■  伊王野城  ■
■期日 H21年11月28日(土) 【栃木県】那須町・芦野城・伊王野城、
             那須烏山市・神長北要害城・神長南要害城・稲積城
■ルート 横浜自宅〜横新・第3〜玉川IC〜環8〜大泉IC〜外環道〜川口JCT
      〜東北道〜那須高原スマートIC〜P28〜那須T〜R294〜真岡IC
      〜北関東〜栃木都賀JCT〜東北道〜川口JCT〜外環道〜大泉IC
       〜環8〜玉川IC〜第3・横新〜自宅
■コメント
  もう11月も終わりである。朝晩もメッキリ寒くなったが、
ドツボにハマってしまった中年ライダーは今日も行く。12月に入ると降雪・凍結でサスガに北関東の山沿いへ行くのは危険が危ない。でも、まだ11月だから大丈夫かもと、下野の北ハズレへ馬首を向けます。先ずは那須町の城を攻めるツモリ。暗い内に都内を抜け、大泉インターから外環に入り川口ジャンクションから東北道に入ります。6時という早い時間帯で11月も終わりなのに、道路はヤケに混んでいる。それでも渋滞までしておらず、それなりの流れのスピードで進みます。寒かったからなのか、途中でトイレ休憩を2回もしてしまい、那須高原サービスエリアのスマート・インターから降ります。県道28号線を進むと那須町に入ります。更に進むと同町の芦野地区です。R294との交差点に「芦野歴史探訪館」や「陣屋跡」などの標識が出ているので、これに従って進むと、探訪館の脇に。小さな駐車場に鉄馬を停め、急坂を登って行くと、陣屋跡の大きな郭跡です。土塁跡や虎口跡が残ってます。案内板をフムフム読んでから、さらに上部の芦野城の主郭、二の郭、三の郭とウロウロします。各郭間には大きな横堀が残っている。見事な高野槙の大木が立っているが、この城を造った時に植えたモノだとか、本当かしらん。
↑ 芦野城址、陣屋跡の土塁跡
↑ 芦野城址、主郭跡
↑ 芦野城址、主郭脇の横堀跡
↑ 芦野城址、主郭よりの眺め
↑ 芦野城址、案内板
↑ R294からの芦野城址遠望
 次いでR294を南下して那須町の伊王野地区に入ると、大きな「霞ヶ城」への標識が国道脇の左(東)側に立っている。すかさず手綱を強く引き、標識の方向に進みます。途中に、案内板がある公園駐車場もあるが、これを無視してさらに舗装道を登って行くと、伊王野城(霞ヶ城は別名)の広い副郭のスグ下に出ます。上側には駐車場がないので、四輪の場合は麓の駐車場に駐車するコトをお奨めです。土塁・虎口の残る広い郭からの景色はナカナカに良いです。ここから主郭と幾つかの郭に進むが、ブッシュが凄くてウロウロするのが難しい。真夏では、こんな比ではないだろうナァ、絶対に。冬の時季に攻城して大正解である。それでも、有り難いことに所どころで下草刈りがしてあり、城域の広さや数多い郭や堀切・空堀・土塁・土橋などの遺構が分かりやすい場所もある。複雑という程ではないが、数多い郭・堀・櫓台など手の込んだ縄張りであることが良く分かる。
↑ 伊王野城址、主郭脇の堀切跡
↑ 伊王野城址、三の郭の虎口跡
↑ 伊王野城址、三の郭の土塁跡
↑ 主郭の北側の郭の土橋跡
↑ 伊王野城公園の案内板
↑ 伊王野城址、三の郭よりの眺め
R294脇の入り口と城址遠望 
 さぁてとぉ、下野の最北端から南下して、今度は那須烏山の攻城です。R294を南下し那須烏山市(旧烏山町)の市街に入ります。烏山庁舎の前の県道10号線を進むと、神長(かなが)トンネルです。トンネルに入る手前左(南)側にシェルGSがあり、脇に旧道がある。この道を進み、峠の左(西)側の山頂部が神長南要害である。登り道は無いが、峠より100m手前に建設工事用の資材置き場があり、ここから背丈の低い笹を掻き分けて登った。4、5分でグルリを空堀と土塁で廻った主郭である。主郭の南側に横堀を挟んで副郭がある。さらに南には烏山天文観測所の標識がある民家(無人)が2棟と小さく低い天文ドームがある。天文台があり、周りの雑草も刈られているので、麓からココまでの道はあるのではなかろうか。
