■  彦部屋敷  ■
■期日 H21年1月25日(日) 【群馬県】桐生市・前八王子砦・茶臼山砦
                     ・内膳館・彦部屋敷・手臼山砦、
                    太田市・台源氏館・世良田館・新田館
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3〜玉川IC〜環八〜練馬IC〜関越〜花園IC
       〜R140・R17〜伊勢崎C〜P68〜桐生C〜R50他〜太田C
       〜R354他〜伊勢崎C〜熊谷C〜R140〜花園IC〜関越
        〜練馬IC〜環8〜玉川IC〜第3・横新〜自宅
■コメント
  昨日はハム仲間と焼肉店で盛り上がってしまい、イツモのように呑み過ぎで帰宅。それでも、酔っ払った頭で目覚ましだけは掛けて寝たらしい。けたたましい音量の電子音が鳴り響き、七つ(4時)に起床である。う〜ん、まだ頭と腹の調子が良くないが、起きてしまったからには出掛けよう。今日は久し振りに上野の国を攻めるツモリである。冬用の下着や鎧・兜等を着込み、外へ出てみると地面は濡れている。「オンヤァ? 確か、ご託宣は○だった筈だが」、どうやら雪雲の関係でこの辺りだけ雨が降ったようである。で鉄馬に掛けてあるブ厚いカバーを取り外そうとして驚いた。カバーがバリバリに凍っている。地面は濡れているが、気温が低くて凍ったようだ。コレだけ寒くて雨で濡れているということは、場所によっては
凍結しているトコロが絶対にあるに違いない。最初の鉄馬(CB400SF)で、橋上の凍結部で転倒・滑走したシーンが思い浮かんで来る。出掛けるか/取り止めるか、う〜ん、どうしようかしらん。でも出した答えはバカ丸出し。前方をシッカリ見て慎重に走れば何とかなる、であった。で、横浜新道をぬふわKmで、第3京浜を+αで走るバカ(ヲイヲイ)。幸いに、路面は凍っておらず、6時チョチ前には練馬インターに入ります。完璧にETC早朝割引の恩恵が受けられるワイ。ところが・どっこらしょ、新座料金所のETCゲートに入ったが、あろうことかゲートが開かない。真ん中のスキ間を走り抜け、転倒はしなかったが、危ネェーところだった。どうもおかしい?横浜新道・第3京浜の2箇所のETCゲートは問題なかったし、アレコレ悩んだETCのアンテナ部もキッチリ完璧だったと思ったのに。考えれば考えるほど混乱・惑乱・脳乱してくる。しかし鉄馬に跨って走っている、アレコレ考えにフケる訳にはいかない、下馬してから考えよう。とは思っても、次から次と妄想が湧いて出て来る。ソレを断ち切りながら花園インターで降りてR140、R17と走り伊勢崎市に。この辺りでは、サッキの妄想は吹き飛んだ。そんなコトを考える余裕がなかったのである。その理由は極低温。鉄馬のメータに表示された気温は−6.0℃、「サッブー」。どうやら横浜と東京周辺だけに降雨があったようで、埼玉以北は道路は完全ドライ。もし雨でも降っていたら、凍結→即転倒だナァ、くわばら・クワバラ。そうこうしている内に、ようやっとでお日さんが出て来てくれた、これから気温は上がるだろう。伊勢崎からは県道68号線で桐生に入ります。「阿左美下原」信号を右(東)折し、県道78号線を1Kmも進むと、標識の無い信号機があり、脇に「東毛少年自然の家」への案内標識があります。コレに沿って進むと山懐の「自然の家」です。駐車場の隅ッコに無断で鉄馬を停め、「自然の家」の山側へ続く舗装道を登ります。すぐに「不整合入り口」の案内標識があります。不整合って何だろう、とゴク自然な疑問が湧きますが、気にせずに山道を登ります。するとサッキの疑問が氷解です。古生代の地層が地表に現れている場所があり、そこの案内板に「年代的に不整合な箇所がある」ようなコトが書かれている。高校時代、あまり地学に興味が無かったコトもあり、今もコレっぽちも興味が無い。なので、立ち止っただけで山道を登って行きます。山道はハイキングコースで整備されており、駐車場から13分で前八王子砦の主郭跡に着きます。山道脇に古井戸跡がありますが、それ以外には遺構はなさそう。八王子山の石碑がある場所からは、これから攻める茶臼山砦(TV・ケータイ用のアンテナ・中継所が林立している)が一目で分かります。
