■  南酒出城  ■
■期日 H21年12月6日(日) 【茨城県】那珂市・戸崎鹿島館・小屋場館
                          ・南酒出城・稲荷山館・寄居館
■ルート 横浜自宅〜横新・第3〜玉川IC〜環8〜和光IC〜外環道〜三郷JCT
       〜常磐道〜那珂IC〜R118〜瓜連T〜P31他ひたちなかC〜R245
       〜水戸C〜R51〜鹿島C〜R124〜銚子C〜R126〜東金IC
       〜千葉東金道〜千葉東JCT〜館山道〜木更津JCT〜アクアライン
       〜川崎浮島JCT〜首都高〜永田IC〜R1〜自宅
■コメント
  何だ、かんだと言いながら師走に入ってしまった。朝晩もメッキリ寒くなったが、ハマった中年ライダーは今日も行く。サスガに北関東の山沿いへ行くのは危険が危ないので
(何〜んか、前回とおんなじようなフレーズ)、今日は常陸の国を攻めてやろう。となると、お手軽に千円高速で常磐道だナァ。と考えると、セッカクだから水戸よりも遠方の城にしようかしらん。などと、ドンドン話は勝手に進んで行く。だが・しかし、バットなのである。攻城のワン・パターンでは土曜に攻城し、日曜は疲れも少し残っているためノンビリ過ごすのであるが、土曜は●雨だそうな。しょうがねぇ、お歳暮の季節だし、お世話になった方に挨拶にでも出掛けよう。なるべく早目に帰ってきて、攻城先のプランでも練ってやろう。と考えたのだが、行ったお歳暮先では入院騒動の真っ只中。当然に、アタフタしてしまい、夜遅くになってのご帰館。あまり調べモノ出来ずに、酔っ払って早寝の良い子。「日曜は一日中快晴」のご託宣であったので早く起き出したが、昨日の本格的な雨の影響で道路はウェット状態。うぅ〜ん、いやだなぁ。でも、交通量が多い幹線道路では乾いていそうである。これならハネを気にせずに走れるワイ。横浜新道、第3京浜、環八、外環と走り、三郷ジャンクションから順調に常磐道です。ところがギッチョンチョン、谷和原辺りからモノすごい霧であった。コイツがハンパではなく霧雨に近いモノだから、具足もグッショリに。車と異なりワイパーが付いていないので、ヘルのシールドを手袋でコスリ・こすりしながら進むから、手袋はビショビショ。それでもジャケットの内側まで濡れることはなく、那珂インターで降りられた。R118で瓜連方向に進み、「戸崎十字路」信号を左(西)折します。800mほど進むと信号があり、ココを右(北)折して広域農道のバードラインを北に進みます。500mも進むと左手(西側)に溜め池が現れ、この池の北東100m先に鹿島神社がある。神社境内周辺が戸崎鹿島館跡の館域であるが、ウロウロしても堀跡くらいしか遺構はなさそう。前日からの雨と朝霧でタップリ水を含んだ草地を歩くと、10mも進まない内に膝下から靴までビショビショ。一応ゴアテックス製の軽登山靴なんだが、安物のせいか少し浸みてくる。しょうがなく、ウロウロは途中で中途に。
↑ 戸崎鹿島館、空堀跡 ↑ 戸崎鹿島館、鹿島神社
  R118に戻り北上して瓜連市街に入ります。次いで県道104号線を額田方向に進みます。木崎郵便局前の信号の一つ前の信号を右折(というより、戻る位の鋭角)して谷間の小川を渡ります。橋の上から見て左(南)手の段丘上が小屋場館の館域です。段丘に上がった所の右手には「八幡太郎義家の鞍掛石」という石がある、マユツバだけれど。ここから見て南東側の竹薮等の台地先端部が館域である。タマタマ下草が刈ってあったので藪の中に侵入できたが、通常だと厳しいかも。土塁、空堀跡の遺構が残っている。
↑ 小屋場館、土塁跡 ↑ 小屋場館、空堀跡
↑ 鞍掛石 ↑ 小屋場館、遠望
