■  妻籠城  ■
■期日 H21年9月13日(日) 【長野県】木曽町(旧木曽福島町)・義仲館・福島城
                           ・福島館・上之段城・小丸山城、
                       大桑村・須原城・須原館、南木曽町・妻籠城
■ルート 横浜自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央道〜伊那IC
       〜R361〜木曽T〜R19〜中津川IC〜中央道〜土岐JCT〜東海環状
         〜豊田JCT〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
  土曜は雨模様だったので、アマ無線の
丸秘機器の製作のために、久し振りにパーツ集めをしたりして終日を過ごした。夕方になって、ご託宣を伺うと、「明日の日曜は晴れる」とのこと。「ヨッシャァー!」と声を上げ、ソソクサと準備を始めるのでした。といっても、今日の明日なので、前々から準備をしていた信州は木曽の諸城を攻めるコトにした。ちょいっとばかし遠〜いのだが、高速を多用すれば何とかなる。何せ、1000円高速なのである。それで、木曽へは東名で豊田経由で中津川に出れば良いだろう、と短絡的に考えていた。が、調べてみると意外にも中央高速経由の方が100Km近く短いようである。で、早寝・早起きの良い子で、七つチョチ過ぎ(4時半)には出っ発です。長後街道、R412で相模湖インターから中央道に乗ります。後はヒタスラ我慢の子でチンタラ走り、諏訪湖を過ぎて南下して伊那インターで降ります。ここから名古屋に単身赴任中に越えたコトがある権兵衛峠を越えるツモリであったが、昨日からの雨で道路が濡れているので権兵衛トンネルで木曽に出ることにした。長げーぇトンネルを過ぎ、R19に出て国道を南下すると宮ノ越地区にて「木曽義仲館跡」の表示板があった。標識に従って進むと旗挙神社で、義仲館跡の案内板がある。河岸段丘上にある場所だが、サスガに耕地化で遺構はなし。崖上からの宮ノ越集落の眺めが美しい。
↑ 義仲館跡、旗挙神社 ↑ 館跡の石碑
館跡よりの眺め 
  さらにR19を南下すると木曽町(旧木曽福島町)である。市内の北側の山裾に義仲の墓がある興禅寺があるが、この寺の更に上方に木曽福島郷土館がある。この郷土館の脇に「城山林道」という林道(未舗装)の始点がある。愛馬なら楽勝に(ウソ、かなり荒れていて登れないかも)登れそうな道であるが、ハイキング・コースでもあるので、自重して始点の所に鉄馬を停めて歩き始めます。12分で見晴らしの良い地点に到着します。近くにはドコモのケータイ基地局があり、福島城址への標識(0.8Km)もある。ここからは山道になるが、10分丁度で主郭です。主郭には土塁跡が残っており、二の郭間に空堀、土橋跡が残存している。腰郭もいくつか残っているが、期待に反しココからの眺めは×です。
↑ 福島城址、主郭跡 ↑ 福島城址、堀切跡
↑ 福島城址、主郭跡 ↑ ドコモ基地局脇からの眺め
← 郷土館脇の城山林道始点
 麓に戻り、市内をウロウロすると福島小学校があり、隣に山村代官屋敷がある。この辺りが福島氏居館跡で、福島城は詰城である。小学校の校庭から福島城、二の段城、小丸山城がカイマ見える。校庭の石垣の東側に代官屋敷の旧い石垣が残っている。
福島小学校と福島城遠望 
↑ 代官屋敷 ↑ 代官屋敷、石垣跡
 先ほど、福島小学校の校庭から見えたNHKのAM放送局のアンテナの場所を目指して進みます。難なくアンテナ基部に到着したが、サスガに内部には入れない。ココが一段高い場所なので、放送局の辺りが小丸山城の主郭跡なのだろうか。アンテナが設置される位だから見通しは良い。ここから福島城や福島館(福島小学校)やコレから向かう上之段城が良く見える。NHK放送アンテナの隣は清峰高校である。
↑ 小学校よりの城址遠望 ↑ 小丸山城址、主郭跡
 やはり市内の高台に関山公園がある。どういう道を進んだか記憶にないが、とにかくJR線路の南脇の狭い道を登って行ったら、木曽高校のグラウンドがあった。さらに進むと関山公園である。公園周辺が上之段城というコトであるが、公園化などで遺構は無し。
