■  見川城  ■
■期日 H20年12月20日(土) 茨城県】水戸市・河和田城・見川城・長者山城・武熊城・吉田城・平戸館
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3〜玉川IC〜環八〜大泉IC〜外環〜三郷南IC
       〜R298〜三郷IC〜常磐〜桜土浦IC〜R6〜水戸C〜R51〜鹿島C
       〜R124〜銚子C〜R126・P30〜長生V〜P84〜茂原C〜R409
       〜木更津北IC〜館山道・アクアライン・首都高〜永田IC〜R1他〜自宅
■コメント
 どうやら週末の土曜は、師走とは思えないほど暖かくて
のようである。となると、先生も走るほど忙しい中ではあるが、こちとらぁそういう俗事は気にしない性質(たち)、走らなければオサまらない。で行き先はというと、最近立て続けに攻城している常陸国の水戸、そう黄門様のお膝元。例によって早起きして、5時前には出っ発です。横浜新道、第3京浜とソレナリのスピードで進みます。う〜ん、この快調ペースで進めば楽勝に早朝割引が得られるナァ、などと一人ゴチながら進みます。...だったのだが、環八でマタしても引っ掛かった。甲州街道と交差する辺りで事故渋滞である。ズイブンと早起きした分、余裕のヨッチャンだった筈なのだが、ジリジリと時間だけ過ぎていき、気はアセれど一向に進んでくれない。とうとう我慢ができず、迂回して遠回りで×部分を回避。学生時代の4年間、下高井戸に下宿していたので、この辺りの地理に結構明るいのである。ここを迂回すると環八はスムーズに流れており、6時チョチ前のギリギリで外環・大泉インターに入ります。早朝割引200円の表示で、思わず「ヤッタネェー」。ところが好事魔多し、流れに乗って外環を走っていたのだが、あろうことか三郷ジャンクションで降りるのをボケーッと忘れてしまい、終点まで行ってしまった。「チクショウ!」と自分に言い聞かせても始まらない。かといって外環に再度上がって、短い距離を割引なしで400円も払うのは超バカらしい。のでR298で三郷インターに戻り、ようやく常磐道に入ります。常磐道に乗ったのは良いが、スグにマタしても事故渋滞にツカまってしまった、今日はどうなっているんだろう。スリ抜けの連続で事故現場をヨウヤクに過ぎます。う〜ん、今日は事故が続くナァ、こういう時は慎重居士になって運転しよう。ってんで、こんなに超遅で走ったコトなどない二桁の速度で進みます。ドン亀トラックの後にクッ付いてもガマンです。新しい愛馬には、1秒毎の瞬間燃費表示をしてくれる機能がある。ヒマ(?)なので、この表示を見ながらチンタラ走ったが、このままで進めば30Km/L近い値を叩き出すに違いない。とか何んとか言っている内に桜土浦インターです。首都圏を脱出すればコッチのもの、ココから先は下道で水戸に行く予定です。途中で(牛ミニ丼+トン汁+生卵+シンコ)セットでイツもの朝飯を済ませ、朝モヤの残る水戸に入ります。ここからR50バイパスと県道30号線で河和田地区に入り、河和田小学校前に到着です。小学校隣の療育センター(幼稚園?)付近が河和田城の主郭ですが、大きな土塁跡や僅かな堀が残る程度。小学校南西側のウッソウとした森の部分は個人の敷地ですが、スゴイ土塁・堀の遺構が眠っています。ただ、誰の所有地なのか分からないので、許可も得られないため遠くから眺めるだけ。それでも2重の堀と土塁が見事。城域はかなり広く、少し離れた報仏寺の境内にも土塁・堀跡が残っています。また天徳寺側にも堀跡が認められます。遺構はかなり消逸してしまっているが、朝イチでスゴイものを見せて貰った、ウレシヤ。朝のゴタゴタをスッカリ忘れてしまっているHYDである。
↑ 河和田城址、主郭の土塁跡 ↑ 民家(副郭)の2重の堀の一つ跡
↑ 報仏寺(副郭)の堀跡 ↑ 報仏寺(副郭)の土塁跡
↑ 報仏寺山門 ↑ 河和田城址、遠景
  次いで千波湖近くの桜川に架かる弘文橋のタモトに行きます。その名も「弘文橋通り」という道路なので分かりやすい筈。西側の橋のタモトに見川城の石碑が立っています。この石碑、さっきの河和田城の石碑と全く同じような石碑だなぁ(どうやら水戸市のメボシイ史跡には統一された石碑が立っているようである、う〜ん水戸市、アンタは偉い)。で、肝心の遺構であるが、市の中心部にある遺構なのに「」である。主郭内部はブッシュが凄くてウロウロ出来ないので、比較的歩きやすい土塁上をグルーッと回ったが、四囲の土塁・虎口・空堀が良く残っている。副郭も土塁・空堀が残っていて超ウレシイ、というか驚・サプライズ。これからも破壊されないことを祈るのみ。
↑ 見川城址、主郭跡 ↑ 見川城址、主郭の空堀跡
↑ 主郭の土塁上の祠 ↑ 見川城址、二の郭の虎口跡
↑ 見川城址、二の郭の土塁跡 ↑ 見川城址、三の郭と堀底道?
