■  額田城  ■
■期日 H20年11月9日(日) 【茨城県】東海村・石神城、那珂市・額田城、
                           常陸太田市・久米城・山入城
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3京浜・環八〜大泉IC〜外環〜三郷JCT
      〜常磐〜桜土浦IC〜R6〜東海V〜P62・R293他〜常陸太田C
      〜R293・P61・R123〜水戸C〜R6〜日本橋〜R1〜五反田
        〜目黒通〜玉川IC〜第3京浜・横新〜自宅
■コメント
 今度の土曜は午前が小雨で昼から曇り、日曜は曇り・降水確率は20%というご託宣が発報された。このため日曜に野駆に出掛けるべく、土曜の昼過ぎから愛馬の手入れを行った。といっても、さほどのコトではなく、乾いたウエスで少しキレイ・キレイにした後、初回点検の際にオイル交換してから3000Km以上走行しているので、オイル交換をDIYで行っただけである。この後、ジョギングをして汗をタップリ流し、シコタマ酒を飲んで早めの就寝。翌日曜は4時過ぎに起き出し、諸準備を済ませて5時前に出っ発です。今日は大東京を横切り、常陸国に駒を進めるツモリ。横浜新道、第3京浜と進み、環八で大泉インターに。ここから外環に乗ります。6時前に乗れたので、早朝割引の400→200円はウレシイ。三郷ジャンクションから常磐道に入るが、入り口の
ETCゲートが開かなかった。真ん中のスキ間を通り抜け、コケるようなコトはなかった。「ゲェーッ、危ねぇー」。しかし後続車もいるので、そのまま走り続けます。オカシイ、ETCのアンテナ部を正規に近い取り付け方法に変更してから、こういうエラーは一度もなかったのに、どうしたんだろうか。といっても、その答えは出るべくもなく、桜土浦インターで降ります。当然に、出る時もETCゲートは開かないワナァ。脇に鉄馬を停めETCカードを取り出し、飛んで来た係員に事情を話します。意識的に金を払わずに通行する車・バイクが多い中、HYDのような正直者は少ないのか、係員の対応はスコブる良い。どうやらエラーになった原因はココでは分からないらしい。最初のエラーが出た時点で、調べないとダメなようである、さもありなん。インターから水戸街道(R6)に入り、これを北上します。土浦、水戸などの大きな都市部はバイパス構造になっていて、渋滞に巻き込まれずに東海村に入ります。「石神T字路」という交差点で右(南)折し、800mも走ると、左(東)手に「石神コミュニティセンター」です。この20mほど先の道路脇に、「石神城址公園」への小さな案内標識が立っています。この標識が2箇所ほどあり、コレに沿って進むと公園の駐車場です。園内をウロウロして分かりましたが、他にモット大きな駐車場があります。城址公園として整備されていますが、駐車場・トイレなどがキレイに整備されているだけで、遺構は全く(?)改変されておらず、東海村の史跡保護の方針が超ウレシイ。他の地区も真似して貰いたいモノである。入り口から入って先ず驚いたのは、広〜い三の郭。この広さ、ちょっと半端ではない。これだけ広くて、どうやって守るんだろうか。この矩形の郭の周りには、幅広で深い空堀が廻っており、土塁も四囲に良く残っている。この郭内の端に、立派な案内板があります。土橋・虎口を経て隣の二の郭(実城)も同様に広いが、少し形がイビツである。用水路(田んぼ)側に、妙に出っ張りがある。不思議なコトに郭内は草地になっているが、郭の中ほどにポツンと黄色い実をイッパイ付けた柿の木が立っています。昔と異なり、柿の実なんて誰も取らないんだよネェ。二の郭の外側にソレナリの大きさの主郭がある。ここにも土塁・空堀・土橋・虎口跡が残っている。三の郭・二の郭内は草地でダダッ広いが、主郭のそれには背丈の高い草や樹木があってウロウロしづらい。このため、ここからの眺めはイマイチです。
↑ 石神城址、主郭跡 ↑ 石神城址、主郭の空堀跡
↑ 石神城址、三の郭跡 ↑ 石神城址、二の郭と土塁跡
