■  荒神尾城  ■
■期日 H21年5月23日(土) 【長野県】松本市(旧四賀村)・掻場城・荒神尾城、
                          安曇野市(旧明科町)小谷城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央道〜諏訪南IC
       〜P17・R152他〜白樺湖〜ビーナスライン〜美ヶ原〜P464・P62
       〜武石〜R254〜鹿教湯〜P12〜青木V〜R143〜四賀V〜P302
       〜明科〜R19〜豊科IC〜長野・中央道〜相模湖IC〜R412
       〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
 先週の土日は雨やら所要で、残念ながら野駆けには出掛けられなかった。今週も日曜は結婚式があり、出掛けられるのは土曜のみ。さぁてとぉ、ご託宣はどうよぉ? ...どうやら朝晩は雲が多いが降水確率は20%以下とな。これは行くしかないナァ。で、攻城先はというと、以前に攻めた松本市の旧四賀村。そう、あの時は腰痛のため泣く泣く諦めた城を性懲りもなく再攻するツモリである。前回のように、千円高速で豊科インターまで突っ走ってもよいが、ちょち面白くない。ココはやっぱぁー、ビーナスラインでしょう、季節も良いし。そうと決まれば、いつものワン・パターンです。朝4時に起き出し、5時前に出っ発して一路相模湖へ。ここから中央道を走りますが、バイク・シーズン到来なのか、四輪だけでなくヤケに二輪も多い。それでも渋滞はしておらず、余裕のヨッチャンで諏訪南インターで降ります。ここから県道17号線等で白樺湖へ。ここから至福の時間の始まり・始まり。でも、走り出して「あぇれぇ、なんかオカシクねぇ」と気が付いた。これまで白い点線だった道が、黄色い線になっているではないか。う〜ん、何故だぁ? とボヤいてもしょうがない。そのまま、ドン亀の後にヘバリ付いてアオります。鈍感なのか、全然どいてくれないので、白い点線になるまでジィーッとガマンし、解除になったトタン、折れよとばかりにムチをくれます。2・3速全開でドン亀を「アッ」という間にサイドミラーの点にして、ドンドン先に進みます。いつもは和田峠から下道に下りる(コラコラ、ビーナスラインも一般道だっちゅうの)のだが、今日はそのまま美ヶ原まで。40Kmのワインディングを楽しんだ後は、ダウンヒルをチンタラ下り、県道464、62号線で武石に入ります。ここからR254で鹿教湯に入り、県道12号線で青木村です。さらにR143で青木峠を越えて四賀村に入り、県道303号線で保福寺町地区に。県道沿いにある保福寺町公民館前の狭い道を山側に入ります。小川沿いの道を山側へと進むとスグに橋です。コンクリート道はマダマダ続いているが、この橋そばに鉄馬を停め、橋を渡らず小川に沿っている小道を上流に進みます。歩き始めてスグに「ギクッ」となった。前方に小動物の死骸が横たわっている。死んでいるので、怖くはない筈なんだが、ズイブンと遠回りをして敬遠。通り過ぎる際、横目でチラッと見ると
イタチであった。腐敗はしておらず、死んでから昨日・今日という感じ。橋から2、3分も歩くと、小川に砂防提が築かれている。ここから右側の尾根に登ります。シッカリとした山道があるが、スグに消えてしまい、途中から急坂を直登です。ケモノ道もあり、ブッシュもサホドでないので、ゼイゼイ言いながらも上へ上へと登ります。尾根直下で、石積みと思われる遺構が目に入って来る。「ウォーッ」と吼えてしまう石積みフェチのHYDです。尾根上に上がると、そこは土塁が残る掻場(かいば)城の主郭です。主郭の周りには石積み遺構がグルリと残っており、又しても吼えるHYD。主郭後方の土塁は、どうやら石塁だったようである。堀切が3条、段郭が4、5段確認できる。残念ながら、主郭からの眺めは×です。

36°18′38.5″−138°01′41.9″、比高は83m、橋から13分でした。
↑ 掻場城址、主郭の石積み跡 ↑ 主郭の石塁跡
↑ 掻場城址、石積み跡が残る段郭 ↑ 掻場城址、主郭跡