← 見川城址、通り脇の石碑
  大満足の次は、R123を北上します。田野川に架かる田野川橋の50m南側に老人福祉センター・長者山荘がある。この東側一帯は河岸段丘の林になっている。センターより3〜400m地点の林部分が長者山城であるが、センターからの道は無い。センター前の信号より100m南側の道(信号無し)を東に入って、400mも進むと左手(西側)にゴルフ練習場跡がある。この練習場の田野川側が副郭跡で、土塁・空堀が残っています。50m東側が主郭であるが、現在は個人の敷地なので注意が必要です。主郭を取り巻く空堀と土塁の一部が残存してます。個人の住宅への道の途中には、例の石碑(但し、城址の石碑ではなく一盛長者伝説の石碑)が立ってますヨ。
↑ 長者山城址、主郭跡 ↑ 長者山城址、主郭の空堀跡
↑ ゴルフ練習所跡裏の横堀跡 ↑ 主郭跡への道、石碑は長者伝説地
  この後、R123、R118、R50、R51と進みますが、これらの国道はズゥーッと続いていて、間違わない。進んでいる内に、桜川に架かる柳堤橋を渡り柳町地区に入ります。柳町2丁目に水戸南社会保険事務所があり、隣が竹隈公民館です。公民館敷地の端っこに武熊城の石碑が立っていますが、遺構は柳堤を築いた際に破壊されたようで消失。
武熊城址、公民館脇の石碑 
  柳町から真南に1Kmほど行くと元吉田町の常照寺です。寺は島状になった小丘の上にあり、麓の山門前に、例の「吉田城址」石碑が立っている。本堂の後ろ側に堀・土塁、また本堂手前の山門の左右にも空堀跡が残っています。近くの常照寺池から眺めると、島状になった城域に雰囲気が漂ってます。
↑ 吉田城址、本堂裏の空堀跡 ↑ 吉田城址、山門脇の空堀跡
← 吉田城址、山門脇の石碑
   R51に戻り東に向かって進みます。大洗町に近付いた所で県道2号線に入ります。2号線に入って300mも進むとR51との丁度真ん中辺りに、小さな村社・吉田神社が田んぼの中に見えてきます。近付くと鳥居の脇に「平戸館跡」の石碑。でも耕地化で遺構はなし。それにしても、今日は全ての城址に石碑が立っていた。こういうコトって、そうそうには無い。繰り返す、水戸市、あんたは偉い
平戸館跡、吉田神社鳥居脇の石碑 
 さぁてとぉ、ソロソロ帰るとしよう。来た道をそのまま帰るというのも芸がないので、R51を南下して帰るとしよう。鹿島からは霞ヶ浦を廻って帰ろうカイな。てなコトを考えながら、太平洋を眺めながら南下します。途中、R51は鹿島灘から離れてしまう。そうなると太平洋を見たくなるから不思議である。よぉーし、それなら鹿島からはR124で銚子へ進み、九十九里を満喫してやろう。と短絡思考に走るHYD。順調に銚子に入り、ここからR126を進み、旭市に入ったら県道30号線で海そばの道を九十九里に沿って南下します。ズイブンと走り、日が傾き始めた時にハタと気が付いた。「しまった、調子に乗り過ぎた、このままでは館に帰れないゾォ」と。マップル(バイク用地図帳)で帰路をアレコレ考えるが、今の時間なら下道では到底無理、絶対無理。頼みの東京湾フェリーも、富津に到着する前に最終船は出てしまっているだろう。となると、アクアラインを走るしかないカァ、高いけど。まぁETC割引で安くなっている筈だから、昔のように5、000円近くをブッたくられるコトもないだろう。長生村から県道84号線で茂原に入り、ここからR409で木更津を目指します。日もトップリ暮れてしまい、暗い山道を進み木更津北インターから館山道に乗ります。木更津ジャンクションからはアクアラインに入ります。ETCゲートをクグルと「1450円」の表示が。「エェーッ、マジかよ?」、こんなに安くなっているとは知らなかった(後で調べてみたが、ETC通勤割引でアクアラインが1200円で、それ以外が250円であった)。こんなに安いのなら、アクアラインを使わない手は無いワナァ。でも、そうなると首都高速の600円が「えらく高けぇーっ」と吼えます。その首都高速に乗り、快調に飛ばしてベイブリッジを過ぎると、ニワカに怪しくなってきた。猛烈に混んでいる。というか止まったまま。今日3つ目の事故渋滞である。首都高は東名などのチャンとした高速道と異なり、かなり狭い道なのでスリ抜けが難しい。でも難しくてもやらなくては夕飯までに帰れない。ギリギリの所をクリアしながら何んとか進み、永田インターで降ります。ここからも渋滞しているので、抜け道を進み19時丁度に、ご帰還。ギリギリで夕飯にセーフ。愛馬の世話もせず、風呂にも入らず、着替えをしただけで食卓に着きます。で、「いっただきまぁ〜す」の合図で第3のビアーを咽喉に流し込みます。ふぅーっ、今日もビアー(うそ、第3のビアー、クドイ)がうまいぜよ。本日450Kmも、事故渋滞が多かった一日だったナァ。明日は我が身、気を付けようネ、チャンチャン。
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