↑ 主郭跡 ↑ 井戸跡
← 城址石碑ではありません、八王子山の碑
  八王子山からも整備された山道で、早朝ウォーキングの地元の方も多い。井戸跡から7分で茶臼山砦に到着です。サスガにTV放送・中継所、ケータイ基地局が数多く建っているだけのコトがあり、ここからの眺めはスゴイ。朝モヤもかかっておらず、なお更にスンバラシイ。ユックリ辺りをヘイゲイしてから肝心の遺構を見ようとウロウロするが、ハキとした腰郭がある程度で、他には見当たらなかった。景色が良かったから、まぁ文句は言わない。
茶臼山砦、主郭跡  
↑ 茶臼山砦、腰郭跡 ↑ 主郭よりの眺め
  山道が整備されているものだから、帰りは走って(山用語で早く歩く意)下山します。68号線に戻り、これを北上し桐生市内に入ります。なおも進み「本町3」信号を右(東)折して県道227号線を東に進みます。1.5Kmも走ると菱小学校があり、東100mの所に小さな市立菱幼稚園があります。この周辺が内膳館址ですが、宅地化で遺構はなし。幼稚園の北側の隣の民家の玄関脇に木碑が立ってます。木碑の側文に、裏山の詰城のコトも書かれているが、どの山がソレなのか分からないのでパス。
↑ 木碑の立っている民家 ↑ 幼稚園よりの詰城
  次いで桐生市内に戻り、今度はR50を東に進みます。太田市との市境に近い所に広沢高架橋があり、手前の「松原橋」信号を右(南)折すると、「彦部家屋敷」への案内標識があります。この標識では分かり難いですが、何んとか国指定文化財の彦部屋敷に到着です。この屋敷と周辺が中世・戦国期の館跡です。入り口の立派な長屋門がオイデ・おいでと誘ってくれますが、見学料が500円と高いのと、案内板のモン言に、家系が平安の御世から現在と連綿と続いているようなコトが書かれていて、ちょいとハナに付くので中へは入らず。屋敷の周りをウロウロしましたが、外からでも土塁、堀、空堀、櫓台跡が見えます。
↑ 屋敷の長屋門 ↑ 堀と土塁跡
↑ 櫓台跡と堀・空堀跡 ↑ 屋敷長屋門と裏山の手臼山砦跡
  彦部屋敷の案内板にも、また近くの賀茂神社の付近の案内地図にも書かれている手臼山砦址が気になった。彦部屋敷の裏側のフェンスに沿って進むと山側に進む道がある。これを進んでも良さそうだったが、賀茂神社前の案内地図に明記されている賀茂神社から登ることにした。境内に「句碑の道」標識があるので、コレに従って整備された山道を登って行きます。地元の方の秀逸な俳句の石碑が道案内してくれます。「城山...」というような、城に関した句があったりで、十分に期待が持てます。神社から5分登ったところで、手臼山砦跡への分岐点があり、ここから句碑と分かれて山道を登って行きます。分岐から7分で手臼山の頂上です。小さな石の祠が祀ってあるが、特に手臼山と分かるモノはありません。砦というにはホド遠い地形で、とても遺構とは思えない。それでも西側に空堀跡がウッスラ確認できます。でも・しかし、やはり納得がいかない。実は300mほど西方向の先に、それらしい雰囲気を持っている山が見えるのです。この山がなかったら、ムリヤリにでも納得して下山したんだろうナァ。でも、あの山こそ手臼山だろうと決め付けてしまい、ケモノ道のような道を進んでしまった。数分を掛けて、ようやく山頂に到着するも、ここにも遺構らしきモノは無し、ガックリ。ウロウロしていると、「杉ノ入山225.4m」の標識を発見。2.5万分の一地図で、225.4m標記の三角点のある名無し山である。う〜ん、超ガッカリ
 屋敷の長屋門
↑ 手臼山砦、賀茂神社境内の登り口 ↑ 手臼山砦、主郭跡
↑ 手臼山砦、空堀跡 ↑ 主郭よりの眺め