↑ 神長南要害址、主郭跡
↑ 神長南要害址、主郭の土塁跡
↑ 神長南要害址、主郭脇の堀切跡
↑ 県道10号線旧道の峠付近と城址
  先ほどのGSまで戻り、今度は10号線の神長トンネルを抜けます。トンネルを出ると信号があり、これを右(北)折します。600m程進むと風月カントリークラブの入口の標識があり、ここを右(北東)折してゴルフ場に向かいます。200mも進むと左(西)手の山懐に神長神社がある。神社の入口脇に鉄馬を停め、神社正面の未舗装道を進みます。100mも進むと、下から見ると2本の角が生えたような妙な屋根の「NPO法人・老人ホーム」がある。この右手裏山の尾根先端部が神長北要害である。ウロウロしたが、登り道は無さそうである。しょうがネェ、ブッシュを掻き分けて直登しよう。冬場だから何とか尾根上に出られたが、夏場では無理だろうナァ、絶対に。ここもグルリを空堀が廻っており、土塁も僅かに残る。堀切(横堀)も残る単郭である。
↑ 神長北要害址、主郭南側の土塁跡 ↑ 神長北要害址、主郭南側の横堀跡
↑ NPO法人の建物と城址
↑ 県道のゴルフ場入り口と城址遠望
  R294を南下し、「野上」信号のもう一つ南の信号を左(東)折です。那珂川に架かる下野大橋を渡ると、小さな「稲積城址」の標識が現れる。たぶん、気が付かずに見過ごすかと思います。HYDも見過ごしてしまい、ズイブンとウロウロしました。稲積神社の境内周辺が稲積城の城域であるが、地元の方に「神社」ではなく「城」の方を尋ねるのが一番です。河岸段丘上にあるのだが、神社麓へのアプローチが分かりづらいのです。長〜い(場所によっては高い部分あり)土塁がかなり残っており、当時の雰囲気がビンビン伝わってくる。神社前の虎口や空堀もシッカリ残っている。
↑ 主郭の稲積神社と入り口の虎口跡 ↑ 稲積城址、長い土塁跡
↑ 稲積城址、土塁跡と木碑
↑ 稲積城址、遠望
  烏山には、まだまだ魅力ある城が残っているが、ここいらで遅い昼飯を済ませて帰館しよう。手頃なラーメン屋が見つからず、途中でコンビニ・オニギリを喰って一息入れ、エナジーを充填します。さぁてとぉ、ここからノンストップで戸塚宿まで走ってやろうかしらん。R294をドンドン南下しますが、市街地では渋滞もあってアッという間に時間が経っていく。しょうがねぇ、途中で高速に乗ろう。ってんで、真岡インターから北関東自動車道に乗ります。栃木都賀ジャンクションから東北道に入り、この南下を続けて川口ジャンクションから外環です。大泉インターからメチャ渋滞の環八を走ります。いい加減にウンザリしたところで、ようやっと第三京浜の玉川インターです。ここからは快適・快調に駒を進めて横浜新道に。終点の戸塚インターからマタ混み始めますが、ジキに我が家なので、アセらない・クサらない。ズイブン暗くなった18時半、無事にご帰館です。大急ぎで愛馬をキレイ・キレイしますが、時間切れで、風呂は超速攻で出ます。当たりの然に、殆ど汗をかかなかったが、一応スタンバイ完了。「いっただきまぁ〜すぅ」で、第3のビアーを咽喉に流し込むのでした。本日480Kmと、距離を走った割りに走り応えなし。だってぇ、下道は200Kmほどだったからネ、ちゃんちゃん
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