■  天神山城  ■
■期日 H21年8月17日(月) 【長野県】大町市・森城
                    【新潟県】糸魚川市・勝山城
                    【富山県】入善町・舟見城、黒部市・若栗城
                           魚津市・魚津城・天神山城
■ルート  飛騨古川自宅〜R41・R158〜松本C〜P306他〜大町C〜R148
        〜糸魚川C〜R8〜富山〜R41〜古川自宅
■コメント
  昨日、一昨日と雨に降られてヒドい目に遭ったが、今日は大丈夫だろうかしらん。夕方になると確実に一雨来るから、今日は早めに帰館することにしよう。で、早起きして七つ立ち(
ウソ、4時半を過ぎていた)で、飛騨〜信濃〜越後〜越中〜飛騨という飛騨山脈をグルゥーッと回る計画である。クソ暑いので百姓仕事をサボろう(ヲイヲイ)というのである。狙うは越中の城、大河ドラマ「天地人」で話題になった魚津城と天神山城である。で、R158を快調に進み、松本からは広域農道で北へ進みます。途中「西山城址」への案内標識が立っていたが、ツイデにチョッと寄るような小城ではないので、後ろ髪を引かれながらもパス。大町からはR148でナオも北上です。シバラク走ると仁科三湖の一つである木崎湖が現れて来た。う〜ん、久し振りである、ちょっと寄って行こう。地図を見ると、湖の西側をグルーッと周回出来そう。南端っこから北側へ進むと、森城の案内板がイキナリ現れた。コウなれば寄っていかない訳にはいかない。案内板脇に鉄馬を停め、フムフム読んでから攻城開始です。仁科神社と北側の阿部神社が主郭跡のようである。神社境内に土塁跡が残っている。案内板には馬出跡も記されていたが、明確に確認できず。阿部神社脇の堀跡はよく残っている。幾つかの堀跡も郭跡も記されていたが、郭跡はそれらしく確認できるが、三の郭の堀跡以外の確認の方は難しい。
↑ 仁科神社、主郭跡 ↑ 主郭の土塁跡
↑ 安部神社脇の堀跡 ↑ 三の郭と堀跡
↑ 城址遠望 ↑ 仁科神社前の案内板
↑ 仁科三湖、中綱湖 ↑ 仁科三湖、青木湖
  木崎湖を後に、さらに北上して中綱湖、青木湖と過ぎて久し振りの仁科三湖をクリア。山深いR148をチンタラ北上していくと、いきなり平野部に出た。糸魚川である。ここからR8を西に下り富山を目指します。子不知の手前に「勝山ドライブイン」(廃屋)が海側に現れ、店の山側に立派な勝山城への登り口の標識が国道脇に立っている。ここも立ち寄らなければ。案内板をフムフム読んでから攻城開始です。案内板には40分の行軍と書かれているのがチョチ気になるが、幸いに今日は曇天、何とかなるだろう。結構キツイ急坂ですが、真夏の油照りの天気ではないので休まず登ります。途中、鉄製の階段が設置されているほどにキビシイ場所もあるので要注意です。下から22分で土塁と虎口跡の残る主郭に到着です。ズイブンと汗をかいて登って来たが眺めは海と東方向だけ、ちょちイマイチ、う〜ん残念。でも・しかし、展望台(物見櫓跡?)への標識が立っているので、これに従って進むと、土橋・堀切跡を経て親不知方向の見通しが良い地点に到着。親不知の難所が一望でき、涼しい海風が吹いてきて超心地よい。しばしマッタ〜リしてから主郭に戻り下山です。
↑ 勝山城址、土塁の残る主郭跡 ↑ 勝山城址、主郭の虎口跡
↑ 勝山城址、主郭脇の堀切跡 ↑ 勝山城址、主郭脇の土橋跡
↑ 主郭よりの糸魚川方面の眺め ↑ R8脇の勝山城址登り口
