■  小泉上の城  ■
■期日 H20年10月25日(土) 【長野県】上田市・小泉上の城・小泉下の城
                       ・小泉館・旗鉾館
                       ・須々貴上の城・須々貴下の城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央〜須玉IC(ETCカード取替)
       〜諏訪南IC〜P17・R152他〜白樺湖〜R152〜武石〜R254・P65等
       〜上田原〜P65・R254・R152〜富士見T〜P17〜北杜C〜R20〜長坂T
       〜P617〜長坂IC〜中央道〜相模湖IC〜R412〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
 どうにも・こうにもハマッタ中年は始末に悪い。
「晴れ」のご託宣が出たものだから、今日も勇んで出っ発です。それでも10月下旬である、夏の日が長い頃と比べるとズイブンと遅れて5時チョチ過ぎであった。夜遅くまで降っていた雨の影響で、ウエットの道を厚木・相模湖と進みます。イツモのように相模湖インターからは中央道に乗り、西へヒタ走ります。途中、これまたイツモのように須玉インターで一旦降りて、ETCカードを交換して通勤割引の享受区間を延長します。そして諏訪南インターで降りるのもイツモと同じ。県道17号線等を進みますが、アイニクの朝霧でスピードは控えめ。こういう日には自重しないと危険が危ない。とか言いながらも、新しい相棒はそうはさせてくれず、もっと鞭をとセガんでくるので困ったモノだ。軽く一捻りで、ぬふわKm超になってしまう。困ったモノである。で、イツモのようにビーナスラインを走ろうかと思いきや、ここで強い自制が働いた。@濃い霧で50m程しか視界が利かない A白樺湖畔で8℃で、車山辺りは4℃以下と思われる(=凍結) の2点でアキラメ・モードに移行、そのままR152を進むのでした。途中、平井寺トンネルでお賽銭を払い、県道65号線で上田原に出ます。ここからR143で西に進み、「小泉」信号で県道160号線を北へ進みます。下室賀地区の「押切」バス停横の道を左(東)折して専念寺の前の道を進んで山懐に入ります。じきに簡易舗装道から砂利道になります。ココで鉄馬を降りるか、強行して登っていくか悩んでいると、四輪に乗った地元の方から声が掛かります。「ここからは止め山だから入れないヨォ」っていうコトである。確かに、林道の左右の山には入山禁止の看板が立っている。ココで挫けずに、「城山(じょうやま)へ登るツモリである、決して山側には入らない、わざわざ横浜から来た、云々」と哀願。乗っていた2人で相談をしていたが、「怪しくない」風体だということらしく、「この車に付いておいでなさい」という有難いお言葉が。で、この四輪の後を付いて登り始めたが、すぐにアキラメた。@グラベル走行に慣れていない Aまだコケたくない B雨の影響でドロドロ道で滑りやすい C荒れた林道 の4重苦では無理である。四輪だけ先に行って貰って、舗装道の所まで戻ります。ココに鉄馬を停めて、林道を歩いて登ります。2.5万分の一地図を見る限り、最初の登りがキツイだけで、後は傾斜は緩やかで楽そう。たぶん1時間は掛からないだろうと断定。キツイと思った最初の方も、林道というコトでさほどキツくない。歩き始めて14分で左右への分岐点に。ここを右に進み、27分で林道の終点です。ここから整備された中部電力の鉄塔保守用道路があるので、これを登ります。林道終点から4分程でNo.128の鉄塔基部です。ここからスグに石の祠が祀ってある小泉上の城の主郭です。石積で補強された土塁・切岸、幾つかの堀切や郭跡が残ってます。主郭からの眺めはNGですが、少し下の鉄塔基部(ここも郭跡かも)からの眺めはグッゥーです。この基部でマッタ〜リして下山します。