  県道303号線を戻り、錦部小学校の標識に従い校内に入ります。最近、校内へは入れない学校が増えているが、ココは注意事項すら掲げてない。怪しい人間はスグに分かる環境なのだろう。それで厚かましくも広い校内の一画に鉄馬を停めた。校舎の山側にはグランドがあり、グラウンド右側の奥に沢があり、50cmの小さな用水路が流れている。これを渡って坂を20mも登ると、草ボウボウの子供の遊び場である。周りには民家も無いので、子供は誰もココで遊ばなく、セッカク造っても荒れてしまうんだろうなぁ。遊び場の左側奥に山道があり、コレを登ります。グランドから歩き始めて5分で分岐点です。この分岐点は分かり辛い。かなりの勾配の山道だったのが、緩やかになった地点で、真っ直ぐ進む道と山側への道とに分かれる。ただ、山側への道とは分かりづらい。右の山側は沢のような地形なので、これに注意すれば通り過ぎることはないだろう。所どころにピンクの標識テープが樹木に付けてあるので、これを目印にした方が良いかも。この道を進むが、道はスグに消えてしまい、途中から尾根上までケモノ道を直登です。尾根上には山道があるが「止め山」表示があり、松の木もあるので松茸の山らしい、秋は要注意です。尾根道をドンドン登って行くと堀切が出現し、さらに進むと連続堀切も出現する。数えてみると8条の堀切があり、荒神尾(あらかみお)城の主郭です。主郭には僅かに土塁が残っており、石の祠が祀ってある。主郭の周りには石積み跡も確認できる。主郭の西側には、段郭が4段残っており、上側の2つの段郭には石積み跡が残っていた。ココも眺めは×です、残念。

36°18′34.2″−137°59′45.5″、比高は計測忘れ、グランドから24分でした。
↑ 荒神尾城址、主郭跡 ↑ 荒神尾城址、主郭の石積み跡
↑ 荒神尾城址、堀切跡 ↑ 荒神尾城址、段郭跡
↑ 荒神尾城址、主郭跡 ↑ 児童公園左端の城址登り口
← 錦部小学校グランドよりの荒神尾城址遠望
  まだ2城しか攻城していないが、時計を見るとスデに12時半を回っている。う〜ん、どこで時間を費やしたんだろう。まぁ詮索しても時間は戻って来ない。この後、四賀村で2城ほど攻めて、時間があれば再度ビーナスラインを攻めてやろう、と考えていたんだが、...。トテモじゃないが無理、絶対無理。しょうがない、昼飯をどこかで食べて、豊科インターからトットと帰ろう。県道302号線で明科に向かうが、蕎麦屋もラーメン屋も現れて来ない。そうこうしている内に明科町に入ってしまった。市街地手前の篠ノ井線の跨線橋を渡る時、ナニゲに橋名を見ると「...城山...」と見えた。疲れていてもHYDの得意の動体視力は落ちていない。急ブレーキを掛け、跨線橋手前の大きな駐車スペースに鉄馬を停めます。でも・しかし、周りを見ても、どこにも「城山」と書かれているモノはない。それでも会田川が蛇行している絶壁上の小丘が、それらしい雰囲気であることに気付き、絶壁上の道を登って行きます。下を見ると、ズイブン真下に会田川が流れていて、足がスクみます。頂上部は平地になっており、公園になっていて主郭の雰囲気。ここでようやく城山公園、城山クラブなどの文字が現れた。しかし案内板や石碑はなく、城名などは分からず。城址の雰囲気はあるのだが、城名が分からなくてはツマラナイ、早々に引き上げ。駐車スペース脇には「大逆事件発覚の地」の木碑が立ってます。帰ってから調べてみると小谷(こや)城とのことである。
← 小谷城址、主郭跡
↑ 小谷城址よりの眺め
← 小谷城址、尾根道は絶壁
明科からはR19を南下です。途中、豊科インター近くでラーメン屋に入り、和風ラーメンで昼餉。喰い終わったら速攻で長野道に入り、後はヒタスラ八王子方向に進みます。千円高速で渋滞するかと思いきや、特に渋滞表示もなく順調・順調。「やっぱー、早い時間に帰るに限るナァ」などと一人ゴチていたら、笹子トンネルを過ぎてから「事故渋滞2Km」の赤い表示。「ゲェーッ、やっぱり好事魔多しだナァ」、これから2Kmがドンドン長くなると想像できるので、休まずに進むことに決定。大月近くになり、渋滞は「1Km」に減っている。よぉーっしゃぁ、長くなるどころか短くなっている、ウレシヤ。上野原近くが事故現場で、さすがにココだけは数珠ツナギ状態。無理してスリ抜けで進むと、イキナリに車が少なくなり事故のナマ現場。何と、鉄馬の事故である。ヘルは無残に裂かれて分散している。アスファルトに多量の血が流れている。被害者は救急車で運ばれたのか、現場にはなかった。命に別状が無ければ良いのだが。残念ながらヘルの破損状況や血の量では、超危ないかも。事故現場から離れて車が流れ出しても、ムチを入れる元気が出ない。チンタラ進んで相模湖インターで降ります。相変わらず土曜のR412は渋滞していて、ここでもチンタラ行進。ようやっと厚木に入り、鬼門の長後街道を進むも、輪を掛けてチンタラ。18時ジャストにご帰館、フゥーッ疲れたワイ。愛馬を甲斐甲斐しくキレイキレイしてあげ、熱っ〜い風呂に長時間入って準備OK。さぁイヨイヨ、儀式の開始です。「いっただきまぁ〜す」で、第3のビアーを咽喉に流し込む。本日550Km、イヤな疲れ方がチョチ気になるが、ビアーはうまい。でも明日は結婚式に出席して、祝辞を喋らなければならないから、あまり呑み過ぎないでネ、ちゃんちゃん。 
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