■  金井館  ■
■期日 H21年2月7日(土) 茨城県笠間市(旧友部町)・長兎路城・湯崎城・宍戸城・小原城、
                     笠間市・金井館・福田館
■ルート  戸塚自宅〜横新・第3〜玉川IC〜環八〜大泉IC〜外環・常磐〜岩間IC
        〜P43・P52・P16他〜笠間C〜R50〜太田C〜R407〜熊谷C〜R140〜花園IC
         〜関越〜練馬IC〜環8〜玉川IC〜第3・横新〜自宅
■コメント
  冬場は寒くて野駆けに出掛けない鉄馬乗りが多いが、ハマった中年ライダーは今日も行く。これまでは前の晩にタラフク呑んで、その勢いで早寝し、翌日は早起き、というパターンであった。でも、今回は「タラフク呑んでしまうと翌朝にアルコールが抜けていないので、事故を起こす可能性が高い、また貰い事故になっても、事故ったら大変なコトになる」という友人のアドバイスをシッカリ受けて、前の晩はカナリ少な目の分量。このため寝る迄に時間を要したが、アルが少ない分だけ目覚めは快調。で、5時チョチ前には出っ発です。この時間なら楽勝で外環も早朝割引(〜6:00)の恩恵が受けられるワイ。と順調に横浜新道、第3京浜と順当に進みます。環八も朝早いから快調に...、の筈がオカシイ。何故か車の動きが悪い。まだ乗り出して時間が経っておらず、身体と愛馬とが一体になっていないので、無理してスリ抜けを敢行せず、チンタラ進みます。まぁ、その内には流れ出すだろう、という思惑もありノンビリ構えていたのだが、チンタラが続く。余裕のヨッチャンの筈が、ドノドン時間が進み、とうとう谷原の交差点で6時になってしまった。何んてコッタァ、200円→400円の通常料金になったではないカァ。たった200円なのだが、落胆が落ちてショゲかえるHYD。ショウがない通常料金で走ろう。大泉インターに6時5分ごろ入ったが、何んと
ETCゲートが開かないアチャァー!、またETC機器の調子が悪いのカァ? 先週の日曜に、取付け角度(左右と上下)を仕様通りにピッタシ合わせたので、今度こそ絶対に大丈ブィ、と踏んでいたのだが。う〜ん、ETC機器を新しいのに取り替えた方が良いのだろうか。でも取り替えても結果は同じような気もするし...、と考えながら進むから、危険が危ねぃ。と、分かっているのだが、アレコレ考えてしまう。真の原因は何だろう? と。それでも、外環から常磐に入る頃には、走ることだけに徹していて、サッキのことは忘却の彼方に。考えてみれば、自動車道を戻る訳には行かない、400円を踏み倒したコトになる。まぁ、払う意思はあったのだから、相手が取らなかったのだ、と考えることに(ヲイヲイ)。で三郷の料金所入り口で、又してもETCゲートが開かなかった。「オー・マイ・ゴーッ」、どうなっているんだぁ。東京以東は鬼門なのカァ? 横浜新道も第3京浜も全く問題なかったつぅーのに。サスガに2回目なので、またウダウダ考えながら走ってしまった。といって、答えが出る筈もないのだが。岩間インターで降りるが、当然にゲートは開かず。スグに脇に停めてETCカードを取り出し、係員に渡します。ETCによる通勤割引にはなるが、面倒臭いったらない。ここから、県道43号、52号、16号線と走り、常磐道の西側の長兎路地区に入ります。常磐道を越えて100m先の左(南)側の竹林の中が長兎路城です。だだっ広い平野に建った城かと思いきや、南(涸沼川側)は低地になって切り立っている。空堀、土塁、虎口などが残っているが、住宅化や墓地化が進むと遺失するかもしれない。
↑ 長兎路城、主郭跡 ↑ 長兎路城、主郭への虎口跡
↑ 長兎路城、主郭の土塁跡 ↑ 主郭脇の空堀跡
  続いて同じ県道16号線を西に進みます。1Kmも走ると、道路脇に「湯崎城本郭跡200m」の小さな標識が立っている。ここを左(南)折して100m進むと、右手が本覚寺で左手が湯崎城です。主郭の一部は本覚寺の墓地で、周りが伐採されて整地工事中のようである。どうやら墓地化が進む雰囲気で、チョチ心配。それでも、主郭端には石碑が立っており、脇に空堀・土橋・土塁・虎口跡が残っている。あちこちウロウロしてみたが、どうやら遺構はこの周辺だけのようである。耕地・墓地化で無くなったのだろう。土塁に囲繞されたスリ鉢状の遺構があるが、何の目的で築いたものやら。
