■  下小池城  ■
■期日 H20年12月7日(土) 【茨城県】阿見町・立の越城・島津城・塙城
                           ・上長館・下小池城・福田城、
                          稲敷市(旧江戸崎町)・二条城
■ルート   戸塚自宅〜横新・第3京浜・環八〜大泉IC〜外環〜三郷JCT
        〜常磐道〜桜土浦IC〜R125〜阿見T〜R408等〜稲敷C
        〜R125・R51〜潮来C〜R355〜行方C〜湖畔道等〜土浦C
        〜R6〜日本橋〜R1・〜目黒通〜玉川IC〜第3京浜・横新〜自宅
■コメント
 
寒波襲来、冬型の気圧配置である。冬になれば当たりの然に寒くなり、日も短くなるので野駆が億劫になるが、悪いコトばかりではない。冬晴れが続き天気が安定しているという大きなメリットも享受できる。防寒対策+凍結路回避で、十二分に楽しめるのである。で、山側は避けたいので、凍結路回避で選んだルートは常陸国の霞ヶ浦周辺とした。先週と全く似たルートなので手抜きとも言えるが、湖畔に沿った堤上の道が良かったのが再訪の理由である。忘れていた、モウ一つ理由があったのだった。例のETCゲートが開かなかった件が、本当に解決しているのか念を押して確認したい。まぁ、理由はともかく、七つ(4時)に起き出し、七つ半(5時)に出っ発です。昨晩はアマ無線仲間との忘年会で、ハシャギ過ぎて呑み過ぎ+喰い過ぎ、ちょっと体調不良かも。こんなんで検問に引っ掛かったら、残留アルコールで絶対にマズイ。てなわけで、珍しく慎重に走ります。このため、大泉の外環道のETCゲートに入ったのは、八つ(6時)に3分前くらい。ギリギリ早朝割引になって200円で、「開門」と叫びます。この外環道、40数Km長で200円というのは割安感が強い。で、三郷ジャンクションから常磐道に入りますが、北風が強いのでチンタラ(それでも、ぬふわKmはキープ)走って桜土浦インターで降ります。何事もなくETCゲートは開き、通勤割引900円の表示がウレピー。さぁてとぉ、先週は湖の東側から回ったが、今日は西側から回るツモリ。下道に降りるとR125(バイパス道)である。これを南下して、5、6Kmも走ると阿見町に入り、県道203号線と交わる「阿見西郷バイパス」信号です。この信号の300m土浦寄りに、供養塔がR125道路東側に立っている。供養塔がある舌状の小丘が、立の越城の城域です。供養塔前のスペースに鉄馬を停め、20m南側の未舗装道を谷地へ下って小丘の中ほどまで進みます。すると聖徳太子の石碑があり、ココを入っていくと太子堂です。ココからさらに台地の先端部に向け、ブッシュをかき分け進みます。すると小さな石の祠が祀ってある主郭跡に入ります。周りに土塁・空堀・腰郭の遺構が待っています。超太い竹や雑木、ブッシュでウロウロ出来ないのが残念ですが、朝イチで迷わずに遺構を見られると、思わずガッツポーズになります。
↑ 立の越城址、主郭跡 ↑ 立の越城址、土橋跡
↑ 立の越城址、太子堂入口 ↑ 立の越城址、腰郭と切岸跡
← 立の越城址、バイパスよりの遠景
  そのままR125バイパスを東方向に進み、島津地区に入ります。よく注意しないと分かりませんが、阿見飛行場への道(信号はあるが、標識無し)があるので、これを進みます。飛行場への入口の20m手前で、左(西)折して狭い道を進みます。300mも進むと民家が数軒の地区に出ます。ここまで来ると道の左(南)側に竹薮と竹薮の間に横堀跡が見えてきます。島津城址です。横堀は折が入っており、幅広です。左側の切岸を登ると主郭で、現在は畑地です。小さいが立派なお稲荷さんの祠が2基祀ってあります。耕地化でも土塁と帯郭はよく残っていて、うれしくなります。
↑ 島津城址、主郭跡 ↑ 島津城址、横堀跡
↑ 島津城址、町道よりの入口 ↑ 島津城址、飛行場入口前よりの町道入口
 R125を1.5Km程戻り、「?(失念)工業団地」信号で県道231号線を南下します。1Km強も走ると君原小学校への標識が出てくるので、これに従い小学校に。君原小学校の隣に、立派な君原公民館があり、この前の道を北東に進むと、三角地形の頂点部分に「塙城址」の案内板があります。この部分は二股に道が分かれていますが、右側の狭い道をドンドン進むと、舌状台地の突端の手前が主郭です。主郭には小さなお稲荷さんの石の祠が祀ってあります。主郭内・脇には土塁や空堀がよく残っています。台地の先端部も郭で、腰郭や切岸がよく分かります。案内板近くの民家にも土塁跡が認められ、かなり広い城域であったコトが分かります。地元の人の話では、大きな二重の堀跡もある遺構も同じ塙地区にはあるということでしたが、訪ねてみると民家の敷地内だったので、何となく今回はパス。離れた場所から見ても、この堀は確認できます。