 R8をなおも下って越中に。黒部市から入善町に入った所で「舟見城址館」の標識が立ってます。「オォーッ!」、行ってみよう。県道108号線で舟見地区を目指して進むと、再度舟見城址館への標識がまた出現。でも12Km先と書かれている。「マジかよぉ、しょうがねぇなぁ、ちょっと遠いがコノまま進もう。」 舟見地区に入ると、小丘上に何やら復元天守閣のような建物が見えてきた。タブンあれがそうだろうと見定めて登っていくと、ピンポォーン。復元された天守閣がある、いつものパターン。でも、ここからの市街の眺めはスコブる良好で、解せない復元建物も笑って見過ごせる。当たりの前で、拝観料なんぞは払わず資料館はパス。後方の児童公園まで行くと、周りはそれなりの雰囲気である。どうやら公園側が舟見城の主郭跡ではなかろうか。空堀跡や周りに腰郭と思える地形が残っている。
↑ 舟見城址、模擬天守閣 ↑ 舟見城址、堀切跡
↑ 舟見城址、腰郭跡 ↑ 模擬天守閣よりの眺め
↑ 舟見城址、遠望 ↑ 舟見城址、石碑
舟見から宇奈月温泉まではスグそこである。明後日には、四輪で母と義理の両親とで、宇奈月〜欅平のトロッコ電車を楽しむ計画である。という訳で少し下見をして行こう。ウロウロとしている内に、富山立山鉄道の若栗の辺りでチョチ道に迷ってしまった。そうこうしている内に、田んぼの中に土塁らしきものを発見。近付いて見ると若栗城の案内板が立っている。道に迷ったのはアンラッキーだったが、結果オーライ。コの字型の土塁がよく残っており、石積みで補強されているので石積みフェチのHYDは...。ただ、土塁の真ん中を農道が分断している。舌山駅前から北北東に伸びる道を500m行った右(東)手が城域です。
↑ 若栗城址、主郭 ↑ 若栗城址、石積みの土塁跡
↑ 若栗城址、遠望 ↑ 若栗城址、石碑
 R8に戻り、さらに富山方向に駒を進めます。魚津市に入って、「木下新」信号を左(南)折して県道330号線を進むと「金太郎温泉」があり、「魚津民族博物館」や天神山への標識が沢山出現する。この標識に従って進むと民族博物館で、この山上が天神山城である。車両の通行止の所に鉄馬を停め、脇の登り道を2、3分登ると航空標識塔のある主郭です。土塁跡が残っている。数多くの腰郭・段郭が残っており、眺めもソレナリである。ここから魚津城が燃えているのをジィーッと見つめていた後詰の景勝・兼続達の気持ちはどうだったんでしょうネ。
↑ 天神山城址、主郭跡 ↑ 天神山城址、主郭の土塁跡
↑ 天神山城址、二の郭の土塁跡 ↑ 天神山城址、腰郭跡
↑ 天神山城址、主郭よりの眺め ↑ 天神山城址、主郭の木碑
 さらに駒を進めて魚津の中心部に入って行きます。本町地区にある大町小学校の校門脇に魚津城の案内板が立ってます。許可を得て校内に入ると立派な石碑も立ってます。市街化・学校化で遺構はなし。
↑ 魚津城址、案内板 ↑ 魚津城址、立派な石碑
 さぁてとぉ、狙った魚津城と天神山城は無事に攻城した。そろそろ帰らないと、今日も夕立に遭うことになる。もし今日も降られたら3日連続になってしまう。それだけは勘弁して欲しい。R8で富山市に入り、R41で今度は南下します。このR41は目をツムっても走れるほど数多く走っているが、鉄馬で走るのは、2、3回目かもしれない。割と新鮮な気持ちで、チンタラ走ります。この道は黄色い線が多いので焦らないコトが必須。ジィーッと我慢して神岡、杉崎と進み実家のある古川に。まだ日が高い内にご帰館である。晩酌のツマミを買いに行ったりして夜の準備を進め、母が畑から帰って来たら「いっただきまぁ〜す」で、第3のビアーを咽喉に流し込むのでした。本日、距離は365Kmとマァマァであるが、全て下道なのでズイブンと走り応えがあったワイ。さぁてとぉ、今晩は早めに寝て、明日こそは百姓仕事に精を出そうちゃんちゃん。 
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