食卓に付き、「いっただきまぁ〜す」の儀式で戦闘モードに突入です。ゴクゴク・ゴック〜ン、う〜ん本物ビアーではないがウンメェイー。本日710Kmと走りに走ったが、下道が150Kmと少ないので、走り足りなかったワイ。よぉー、お疲れさん。呑み終わった後で、片付けなど忘れないでネ、ちゃんちゃん
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