■  金山城  ■
■期日 H22年1月31日(日) 【千葉県】鴨川市・江見根古谷城・室戸城
                                ・鶴見城・金山城
■ルート 横浜自宅〜R1〜永田IC〜首都高・アクアライン・館山道〜富浦IC
       〜R127〜館山C〜R410・P257・R128〜鴨川C〜R410
        〜木更津東IC〜圏央・アクア・首都〜永田IC〜R1〜自宅
■コメント
  昨年の1月は寒かったのに、1ヶ月で1,100Km走っている。ところが今年の1月ときたら、暖冬だというのにマダ360Kmというテイタラク。電子工作の方が忙しかった、というのもあるが
寒さで出不精になったというのが本音かも。明日は1月最後である。よぉーしゃぁ、明日は野駆けに出掛けよう。...てんで、前から情報を集めていた安房の鴨川クンダリに遠征することに。イツモのように早寝・早起きの良い子で、5時半には出っ発です。フェリーで相模から安房に上陸という手もあるが、安くなったアクアラインを使おう。コイツを使う時の問題は、アクアラインは安くなってもアクセス(首都高速横浜線とアクアライン連絡部分+α)があるので、トータルでは結構高いモノになってしまうことである。まぁ、タマにしか出掛けない房総だから少々はガマンしよう。と考えていたが、何んのことはない、館山道の終点・富浦インターまで自動車道を使用してしまった。ここから館山市街に入り、海沿いの県道257号線で洲崎を経てフラワーラインで南房総市です。さらにR128を進んで鴨川市に入るとスグに江見地区で、まずJR江見駅へ進みます。ごく小さな駅舎であるが、脇に不釣合いな大きなマンションが建っている。駅前に付近の案内図と鴨川の史跡案内図が立っている。目指す江見根古谷城(根古谷砦と記載)も記されている。史跡案内図の方には、コレから攻める城の他にも多くの城址が記されている。江見駅の真裏の山頂部が城域なので、駅前から駅の裏側(田んぼ等)に進みたいのだが道がない。アレコレと道を探すが駅の裏側へ行けない。地元の方に浄照寺への道順を聞き、この寺を目指すのが正解である。狭い境内のスミに鉄馬を停め、駅の真北(真裏)の山懐まで田んぼのアゼ道を進みます。蘇鉄の木がある所に登り口があるが、これを30mほど登ると左右に分かれる分岐点です。右は上り道で、左は下り道です。当たりの然で、右を選びますが、コレが大失敗。途中からケモノ道となり、道なき急坂を登るハメになります。それでもブッシュは少ないので、喘ぎながらも18分で八幡神社跡の副郭へ。土塁跡のようなモノが残っているが、後世のものかも。さらに少し登ると頂上部の狭い主郭です。妙な穴凹のある主郭の先の北尾根を進むと堀切や竪堀跡がある。更に進むと少し広い郭跡が残っており、石積みで補強された切岸か残存している。石積みフェチのHYDはう〜んと唸ってしまったワイ。帰りは急坂の九十九折りのシッカリと整備された谷道をドンドン降ります。もうスグ平地という所で、最初に間違えた分岐点に。登る際、ここを左に進めば藪コギをしなくても良いですヨ。
↑ 江見根古谷城址、主郭跡 ↑ 北尾根の堀切跡
↑ 北尾根端の、石積み跡 ↑ 北尾根端の、石積み跡
↑ 副郭の神社跡 ↑ 江見駅と城址遠望
 なおもR128を進み、鴨川市街に入ります。市役所の2Kmほど北側の和泉地区に進むと、地区の中央部にお椀を伏せたような小丘があり、頂上部には男金神社が祀ってある。この山の北側200m程の所の小山が室戸城である。狭い道をウロウロしている内に山麓に辿り着き、坂道を登りきった所で、偶然に室戸城への案内標識を見つけた。鉄馬を停められる場所も無い狭い場所である。坂下の広い道端に鉄馬を停めて、標識に従って登って行くと、スグにまた標識があり右脇への山道を進みます。この道は倒木と落ち葉が多くて歩き難いが、主郭下まで登れます。時間を測っていなかったが、15分も歩いただろうか、サホド疲れず狭い主郭に到着です。いたる所に窪みがあるオカシナ地形ではある。腰郭以外には、これといった遺構は見当たらず。