↑ 湯崎城、主郭跡 ↑ 湯崎城、空堀・土橋・虎口跡
↑ 湯崎城、空堀跡 ↑ 湯崎城、土塁で囲繞された遺構
  県道16号線を西にドンドン進み、「宍戸郵便局前」信号を右(北)折して500mも進むと、陣屋地区に入り、末廣稲荷神社が右手にあります。この小さな神社は、宍戸城の土塁上に建っています。宍戸城は広範な城域だったようだが、市街地化で遺構はこの土塁跡だけのようである。
← 宍戸城、土塁跡 現在は末廣稲荷神社
  次いで、県道193号線を北東に進み小原地区に。「小原神社」信号を右(南)折し400m進むと、その名も御城稲荷神社です。神社境内と周辺が小原城址です。案内板をフムフム読み、ウロウロ開始です。立派な堀跡があったようだが、耕地化で最近埋めてしまった、とかなんとか書いてある。どうやら耕地化でかなり消失したようだ。それでも土塁跡が神社の裏側や少し離れた薬師堂そばに残っています。遺構は失われたが、その事跡をシッカリ残してあるのはウレシイ
↑ 主郭、土塁、堀跡 ↑ 土塁、堀跡
↑ 薬師堂そばの土塁跡 ↑ 小原城址、鳥居横の案内板
 R50に入り、笠間市街へ進みます。途中、「上市原」信号を左(南)折し、中市原地区に入ります。地区に小さな別雷神社がるので、これを目印に進みます(注意:真新しい神社なので移転したようである、MapFanの地図の位置と少しズレている)。この神社の南100m辺りが下市原城の居館跡で、裏山が詰城です。「急斜面でない+ブッシュが少ない」ので直登して山上部に進みます。頂上部は昔は開墾されて畑地だったようだが、現在は竹薮+ブッシュです。地図を見る限り、畑地までの道があるようだが、直登した辺りからの中心部への道は無く、竹薮・ブッシュがすごくて内部に侵入できない。でも敢えて敢行するのがHYD、無理して入り込みますがヤッパリ何も見えず。しょうがないので立ち木にヨジ登り、辺りを見回します。でも想像したように竹薮とブッシュの海で何にもなし。この海の脇には土塁や切岸がある(確証持てず)。
↑ 下市原城址、居館跡 ↑ 下市原城址、主郭跡
↑ 下市原城址、土塁跡 ↑ 下市原城址、遠景
 R50を西にさらに進み、「金井」信号を右(北)折して、県道39号線へ進みます。最初の信号が佐城小学校手前にあるので、これを左(西)折して200m進むと笠間学校給食センターです。センターの北側の50m先の山裾周辺が金井館跡です。館は西と東の二つに分かれていて、西側のソレには、土塁・空堀跡が少し残っています。圧巻は東側の館跡です。矩形の土塁跡と空堀跡が完璧に残存してます。土塁も高く残っており、虎口もよく残っています。土塁は北側部分に少し折れがあり、北側の空堀には水が残っているので、堀跡かもしれない。西・東とも、現在は個人の屋敷になっています。許可無く中をウロウロする訳にはいかない。あいにく、東側の宅は留守のようで、内側からの探訪はしませんでした、残念。
↑ 西遺構の土塁、空堀跡 ↑ 東遺構の土塁、虎口跡
↑ 東遺構の土橋跡 ↑ 東遺構の土塁上の稲荷神社
↑ 東遺構の折のある土塁跡 ↑ 東遺構の空堀跡
 ここから県道39号線を佐城小学校から北へ200m進むと、右(東)折する道がある。これを道なりに500m進むと、「大井神社」への標識が立っている。コレに従い森の中を進むと、小さいが格式高い大井神社です。山道は狭いので軽四輪以外では無理でしょう。で、ココで大ミスをしてしまった。いつものワン・パターンで、神社境内周辺が大渕館跡だろうと思ってしまったのだ。で、空堀・土塁跡が残っている筈とウロウロしたが見当たらず。残念ながら遺構は無くなったのダァ、と早トチリしてしまった(帰館してから調べ直すと、大井神社の西側の山林の中だそうな)。で、そんなコトとはツユ知らず、攻城済みとして1Kmほど東北側の隣の福田地区に入ります。地区に入ると山裾に香取神社が見えてくる。で、すかさず神社の鳥居前に進みます。この神社境内周辺が福田館跡です。比高も低く、全体的に丸みを帯びた丘で、本当にココに館があったのかとサスガに心配になる。それでも、神社の左右両方向に、直線状の空堀跡が残っていて一安心。でも、この堀って、どういう意図なんだろうかしらん。防御には関係無さそうで、不思議な遺構ではある。