↑ 塙城址、主郭跡 ↑ 塙城址、帯郭跡
↑ 塙城址、虎口跡 ↑ 塙城址、土塁跡
塙城址、案内板 
 次いで県道25号線に入り、西に進んで上長地区に入ります。県道から上長公会堂(公民館)に進み、さらに北西側に100mも進むと幅50m位で奥が深そうな竹薮の場所に出ます。この竹薮の奥の方が上長館跡。中心部に石の小さな祠が祀ってあり、周りにはウッスラと土塁と空堀跡が確認できます。ウロウロしましたが、周りは沼田ですので昔は堀代わりだったと思われます。
↑ 上長館址、主郭跡 ↑ 上長館址、空堀跡
← 上長館址、遠景
 県道25号線に戻り、50m先にある信号機のソバの電柱に、「理想科学工業」への標識が出ています。この標識に沿って信号から南下します。大きな理想科学・工場敷地の南側に小池城址公園があり、園内の奥の方が下小池城址です。公園化で遺構は消失かと思いましたが、土塁、二重空堀、土橋、虎口など遺構は良く残っています。副郭と主郭間にフェンスが張ってあるのが不可思議、というかオカシイ。最初はフェンスで主郭内に入れないのかと思ったが、1/3程はフェンスが無く、自由に出入り出来ます。なお公園からは、牛久大仏の胸辺りから上体が見られますヨ。
↑ 下小池城址、主郭と土塁跡 ↑ 下小池城址、主郭の土塁と空堀跡
↑ 下小池城址、主郭脇の空堀跡 ↑ 下小池城址、副郭の土塁跡
↑ 下小池城址、副郭の虎口跡 ↑ 下小池城址、副郭の空堀跡
↑ 下小池城址、案内板 ↑ 小池城址公園よりの牛久大仏
 理想科学へは町道を途中で右(西)折したが、ココを曲がらずにそのまま南下すると福田地区に入ります。突き当りが高照寺です。この境内は福田城址の城域です。主郭は寺の西側で、民家の間の小道を進むと、土塁上にお稲荷さんの祠が祀ってあります。切岸、横堀、腰郭跡が残っています。
↑ 福田城址、主郭跡 ↑ 福田城址、主郭の土塁跡
↑ 福田城址、副郭跡に建つ高照寺 ↑ 福田城址、副郭と切岸跡
 う〜ん、12時前だというのに阿見町の6城を攻城したワイ、手抜きだったけれど。まだまだ阿見町には城址があり、未練が残るが次に行こう。ってんで、さらに南下しR408に出ます。今度はR408を東に駒を進めます。稲敷市(旧江戸崎町)に入って2Kmも走ると、左手山側に江戸崎化学工業の工場が見えてくる。工場を過ぎて最初に左(北)折できる狭い道を道なりに山側に進みます。切通しの狭い急坂の道を登ると二股になり、どちらを選んでも2軒の民家の近くに出ます。民家周辺が二条城の城域で土塁、空堀跡が垣間見られます。個人の敷地内なので、許可を得てからウロウロしたいのだが、お留守らしい。しょうがないので、付近をチラチラで攻城終了です。
↑ 二条城址、土塁跡 ↑ 二条城址、土塁跡
二条城址、空堀跡  
 R125を進み、潮来からはR355で湖を北上です。今回は時間の都合で、無料になっている霞ヶ浦大橋でショートパスします。橋を渡り終えたところで、湖畔の堤上の道を進みます。同じ道を先日は朝モヤの中に進んだが、今日は日が傾いて夕日っぽい情景の中を進みます。遥か遠くに牛久大仏の上体が望まれ、ナカナカに楽しい。でも、信号が無い道なので、アッという間に終点。混雑した土浦市内を抜け、R6のバイパスに入ります。まだ15時半なので、今日も下道だけで帰館するコトに決定。で、所ドコロで渋滞にハマりながらも、メッタに切れずにR6を進みます。日本橋を過ぎ、コクイチ(R1)で五反田辺りから目黒通りに進み、玉川インターから第3京浜です。この後、横浜新道に入り19時前にご帰館です。よくよく考えたら、潮来からノンストップだった、疲れる筈だわナァ。それでも疲労困憊の身体にムチを振って、愛馬をキレイキレイして上げます。ようやくに家に入り、着替えが終わったら、「いっただきま〜す」でスタート。ゴクゴクと第三のビアーを咽喉に流し込むHYDでした。本日360Kmと少ない距離ながら、8つの攻城はマァ頑張ったね。早く休んで疲れを取ってよネェ、明日は会社だから。
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