 神社に戻ると、3人の地元の方々が愛馬を囲んでジロジロされている。イタズラされたらカナわないので、「どうしたんですかぁ?」と後から声を掛けると、「ランプが点きっ放し、バッテリーが上がっているかもヨー」という返事。「ゲッェー、マジにランプが点いている、上がっているかも」と瞬間的に思った。が、スグに冷静になり、点いているのはヘッドランプではなく駐車灯だと気が付いた。しめた、これなら大丈夫かも。急いでキーを挿し、ヒネってみると勢い良くセルは回ってくれた。う〜ん、ウレピー。でもヒト安堵の後の方が大変だった。地元の方は喋り好きな方バカリで、ナカナカに開放してくれない。10分以上もオシャベリにお付き合いして、名刺まで頂いてヨウヤクさよなら。この後、R50を進み太田市に入ります。中心部から県道2号線を西に進み、由良地区に入ります。地区の北之庄公園の一画の西ハズレに、大きな石碑が2基立っている。この石碑は台源氏館跡で、新田義貞が誕生したと伝えられる館跡である。宅地化で遺構は見当たりません。
↑ 立派な石碑2基 ↑ 台源氏館、案内板
 この後、帰るにはマダ時間がタップリあったので、R354で旧尾島町へ進みます。このR354もR17の国道も本道、旧道、バイパスがあるのでナカナカに難しい。R17(上武道路)から世良田地区に入るR354を進むとスグに「世良田」信号である。ここを左(南)折します。この辺りは、徳川館、大舘館など館址が多い地域で、これらの館はスデに攻城済である。で、「徳川発祥の地」「東毛歴史資料館」などの標識が出てくるので、歴史資料館に進みます。資料館の西側は公園になっており、世良田館の案内板が立ってます。園内に浅い堀跡が残っているが、それ以外はなさそう。
↑ 世良田館、堀跡 ↑ 世良田公園
 徳川と関係深い東照宮や長楽寺周辺をブラブラし、R354に戻って西にさらに700mも進むと総持寺です。この境内周辺が新田館址ですが、宅地化等で遺構はない。ここも新田義貞誕生の館という伝承がある。
↑ 総持寺、鐘撞堂 ↑ 総持寺、山門
  さぁてとぉ、まだ日は高いがソロソロ帰ろう。なんたって、夕方に行われる朝青龍×白鳳の千秋楽対決を是が非でも見たいのである。で、R17を南に下り、R140で花園インターから関越道に入ります。でも・しかし、又してもETCゲートは開かなかった。「アッチャァー、ETC機器が壊れたのカァ?」。モウ十二分に元を取っているので、買い替えても良いんだが...。でも取り替えても結果は同じような気がするし、エコに反するナァ、などとバカなことを考えながら進み、新座の料金所です。当たりの然でETCゲートは開かない。しょうがなく路肩に鉄馬を停めます。珍しく、スグに係員が飛んで来た。「これまでこんなコト無かったのに、今日2回目...」とブツブツ言いながらETCカードを渡します。調べて貰うと、入った花園の記録は残っていたようだ。すると新座の料金所だけが鬼門なのカァ? う〜ん、分かんねぇー。こういうモヤモヤ状態でETC機器を新品に取り替えても、結果は同じだろうナァ。などと走りながら考えてしまいます(危ないチューの)。環八をクリアするのに1時間以上を想定していたが、(日曜+渋滞時間に早かった)せいか、40分で玉川インターに。ここから第3京浜、横浜新道と飛ばします。なんつぅーても、千秋楽の横綱対決が見たいヨー。でも、関越の料金所でのトラブルが足を引っ張った。とうとう横新の川上インターを出たところで17時半になり、万事休ス。こうなりゃぁ、安全運転に徹しよう(ヲイヲイ、そういう問題ではないだろう)。富士山の夕焼けシルエットが残る時間に御帰館。この後、愛馬を丁寧にキレイ・キレイしてあげ、カバーを2重に掛けて館に入ります。この後、熱っーい風呂にタップリ入り、汗を流してヒカラビ状態になります。イヨイヨ最後の儀式、「いっただきま〜す」でゴクン・ゴクン、「プッワァー、うんめぇーぃ」、今日もビアーがうまいゼヨ。本日の350Kmは、ちょち走り足りなかったかも。明日は会社だから、(ビアー+焼酎)はホドホドにね、チャンチャン。
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