↑ 大井神社
↑ 香取神社、鳥居 ↑ 香取神社と空堀跡
 さぁてとぉ、朝のドタバタで、朝飯を食べソコなっていたコトに気が付いた 苦笑。ここで遅めの朝食(というか、昼飯でも遅い時間)を摂り、腹が一杯になったトタンに、朝のモヤモヤがブリ返して来た。どうしてETCゲートが開かなかったのだろうか、と。考え出すと、だんだん気分が滅入って来てしまい、攻城のモチベが激減。こうなりゃぁ、走ってウップンを晴らしてモヤモヤを散じよう、と方向転換。で、スグさまR50を西に進みます。この道、トコロ・ドコロで高速道のように速度を出すバカが多いので楽しい。2車線区間では80Kmでは遅すぎて、流れに乗れないから超危ない。でも、ETCゲートのモヤモヤがあっても、別のアンテナは感度良好。ココは絶対にヤバイなぁ、って思う場所では急減速して走り続けます。そういうのを3、4回もした時、ナニゲに陰に隠れている白馬に乗った制服を着たお兄さんを発見。目と目が合ってしまったが、メータ表示80Kmでは絶対に捕まらない。「エッヘへー」と嘲り笑い、アンテナの高ゲインに凱歌を上げるのでした。そうこうして小山に入り、バイクのお師匠さん宅を急襲。でも単身赴任のお師匠さん、どうやら単身赴任を短期解消して、自宅に帰ったようである、残念。ここからR17を南下して帰ろうと思っていたのだが、もう少し走りたいココロなので、R50をさらに西に向かいます。太田迄進み、ここからR407で南下し熊谷へ。ここからR140を進み花園インターから関越道に入ります。朝のETCトラブルで一日中モヤモヤが続いていたが、果たして「今度はどうだぁ!」と気合を入れて進むと、パッカァーとゲートは小気味良く開いた。う〜ん、正常である。でも、ある意味、モヤモヤが募ったかもしれない。新座の料金所でもゲートは問題なく開いてくれた。環八は相変わらず渋滞しているが、1時間超を覚悟していたのに、50分で玉川インターから第3京浜に入れた。横浜新道も順調に進んで、薄暮の中を思ったより早くご帰館。薄暗い中、愛馬の世話をしてキレイ・キレイに。館の中に入ると、着替えもソコソコに湯船に入って、汗を滝のように流します。風呂を出て、汗も引かない内に食卓に着けば、「イッタダキマ〜ス」の合図で、ビアーをゴクリ・ゴクゥ〜ン。「う〜ん、うんめぇー」と言葉が出てしまいます。本日420Km走行、下道を結構走ったから心地よい疲労がたまらんぜよ。明日は日曜、ゆっくり休んでからETCの謎解きをしてネ、チャンチャン。

■謎の解明■
 いろいろ考えたが、設置したETC機器が原因ではないと98%断定できる。そうなると、ETCゲート側の問題としか考えられない。メチャ長くなるので、この結論に至った理由は省略する。で、HYDと同じようなトラブルがないかWeb情報を探しに探した。すると、数少ない情報の中から、「最近のETCゲートは、カメラや車幅センサーなどから2輪と4輪を弁別し、登録した情報と異なる(いわゆる自主運用)バイクの場合は、ゲートを開けないようになっている」らしいという情報にブチ当たった。「げぇーっ! マジかよー、イヤガラセをしやがって」、とメチャ道路公団(新しい正式名を知らないので旧名)を非難。そういやぁ、新しいゲートばかりでトラブっている気がする。東名や第3京浜などの旧いゲートでは、全く問題ないしぃー。この情報はカナリ正しいだろう。しょうがねぇーなぁ、正式なバイク用ETCでも取付けようかしらん(ヲイヲイ)。現在取付けているETC機器での割引恩恵は、ユウに10万円を超えているからネェー。
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