↑ 石神城址、土橋跡 ↑ 石神城址、遠景
↑ 石神城址、三の郭跡の案内板
 R6に戻り、R6を800m程水戸側に戻ると「二軒茶屋」信号で、ここを右(北)折して県道62号線を北上します。県道を道ナリに進んで500mも走ると、右(北)手に額田小学校が見えてきます。県道を挟んだ南側の一帯が額田城です。先ずは小学校前の信号より東100m手前に、南に入る狭い道があるので、ここを南下します。民家と民家との間の狭い道で、車で通り抜けるのはキツイかと思いますが、鉄馬なら何のその。簡易舗装の道が畑道となり、コレに構わず少し走ると土橋跡です。左右は幅広で深い空堀です。なおも進むと二の丸跡と表示された広〜い副郭です。内部は畑地で、花を主体に植えられている。見るからに土塁跡と分かる盛り上がりが、この畑地の外側に部分的に残っています。さらに進むと行き止まりで、額田城の案内板が立っています。ここから四囲を廻った堀跡を越えて主郭に入ります。主郭内部は、樹木が伐採されていないため、広くは感じませんが、結構広〜いです。土塁も北側を中心に残っている。堀底に降り立ちますが、今も少し水が流れており、当時をホウフツさせてくれます。う〜ん、さっきの石神城は大きかったが、この額田城もナカナカの大きさである。で、一人ウロウロ探検隊は鉄馬に跨り、城址遠景のデジ写真でも撮ろうかと、谷津を隔てた向かい側に行った。すると、ズイブン離れているのに、空堀跡や土塁跡があるではないか。特に阿弥陀寺の境内の土塁は高く残っている。他にも竹薮の中を覗き込むと空堀であったり、と想定外の城域の広さです。どうやら石神城より遥かに大きい城域のようである。遺構の保存性はどちらも立派、ニッコリです。(後から調べて分かりましたが、額田小学校も城域のようです、う〜ん広い!
↑ 額田城址、主郭の土塁跡 ↑ 額田城址、主郭の堀跡
↑ 額田城址、主郭の空堀跡 ↑ 額田城址、二の郭跡
↑ 額田城址、二の郭の空堀跡 ↑ 額田城址、土橋跡
↑ 阿弥陀寺の土塁跡 ↑ 額田城址、二の郭の案内板
  う〜ん、2つも続けて保存性の良い城址を拝ませて貰った。次はどうだろうかナァ。ってんで、額田小学校横のR349を北上し、常陸太田市からはR293を西に向かいます。5Kmほど走ると、久米地区に入ります。「久米」信号を右(北)折して、狭い道を300mも走ると地区の交番・郵便局です。ここから右前方(北東)に見える小山が久米城です。交番から300mで鹿島神社参道の鳥居の所に出ます。鳥居脇に鉄馬を停め、急斜面の参道を登ります。ほどなく小さな神社に出ます。イツモのパターンでは神社周辺が主郭の筈ですが、久米城の場合は違っていて、神社のズゥーッと奥になります。でも、しかし、もの凄いジャングルで全く進めない。かなりの無理(正しい日本語では無謀という)をしてまで進攻するHYDでさえ、全く進めない。5mも進まない内に、完璧に諦めモードに移行。とにかくブッシュが凄いのである。時間を掛けて無理して主郭まで侵攻したとしても、このブッシュでは意味が無いだろう。と、自分自身に言い訳して引き上げるのでした。それでも、神社参道から左手に分岐する道を進み、支城の竜貝城を攻めます。こちらはNHKのTV中継所が建っていて、保守用の登山道があるので攻めやすい。中継所ということもあり、ここからは一部見晴らしが良いです。この中継所の尾根伝いに南西側に進むと、堀切が2条残っていて郭跡と土塁跡も確認できます。元の参道に戻り、途中から山側に分け入ると、ここにも堀切、土橋、段郭が残っています。どうやら支城の南城のようです。この久米城も支城を合わせるとズイブン大きな城だったようです。
↑ 久米城址、主郭脇の鹿島神社 ↑ 竜貝城址、堀切跡
↑ 竜貝城址よりの眺め ↑ 久米城址の遠景
