■  森山城  ■
■期日 H22年4月3日(土) 【千葉県】香取市(旧栗源町)荒北城・岩部城・御城、
                     (旧小見川町)小見川城・森山城・須賀山城
■ルート 横浜自宅〜横新・首都高・東関道〜大栄IC〜P113・P44〜小見川
       〜R356〜銚子C〜P216〜飯岡〜R126・P122他〜長生V
       〜R128・R127〜富浦IC〜館山道・アクアライン・首都高・横新〜自宅
■コメント
 4月に入り、桜も満開になるなど陽気も良くなって来た。でも、暖かい春の日は少なく花冷えが続いている。今日も最高気温は13℃らしい。それでも真冬のコトを考えると、
メチャ野駆け日和である。となると当たりの然で、今日も行くワナァー。で、何処かというと下総の香取周辺を攻城するツモリ。今日も高速道を多用するコトになる。とにかく、横浜・東京・千葉の大都市を3つも横断するのだから。湾岸をノンビリ走り、東関東道を成田を目指して走ります。前々回の野駆けでは成田インターの手前で降りたが、今日は成田の一つ先の大栄インターで降ります。県道113号線で南下し、『赤池』交差点から県道44号線で東へ。栗山川に架かる根崎橋の手前に「荒北」地区への案内標識が立っている。この標識に従い左(北)折して道なりに進むと荒北地区です。地区の北側に長光寺があり、この寺の西100mの小丘が荒北城である。麓に『光正園』の看板がある農家を目印にした方が分かりやすいカモ。主郭は農地になっており、妙見社が祀ってある。北側には空堀と土塁跡が残っており、2重の堀部分もある。虎口跡も残っていて、主郭よりの眺めは○である。
↑ 荒北城址、主郭跡 ↑ 主郭の虎口跡
↑ 荒北城址、空堀跡 ↑ 荒北城址、土塁跡
↑ 主郭跡よりの眺め ↑ 荒北城址、遠望
  荒北から44号線を1Kmほど東に進み、今度は県道16号線を南下します。1Kmも走ると旧栗源(くりもと)町の役場(現在は栗源区事務所)です。この裏側の小丘(というか台地上)が岩部城です。城域には栗源保育園があるので、これを目指した方がベターです。保育園の脇の児童公園の入口が主郭の虎口跡で左右に土塁跡が残存してます。保育園の北側100mほど離れた民家脇に、空堀・土塁跡が残っており、城域はかなり広かったコトがウカガわれる。
↑ 岩部城址、主郭の虎口跡 ↑ 岩部城址、民家脇の空堀跡
↑ 岩部城址、民家脇の土塁跡 ↑ 岩部城址、中央は保育園
↑ 岩部城址、虎口跡の木碑 ↑ 主郭よりの眺め、左の建物は旧役場
  さらに16号線を1.5Km南下し、県道125号線に入ります。この125号線を100mも進むと、坂上(台地上)の左(北)側に延命院の瀟洒な寺がある。この境内や寺の100m南側周辺が御城である。境内には土塁跡が残っている。南側の農地入口には、立派な石碑が立っている。ココには耕地化で土塁が一部残る程度のようだ。
↑ 御城、主郭の土塁跡 ↑ 御城、主郭の石碑
↑ 延命院の土塁跡 ↑ 延命院よりの眺め
  県道44号線に戻り、小見川方向に進みます。JR成田線の手前で大きな陸橋となるが、これを渡らず下の道を進むと、小見川中学や小見川高校があり、高校の前が小見川城址公園である。時期が時期だったため「桜祭り」が開催されており、ニギやか(正直な話、ウザイ)な民謡が園内に流れている。鎮魂碑がある部分が小見川城の主郭で、浄水場側に堀切、土塁、土橋跡が残っている。公園化や浄水場建築でかなり改変されているようで、切岸と思える部分も後世のモノのような気もする。「桜祭り」の時期は避けた方が無難です。
↑ 小見川城址、主郭跡 ↑ 小見川城址、主郭近くの土塁跡
↑ 主郭近くの土橋・空堀跡 ↑ 小見川城址よりの眺め
