■  飯櫃城  ■
■期日 H22年3月20日(土) 【千葉県】芝山町・岩山城・飯櫃城・上吹入城
                            ・宮崎城・山中北城・山中南城
■ルート 横浜自宅〜横新・首都高・東関道〜富里IC〜R296〜富里T〜R296
        〜富里IC〜東関道・湾岸〜永田IC〜R1〜自宅
■コメント
 今年の冬は野駆けに全く出ていない。1月10日に伊豆半島を攻めた後、都内の親戚の家にチョコッと出掛けたきりで2ヶ月以上も愛馬に跨っていない。放置プレーをズゥーッとさせていた訳だから、さぞや愛馬はクサっているだろうナァ。ところが・どっこいしょ、寒い朝にもかかわらずセルは元気よく回り、一発で目覚めてくれた。う〜ん、ウレシヤ。屋外で放置させているが、晴れてさえいれば太陽電池で満充電となるように工夫しているからかもしれない。で、今日はというと下総・芝山町を攻めるツモリである。湾岸を走り抜け、東関道で富里インターより下道に。R296を東に走ると県道62号との交差点「岩山」信号である。この一つ先の信号を右(南)折します。400mも南下すると『いすず』の物流センターを過ぎて『西濃シェンカー(SHENKER)』の物流センターの建物が左手に現れる。この右(南)脇に狭い道があるので、これを丘側に進みます。途中に神社があり、さらに進んで丘上の先の行き止まりまで細い簡易舗装道を進みます。ゴミ投棄禁止の看板が立っているトコロで道はお終い。ここにはゴミが散乱しているが、実は岩山城への入口である。ゴミ溜が入口だったため正直な話、あまり期待していなかった。が、城郭に入るとガゼン様子が変わってくる。土塁の残る主郭の脇には横堀がよく残り、広く大きな腰郭も迎えてくれる。副郭にも土塁が残る部分があり、期待していなかった分だけ、ニッコリも増大。
↑ 岩山城址、土塁の残る主郭跡 ↑ 副郭の虎口跡
← 三の郭北側の横堀跡
  次いでR296をさらに東側に1Kmほども進み、『大里十字路』を右(南)折して290号線を南下します。1Kmほど進むと右手の山側に蓮福寺がある。寺の南側には高野神社があり、神社脇の坂道に飯櫃城の石碑が立っている。ココに鉄馬を停め神社脇の坂道を登ります。どうやら神社の裏手は櫓台跡のようである。さらに進むと主郭を取り囲む堀跡が現れる。土橋跡と考えられる痕跡も残っている。農作業をされている方に許可を頂き、主郭の中をウロウロさせて貰います。郭内は農地になっておりズイブンと広い。主郭から二の郭を望むがこちらも大きい。副郭にも堀跡が残っている。麓の蓮福寺まで郭内らしく、境内に遺構と思われるものが残っている。帰り際に農作業をされていた方から、「神社の彫り物を見てから帰るように」と言われたので、最後に神社の中を覗き込んだ。八岐大蛇(ヤマタのオロチ)などの伝説上の見事な彫刻が残されている、これは必見。
↑ 飯櫃城址、主郭跡 ↑ 飯櫃城址、主郭脇の堀跡
↑ 飯櫃城址、主郭の土橋跡 ↑ 高野神社上の櫓台跡
↑ 高野神社の見事な彫り物 ↑ 蓮福寺境内の土塁跡
 県道290号線をなおも南下します。1.5Kmほど南下するとバス停「上吹入・入口」があり、ここから400m東側の山裾の地区が上吹入地区で、丘上に相馬高神社が祀ってある。神社境内周辺が上吹入城で、崖側に土塁跡が僅かに残っている。
↑ 上吹入城址、主郭跡
↑ 上吹入城址、土塁跡
↑ 相馬高神社と土塁跡
主郭近くよりの眺め →
  さらに290号線を1.5Km南下すると、イーグル・レイク・ゴルフ場への案内標識が現れるので、この標識の従って左(北東)折します。鋭角な坂道で下りとなるので注意が必要。道なりに800m程進むと、『芝山タクシー』の駐車場が右手に現れる。この裏山が宮崎城である。芝山タクシーの先に進むと山側に入る道があり、峠付近に八幡神社への参道がある。峠付近に鉄馬を留め参道を進んで神社境内に。八幡神社境内周辺が城域である。神社の脇には、空堀と土塁跡が明確に残っている。
↑ 主郭近くの八幡神社 ↑ 八幡神社近くの土塁跡
  先ほど290号線から鋭角に曲がって坂道を降りて来たが、平地になったトコロで右(東)折する道があった。今度はこの道を進みます。右折してから500m走ると右手に徳蔵寺が現れる。この裏山が山中北城である。最高部が主郭と思うが土塁が残っている。副郭脇の2重の堀跡がよく残っておりチョッと驚き。
↑ 山中北城址、三の郭の妙見社 ↑ 2重堀切の内側の堀跡
  北城の南200m地点の小丘が山中南城である。ウロウロしたが、登り口が分からない(参道を下って分かったが、車が駐車していて分からなかった)。しょうがなくて、どこかの工務店の資材置き場の脇に鉄馬を停め、ここから丘上へ攻め込んだ。でも、これは大正解だったかも。道は無くて攻めるのが大変であったが、その代わりに大きな堀・土塁・腰郭など複雑な構成の遺構が確認出来た。途中に小さな神社があり、その上に副郭があり、横堀を経て主郭である。主郭には土塁が残っている。
↑ 山中南城址、主郭の土塁跡 ↑ 山中南城址、副郭の虎口跡
↑ 山中南城址、主郭脇の横堀跡 ↑ 八幡神社への登り口
 さぁてとぉ、芝山町にはまだまだ城があるのだが、千葉と東京、横浜と政令指定都市を3つも越えなければならないので、今日はこれでジ・エンド。能もなく来た道をそのまま帰ることに。来る時は早朝だったので、渋滞もなくスンナリ来られたのだが、帰りはソウは行かない。途中でイライラしながらも、自動車道の多用で16時にはご帰館。本日ジャスト300Kmも、殆どが自動車道なので面白味に欠ける攻城であったワイ。ヨォーッお疲れさんちゃんちゃん
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