↑ 室戸城址、主郭跡 ↑ 主郭跡の謎の整形された石
室戸城址、峠部の木碑と城址遠望 
  同じ和泉地区で、男金神社の山から500mほど東側に進むと山懐に龍泉寺がある。この裏山が鶴見(かくみ)城であるが、登り口はイツモのパターンの寺裏ではなく、さらに200m東の痔神社の裏にある。珍名だよネェー、痔神社って。でも読み方は「ぢ」ではなく、『もうけ』or『もけ』である。鳥居脇に『東条御厨跡』<源頼朝が伊勢神宮に寄進した荘園跡>という木碑があり、この辺りはナカナカに由緒有る地区ではある。この神社の脇の道を100mも進むと小さな橋があるが、橋の20m手前に左(西)に進む山道がある。これを進むと切通しのような道が続き、麓から17分で主郭である。主郭の北側に広い削平地があり、ここだけが唯一遺構らしい遺構。ウロウロしたが、これ以外の遺構はなさそう。
↑ 鶴見城址、主郭跡 ↑ 麓の痔神社
← 浄泉寺と鶴見城址遠望
 さあぁてとぉ、今度は県道24号線で鴨川有料道路/金山ダムを目指します。有料道路手前に右(東)側に折れる道があり、金山ダム側へ進みます。この道を進むと途中で金山ダムへ右折する道があるが、何の標識も無いので通り過ぎるかも。HYDも行き過ぎて有料道路まで進んでしまい、アワテて戻ってきました。ダムへの曲がり道は、バス停「金山ダム」というのが唯一のマーカーかも。この狭い道を進むと、トンネル手前で二俣に分れる所に到着する。この分岐点に金山城址の石碑が鎮座している。ここで左側の道を進みます。道なり(金山川に沿うよう)にドンドン登って行くと、終点が金山城です。途中から急坂で落ち葉でスリップしそうなので、怖くてHYDは墓のある付近で鉄馬を降りました。ここから歩いてもスグに城域です。城域に入ってマズ驚くのは、自然の岩を利用した大きな虎口跡です。この中に入ると大きな副郭(200m×200mほどか)です。削平されているが、残念ながらススキやブッシュでウロウロ出来ない。それでも、根性で藪コギして少しウロウロ。さらに山道を登って行くと土塁跡の残る副郭が3つ。その内の一つには、石積みが残る井戸跡もあります。コレを経てイヨイヨ主郭です。小さな祠が祀ってあり、ここにも土塁跡が残っています。主郭の土塁上からはナカナカに眺めが良いです。しばしマッタ〜リしてから下山。
← 金山城址、主郭跡
↑ 金山城址、広い副郭の虎口跡 ↑ 金山城址、広い副郭跡
↑ 金山城址、主郭下の井戸跡 ↑ 金山城址、主郭よりの眺め
↑ ダム途中の金山城址石碑 ↑ 金山ダムと城址遠望
 有料道路を走りたくないので鴨川市街方向に戻り、途中県道34号線を西に進んでR410に。コレをチンタラ北上(ウソ、そんな訳はない、楽しいワインディングだったのでブイブイ)して木更津東インターから自動車道に上がります。渋滞はしていないが混んだアクアラインを走って、浮島から首都高に入り、ベイブリッジを越えて永田インターを降ります。渋滞のコクイチ(R1)をスリ抜けて16時丁度にご帰館。距離もピッタリ300Kmである、何んか良いことでもあるかしらん。愛馬をキレイキレイしてあげ、熱い風呂に長〜く入って汗をタップリ流すとスタンバイOK。満を持して、「いっただきまぁ〜す」が終わらない内にゴクゴクと第三のビアーを咽喉に流し込むのでした。明日は人間ドックだから、ホドホドにね、ちゃんちゃん
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