↑ 関山公園 ↑ 小丸山城よりの上之段城址遠望
 木曽福島を後に、R19をさらに南下すると中仙道の須原宿である。コギレイな宿場町で好感度が高いとみた。JR須原駅より南西側に500mも行くと禅寺の定勝寺である。ここが須原氏館跡であるが、禅寺らしい大変瀟洒な寺で、ココもイッペンに気に入った。石庭も小さいが大変優美である。観光地化されていなく、観光客も殆ど居ないのも気に入った。お奨めのお寺さんです。
↑ 定勝寺の石庭 ↑ 定勝寺
 定勝寺の裏山が須原城であるが、寺からの道はないようである。このため定勝寺の左脇の道を進み、突き当りを左折してJRの「営林署踏切」を越えて2車線の大きな道に出ます。ここを右折して岩出観音堂方向へ進みます。500mも走ると峠となり、頂上部に1軒の民家がある。この家とコンクリート壁との間に登り口がある。登り口付近は草ボウボウで大変であるが、林の中に入ると整備された歩きやすい道となる。この道を6、7分登ると主郭である。途中、2基の送電線の鉄塔基部があった。2つ目の基部は二の郭跡である。主郭には、虎口、土塁、土橋の遺構が残っている。主郭下には妙な石積み跡があるが、後世のものらしい。残念ながら主郭からの眺めは悪い。 
↑ 須原城址、主郭跡 ↑ 須原城址、堀切跡
↑ 須原城址、土橋跡 ↑ 須原駅よりの城址遠望
← 峠部の登り口
 R19に戻り南下を続けます。途中、左折して妻籠方向へのR256に入ります。500mほど走ると山側に左(東)折する最初の道が現れる。ここを左折して狭い道を進むとT字路のような所に出る。ここを左折(鋭角)して更に狭い道を進むと、峠の頂上部に出て旧中仙道となる。ココに妻籠城の石碑と案内板がある。ここから山道を登って行くとスグに主郭です。主郭には土塁跡が残り、ここからの中仙道・妻籠宿の俯瞰が素晴らしい。主郭脇には堀切や土橋、腰郭跡が残存している。しばしマッタ〜リしてから下山です。
↑ 妻籠城址、主郭跡 ↑ 妻籠城址、主郭の虎口跡
↑ 妻籠城址、主郭脇の土橋跡 ↑ 妻籠城址、空堀跡
↑ 妻籠城址、主郭跡 ↑ 主郭よりの中仙道・妻籠塾
↑ 旧中仙道の城址碑 ↑ R256よりの遠望
 う〜ん、ズイブンの数の攻城をした気がする。後の楽しみに、幾つかの城は残しておいても良かったかも。ツイツイ深入りしてしまったため、R267、R152等の下道で浜名湖へ出るツモリであったが、もうそんな時間は無いようである。しょうがねぇ、高速は面白くないが中津川インターから高速に乗ることにしよう。中津川の手前のコンビニで遅〜い昼飯、といってもオニギリ2個をホウバルだけ。中津川市内に入り、ガスを補給してから中央高速に乗ります。土岐ジャンクションから東海環状に入り、豊田ジャンクションからは東名です。ここからはズイブンと長旅になる。高速道は一般道と比べて安全ではあるが、やはりツマラン。それでもキレずに進みます。沼津を過ぎた頃に、前方の表示板に「松田〜横浜25Km渋滞」のイヤな赤い文字。このまま進むと、渋滞は30Kmを超えているナァ、きっと。と、進むとヤッパリ増えており、35Kmになっている。ギョェーッ、分かってはいてもアカラサマに出てくるとガックリ。これじゃぁ、スリ抜けしなければならない距離は15Kmは超えるナァ、絶対に。とか・何とかブツブツ言っている内に、ハザードランプがチカチカしている渋滞の最後尾に到着。ここから延々とスリ抜けである。車と車とのスキ間がズイブン狭くなっている場所もあるので、速度は出せない。平均速度で30Km位だろうか。ともかくストレス満載状況で、ようやっと厚木インターです。ここから大渋滞の長後街道ですが、今日は日曜なので、ソレナリであった、ウレシヤ。そうこうして19時ジャストにご帰館です。この時間なのでキレイ・キレイの作業はパスし、シャワーもパスして食卓に着きます。どうやら間に合ったようだ、「いっただきまぁ〜す」のゴングで試合開始。ゴクゴクと音を立てて咽喉に流し込むと、サッキまでのストレスは胡散霧消。本日670Km走行も、高速多用だからイマイチ走った気がせず。明日は月曜で朝から出勤、早く休んでシッカリ疲れを取ってネ、ちゃんちゃん
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