   県道44号線で市街に入り、今度はR356を銚子方面に進みます。10時を回ったトコロで遅い朝飯をシッカリ食べます(というか、食べ過ぎ)。阿玉川地区にあるJR成田線の踏切を渡って50mの所で国道は直角に曲がるが、ここを曲がらずに真っ直ぐ進みます。道なりに南へ南へと進むと、山懐の下飯田地区に到着です。地区の公民館前に「森山城」の案内板が立ってます。ここの山裾には妙見社が祀ってある。社の脇の竹薮の中に台地上に登れそうな山道があるが、登るのはちょっとキツそう(このぉ軟弱者めがぁ、苦笑)。グルリと南から東方向に回ると、山側に登る舗装道があったので、愛馬にムチを入れて狭い急坂を上ると台地状の上に出ます。すると、いきなり森山城の虎口と土塁、幅広な横堀が迎えてくれます。どうやら大手の虎口跡のようである。ココから三の郭に入ると、その広さに驚きです。近くで仕事をされていた爺様に、郭内をウロウロする許可を貰います。イロイロと城にマツわる昔話も聞かせて頂く。どうやら牛牧場として拡張した際にアレコレと遺構をツブしたようである。主郭への虎口、土塁、横堀もよく残っている。主郭はメチャ広く、口をあんぐりしたまま。根小屋郭への入口部に馬出があり、虎口付近に城址の木碑が立っている。とにかくスケールが大きいので、それだけでうれしくなったワイ。そうそう、牧場・農場は知的障害者のための施設でもあるようで、皆さんが一緒になって一所懸命に頑張っている姿もウレシクなりました。
↑ 森山城址、主郭跡 ↑ 森山城址、主郭の土塁跡
↑ 森山城址、大手虎口跡 ↑ 森山城址、根小屋郭跡
↑ 森山城址、馬出跡 ↑ 森山城址、木碑
↑ 麓の森山城址案内板 ↑ 森山城址、遠望
  次いで森山城の出城である、須賀山城へ向かいます。一旦R356に戻り、笹川駅の一つ先の信号から県道266号線で南下します。信号から1Kmで東福寺(須賀山城城主の東氏と関係ある寺)の参道の石碑のトコロを過ぎます。さらに250mも走ると右(山)側に幾つかの標識があり、その標識群の中に小さな「須賀山城址」への標識がある。ここを右(西)折してスグに、今度は山側に入る狭い道があり、ここにも小さな「須賀山城址」への標識がある。ココでこの狭い道を登って行きます。鉄馬なので難なく峠部まで進めたが、四輪では無理せずに麓に駐車した方が良いカモ。主郭内はブッシュだらけでウロウロすることは出来ない。主郭部の虎口に土塁跡がよく残っています。馬出や広い副郭や幾つかの郭が残っているが、昔はイザ知らず、現在は荒れ野になっている部分が多い。大六天社が祀ってある郭には土塁が僅かに残ってます。
↑ 須賀山城址、主郭跡 ↑ 須賀山城址、主郭の土塁跡
↑ 大六天社郭、虎口跡 ↑ 須賀山城址、主郭の案内板
  13時を回ったトコロで「ソロソロ帰らなくては...」の時間である。最近は、来た高速道をそのまま戻る、お馬鹿な行程が多かった。今回はセッカクの春の房総半島である、少しは楽しんで帰ろうということに。R356で銚子へ進み、R128で西に向かいます。途中から県道122号線で市街地部分をパスし、九十九里町を経て長生村に。ココにはその昔、叔母が住んでいたのだが、今はもう亡くなって久しい。とか・何とか感慨にフケります。R128で勝浦、鴨川、館山と過ぎ、富浦インターから館山道に上がります。片側一車線の自動車道のため、チンタラの車が一台居るとモウ大変。延々とした大名行列になっている。コレをガマンして続きます。木更津からアクアラインをクグって首都高、横浜新道と走って、19時にご帰館。もう暗いので愛馬のキイレイキレイはせず、速攻で風呂へ入り、大汗を流します。この後、愛馬にカバーを掛けるツモリだったが、低い降水確率と咽喉が渇ききった状態がガマンできず、先ずは「いっただきまぁ〜す」でゴク・ごく・ゴックン。「プッファー、うんめい」で愛馬をスッカリ忘れてしまった。で、シバラクすると雨の音がナニゲに聞こえて来た。「うっそぉー、10%って言ったジャン、」とコボしたのは言うまでもない。急いでカバーを掛けたが、グッショリと濡れてしまった、ごめんね。本日、楽しい460Km走行だったが、最後の最後で...、ヨォーッお疲れさん、ちゃんちゃん
↑ 須賀山城址への標識
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