■  佐久山城  ■
■期日 H21年4月29日(水)祝 【栃木県】大田原市・佐久山城・福原城・福原要害城・久保城、
                           (旧湯津上村)・佐良土城
■ルート  戸塚自宅〜横新・第3〜玉川IC〜環8〜大泉IC〜外環・東北〜矢板IC〜P48他
        〜大田原C〜R4・R400他〜西那須野塩原IC〜東北・外環〜大泉IC〜環8
        〜玉川IC〜第3・横新〜自宅
■コメント
 どうも腰の具合が悪い。腰痛はコケた時以上に悪くはなっていないが、さほど改善も見られないのである。ズイブンと前に、医者から「加齢で骨が変形している、持病と考えてネ」と言われていたので、そのままにしているが、一向に痛みは引かない。まぁ、ガマンするしかないのかナァ。という状況ではあるが、「休み+好天」になると野駆けに出掛けたくなるから、
真の勇者である(根っからのバカともいう)。で、今回は下野の大田原を攻めよう。下野の北部は距離的に攻め難い地域であるが、1000円高速という奥の手がある。前の晩、イロイロあって早寝出来なかったので、イツモより遅い4時半に起床・5時チョチ過ぎに出っ発となった。少しアルコールが残っているような気がするので、慎重に駒を進めます。早朝でも検問をしているコトが多い環八も無事に通過し、大泉インターから外環道に入る。6時までに入ればETC割引で200円なんだが、今日は30分遅れだったため、休日割引の300円。川口ジャンクションから東北道に乗り、一路北へ向かう。チョチ遅い時間帯+1000円高速のせいか、途中で数Kmの渋滞が2箇所もあった。日の出も早くなったので、これからは5時前には出っ発しよう。流れに任せて走る内に1回も休まずに矢板インターを降ります。ここから、県道48号線で佐久山地区に入る。県道沿いのJOMOでガス補給しようとすると、道路脇に「佐久山小学校」「御殿山公園」への2つの標識が立っている。「う〜ん、ベリーナイス」、迷わずに佐久山城を攻め落とせるワイ。小学校の裏山が城域で、現在は公園になっている。校庭脇に鉄馬を停め、公園内に入って行きます。比高も低くて、スグに主郭の花畑です。後手に土塁跡が残っており、その裏側には杉林の中に横堀がよく残っている。二の郭も公園化されているが、高く幅広な土塁がよく残っている。この裏側にも、堀跡や腰郭が残っている。ウロウロしたかったが、腰痛に悪そうなので(うそ、単にヤブコギを敬遠しただけ)、早々と攻城終了。
↑ 佐久山城址、主郭跡 ↑ 佐久山城址、堀切跡
↑ 佐久山城址、二の郭跡 ↑ 二の郭の土塁・空堀跡
↑ 公園展望台よりの眺め(手前は小学校) ↑ 公園内の案内板
 次いで、県道52号線を東に進み、途中で県道167号線に入って北上です。箒川手前の福原地区に入ると「那須与一の墓」の案内標識があるので、玄性寺境内に入り墓に参ります。この周辺は那須氏の地盤であるが、現在は遺構等は無いようである。167号線に戻り、今度は県道285号線を東に向かいます。300mも進むと北側の民家・農地のある河岸台地が福原城。遺構らしいものはあるが、確信持てず。
← 福原城址
 さらに県道285号線を300m進むと尾根の先端部分である。この尾根の上部が福原城の詰城、福原要害城である。道は北へ曲がりながら降りる坂となるが、ここの竹薮(「不審者注意」の看板あり)から登って行くとスグに城域である。主郭はブッシュが凄くて、トテモ中に入れない。グルリの土塁の上から指をクワえて見るだけ。二の郭の方はブッシュが少なくウロウロ出来る。こちらも土塁がよく残っている。主郭と二の郭間の横堀、二の郭の虎口、腰郭など見応えあり。
↑ 福原要害城址、主郭跡 ↑ 福原要害城址、二の郭郭の虎口跡
↑ 福原要害城址、空堀跡 ↑ 福原城址よりの要害城
 この後、285号線を東に進むと、「那須官衙遺跡」の標識が立っているので立ち寄ります。そのまま県道を進み、途中でR294を北上します。スグに箒川に架かる箒橋で、これを渡って最初の信号を右(東)折して500m進むと「なかがわ水遊園」だが、そこまで進まず、右折して100mの所を左(北)折する。農道の脇に岩川(用水路)が流れている。200mほど北上すると岩川に架かる館橋があり、近くに土塁跡が残る佐良土城である。残念ながら土塁跡が残るのみである。
那須官衙遺跡 
↑ 佐良土城址、主郭跡 ↑ 佐良土城址、土塁跡
  R294の北上を続け、黒羽地区に入ったら県道182号線を進み乙連沢地区に。「練貫」信号で右(東)折して県道72号線を進む。500mで左(北)手に練貫公民館があり、さらに50m進むと右(南)折する道があるので、ここを南下します。300m進むと左(北)手の山裾に熊野神社があり、神社から50mも進むと左(北)折するる道があるので、ここを北上です。100m進むと、広い敷地にコギレイな民家がポツンとある。この家の後上方にチョットした林があり石碑が見える。ココが久保城であるが、農地化で遺構は堀跡だけ。
↑ 久保城址、主郭跡 ↑ 久保城址、堀跡
← 久保城址
さぁてとぉ、ここからワインディングを楽しんで常陸に抜け、その後に南下して帰るツモリであったが、ヤッパリ腰痛が心配。う〜ん、ワインディングを楽しみたいシィ、これ以上の無理はしたくないシィ、と逡巡。で、出した答えは、昼飯喰ったら高速を使って、速攻で帰館である。今までとは180度も違う答え、我ながら驚くのみ。一旦R4に出て、ここから南下して途中でラーメンを食し、西那須野塩原インターから東北道。13時過ぎという早い時間帯である、サスガに空いていて「アッ」という間に川口ジャンクション。ここから外環に進み、大泉で降ります。この時間帯では環八もストレスなく走れる。玉川インターから第3京浜に入り、横浜新道と通って15時半には、早々とご帰館。「ウッソォー、もう帰ったのぉ」の相方の言葉に、無条件反射で「悪かったネェ」。愛馬を念入りにキイレイキレイしてもマダマダ日は高く明るい。しょうがなく(?)、久し振りに50分コースのジョギングをして大汗をかく。本当は腰に悪いので、安静にしていた方が良いのだが。この後、熱っーい風呂に長々と入って、汗を絞り出し準備完了。「いっただきま〜す」の号砲の後、ゴクゴクと第3のビアーを流し込むのでした。本日、高速多用で470Km。明日は出勤日、早く寝て疲れを取り会社で居眠りなどしないようにネ、ちゃんちゃん。
★ ホームページのトップへ