  久米交番前の道を北上すると、大きな県道62号線に合流しますが、この道を真っ直ぐ北上し続けます。すると県道29号線と交わり、今度はこの29号線を北上すると松平地区の「松平」信号です。ここを右(北)折せずに、さらに29号線を進むと、山田川に架かる新山田川橋となり、これを渡って200m先の右(山)側に、「山入城登り口」の標識が立っています。脇には「要害山林道開通記念」の石碑があります。この要害山の山頂が、山入城です。標識があるトコロを見ると、これは簡単に攻城できそう。ってんで、脇の小川に架かる橋を渡って、出羽地区に入り、山を巻くように道を500m進みます。すると山(北)側へ進む林道があるので、この砂利道を進みます。...が、この沢に沿った林道を進んでは行けません、×です。この砂利+湧き水の多い林道をコケそうになりながらズイブン進みます。途中で山仕事をされている方々にお会いしましたが、「この林道では要害山へは行けない」と言われ、ガックリ。イロイロ訊くと、「この林道の入り口の北50mに、もう1本別の林道の入り口がある。この道が要害山の途中まで伸びている」そうです。コケそうな砂利道をユックリ降りて戻り、教えて貰った林道を登ります。最初の100m程は砂利道ですが、その先は舗装されていて快適にグングン高度を稼げます。舗装道の終点付近は柿の木がある畑地で、ズイブンと眺めが良いです。ここに鉄馬を停め林道を登ります。が、スグに林道は途切れます。ここから左手の山道を登り、鉄馬の所から5分弱で主郭です。途中、堀切や土橋跡、3段の段郭がありました。主郭内は草地になっていて、案内板が立っています。主郭後方には櫓台跡があり、石の祠が祀ってあります。この先にも堀切が2条残っていました。この櫓台は結構高いのですが、この上からでも眺めは×でした、残念。

■36°35′57.8″−140°28′42.8″、舗装終点からの比高は49mです。林道のお陰で苦労せずに攻められますヨ。
↑ 額田城址、主郭跡 ↑ 額田城址、主郭脇の堀切跡
↑ 段郭手前の土橋跡 ↑ 額田城址、主郭の案内板
↑ 額田城址、林道終点よりの眺め ↑ 額田城址、遠景
 さぁてとぉ、今日は広大な城が多くて、ウロウロし過ぎて疲労が疲れてしまったワイ。エナジーが残っている内に帰るとしよう。帰るルートは先ず水戸に出て、その後で水戸街道(R6)をチンタラ帰るのも面白いかも。朝飯をシッカリ食べたモノだから、まだ腹が減っていないが、減った時点で街道沿いのラーメンでも食べようカナァ。と走り出したのは良いのだが、水戸に近付くにつれ車が多くなり大混雑。ラーメン屋の方もドコモかしこも駐車場が一杯で、店内は混雑しているようだ。このため昼飯抜きで、渋滞にもキレずにR6の水戸のバイパスにたどり着きます。ここからは2車線が多いので、結構スムースに走れる。順調に進んでいたが、突然にヘルのシールドに雨粒がポツポツと来やがったぁ。ヲイヲイ、今日は20%というご託宣ではなかったのかヨォー。でもポツポツ程度で、それ以上には降ってこない。降られてもヘル越しの前方視界が悪いホドで、濡れずに何とか進みます。「このまま降らずにいてくれよナァ」と祈ったのはいうまでもない。この祈りが届いたのか、それとも20%の呪縛が効いたのか分からないが、所どころでポツポツには遭ったが、全く濡れずに常陸から上総国に入ります。このドタバタで、とうとうラーメンにあり付けなかったゾイ。柏、松戸辺りが例によって混雑しているが、ここでもキレずに進み、江戸川を越えて花のお江戸です。信号待ちの時間が多くなり、時間がドンドン経っていきます。日本橋を渡って、ここからはコクイチ(R1)を進みます。五反田から目黒通りに入り、玉川インターから第3京浜。ここでも、またポツリ・ポツリと来やがった、最後の最後まで、クッソォー。それでも濡れたと思っても、走っている間に乾いてしまい、とうとう濡れずにご帰館です。18時ちょち過ぎの時間で、少し夕飯まで間があったので、グラベル走行の泥ッパネをキレイにして食卓に着きます。「いっただきまぁ〜す」のゴングで、今日も第三のビアーでカンペイ、もう長いコト飲んでいないから本物ビアーの味を忘れてしまったワイ。本日410Km走行と、浮かれた走りをせずに、落ち着いた距離に戻ったのでした、チャン・チャン
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