  県道104号線をさらに進むと木崎地区に入る。県道脇に学校給食センターがあり、そばに蒼龍寺への案内標識が立っている。これに従って寺の駐車場へ。境内周辺も南酒出城の城域で3の郭の一部である。寺の南側100mの所に林があるが、ここに主郭、二の郭がある。境内周辺には、遺構らしきものが見つからなかったので、期待もせずに林の中に入ったが、スグに「」となった。外観からは想像も付かなかったが、空堀、土塁、虎口、土橋などの遺構がシッカリ残っている。う〜ん、これはスゴイぞぉ。主郭にも二の郭にも、それぞれ遺構がシッカリ残っている。残念なのは雨と朝霧の露ダクで、少しウロウロするだけなのにビショ濡れ。
↑ 南酒出城、主郭の土塁跡 ↑ 南酒出城、主郭の虎口・土橋跡
↑ 南酒出城、主郭脇の空堀跡 ↑ 南酒出城、二の郭跡
↑ 南酒出城、城域の蒼龍寺 ↑ 蒼龍寺駐車場よりの遠望
 十分に満足したところで県道に戻り、500mも進むと県道104号線は直角に左(東)折する信号となる。ここを右(西)折して3Km道なりに進むとJR水郡線と交差する。この踏切からの道巡は説明しづらいが、踏切から500m水戸よりの踏切(水郡線28番、第2東風谷踏切)の100m北西の線路脇の林の中が稲荷山館の館域である。外観からはブッシュが凄いと思いきや、林の中に入ると何とか歩き廻れる。それで無理してウロウロしたが、2重の空堀(といっても水が溜まっている)と1条の空堀が残ってます。土塁も僅かに残っている。これ以外に遺構は無さそう。それにしても、東風(こち)とは忘れられた古語で、恐れ入谷の鬼子母神である。
↑ 稲荷山館、堀跡 ↑ 稲荷山館、踏切よりの遠望
 次いで菅谷地区に入り、県道31号線を東に進み菅谷・寄居地区に入ります。県道172号線との交差点が寄居十字路であるが、信号標識名はない。ここを右(西)折して400mも進むと、ちょっとしたカーブの右(北)手に林がある。この林の中が寄居城である。道の脇からブッシュの中を見ただけでも、空堀と土塁が確認できる。先ずは外側をグルーッと回ってみたが、空堀で囲繞されているようである。しかし、この空堀はゴミ箱状態、情けなや日本人のモラル。無理して城域に入ったが、雑木/ブッシュでウロウロするのは難儀である。歩きやすい土塁上からアチコチをウロウロ。土橋や水堀が確認できます。
↑ 寄居城、堀跡 ↑ 寄居城、土橋跡
  さぁてとぉソロソロ帰ろうか、疲れたから。どうも風邪で体調を悪くしてから、咽喉と気管支辺りが思わしくない。熱は無いのだが、ものすごく妙なセキが出るようになってしまった。しかも、このセキが出ると気管支辺りが痛くなる。「ヲイヲイ、そんなら家の中で大人しくしていろやぁ」は無しね。でも・しかし、まだまだ日は高いのである。天気も良いし...、と考えている内に、「よぉーっしゃ、房総半島を周って帰ろう」と意味不可解な結論を捻出した。先ず大洗に出てR245を南下します。水戸からはR51で南下です。鹿島から神栖を経て銚子に入り、R126をチンタラ進みます。東金を過ぎたところで、とうとうギブアップ。東金インターから千葉東金道の自動車道に入ります。ここから千葉東ジャンクションで館山道に入り、木更津ジャンクションからアクアラインです。首都高を経て永田インターで降り、R1を進めば我が家。薄暮の17時半に、無事ご帰館です。まだ夕飯までに時間がタップリ有るので愛馬をキイレイキレイしてあげ、熱っ〜い風呂にドップリつかって汗を流せばスタンバイ完了。満を持してのグッドタイミングで「いっただきまぁ〜す」です。第3のビアーがチョチ情けないが、咽喉が乾ききっているので「うんめぃー」で幸せ一杯に。本日460Km、ヨぉーッお疲れさん、チャンチャン
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