■36°24′18.0″−138°10′53.5″、比高は338mと結構あります、ノンビリ登りましょう。
↑ 小泉上の城址、主郭跡 ↑ 小泉上の城址、石積み跡
↑ 小泉上の城址、堀切跡 ↑ 鉄塔基部よりの眺め
↑ 鉄塔基部よりの眺め、中央は子檀嶺岳 ↑ 小泉上の城址、遠望
↑ 小泉上の城址、
       下の城よりの遠望
 次いで、小泉地区の国宝・大日堂へ進みます。狭い本参道を進み、冠木門脇を過ぎた所で鉄馬を停めます。冠木門は寺の門であるが、この舌状台地の先端部は小泉館跡なので、それらしく見えてしまいます。でも雰囲気はあるものの、農地化・宅地化で遺構はなさそう。
↑ 小泉館址 ↑ 小泉館址
  さらに本参道を進み、別当の高山寺の駐車場に鉄馬を停め、奥の大日堂へ。この左手の裏山が小泉下の城ですが、なかなか登り口が見つからない。大日堂の裏側の墓地には城山への登山道がある。でもコレを進んでみたが、左手の山へは行けそうにもない。本堂に戻ってウロウロして、ようやくに見つけた。大日堂の左側に弘法大師堂があり、この左側の道を進むと、墓地の中に尾根に通じる道がある。大日堂から8分で、石の祠が祀ってある下の城の主郭です。ブッシュが多くて、ウロウロ出来ず。堀切跡は辛うじて分かる程度で、縄張り図が無いと堀切とは分からないカモ。主郭下には石積み部分もあり、石積みフェチのHYDを喜ばせるのでした。登っている途中の禿山状の所からは、割と眺めが良かったが、主郭周辺は残念ながら×です。

■36°23′54.9″−138°11′05.2″、比高は116mです。
↑ 小泉下の城址、主郭跡 ↑ 小泉下の城址、主郭下の石積み
↑ 小泉下の城址よりの眺め ↑ 小泉下の城麓の大日堂
  先ほどの狭い参道を下り、浦野川に架かる橋の一本手前の道を左(西)折すると、スグに旗鉾館跡です。現在は道路で分断され、さらに農地化・宅地化で遺構はなさそう。でも浦野川側は雰囲気がプンプンですヨ。なお、この橋より下流側の橋のソバに、小泉氏に関する立派な石碑が立っている。でも、碑文を読む限り、小泉館とは直接関係なさそう。
↑ 道路で分断された旗鉾館址 ↑ 旗鉾館址よりの眺め
 小泉地区から北東側の隣の下之条地区に入ります。地区の消防団の裏側に幾つかの工場のブロックがあり、この山懐に「風林火山」の赤い幟がヒラヒラする須々貴神社への入り口があります。工場脇に鉄馬を停め、神社への登り口に向かいます。で、階段下に立って、上部を眺めてアゼンとなります。急な階段で、ズゥーッと上まで続いています。一体何段あるんだろうか、恐怖さえ感じるほど。でも入り口脇に登るための杖が置いてあるので、皆さんココを登られるようである。こちとらぁ元山岳部員、こんな階段程度に尻込みする訳にはいかない、意を決して登り始めます。こういう場合は「休まず、急がず、でもテンポ良く」が、この手の登り方である。これを確実に実行して、休み無しの7分で階段を登り終えます。ここから右の小丘に進むと、スグに須々貴神社で、須々貴・下の城である。石積跡が残る郭で、ここからの上田原や塩田平、上田市などの眺めはです。
↑ 須々貴下の城址 ↑ 主郭跡に建つ須々貴神社
↑ 須々貴神社への登り口 ↑ 須々貴神社への階段
 先ほどの階段上の所に戻り、今度は左(南)側の山頂部を目指して登ります。4分弱で石の祠が祀ってある須々貴・上の城の主郭です。石積の部分もよく残っていますが、当時のモノと混ざって後世のモノもあるようである。また、幾つかの堀切が残っています。ココからの眺めは最高に良く、先ほどの下の城がスグ下に見えます。遺構はトモカク、上田原古戦場ほかを眼下に見晴らせる絶景の地です。キツイ登りですが、上田周辺の城の位置関係を実見するには絶好のポイントと思います。

■36°24′11.6″−138°12′01.8″、比高は計測忘れです。
↑ 須々貴上の城址、主郭跡 ↑ 須々貴上の城址、主郭下の石積み
↑ 須々貴上の城址、副郭の石積み ↑ 須々貴上の城址、主郭脇の堀切跡
↑ 須々貴上の城址、主郭よりの眺め ↑ 須々貴上の城址、主郭跡
↑ 須々貴上の城址の遠望
  あの階段の下りもキツかった。膝のクッション効果を考えながら下りたが、膝がガクガクいっている。う〜ん、あの程度で、このテイタラクでは元山岳部が泣くワイ。「もっとトレーニングしなくちゃ」とは思っているのだが、新しい鉄馬と一緒に遊び回るのが楽しくて・楽しくて...。メモを見る限りココ2ヶ月間、全くジョギングもしていない。でも、そんなコトよりココは信州のかなり北の方、早く帰らなくちゃぁ。ってんで、ノウもなく来た道をそのまま戻ります。途中、県道17号線から諏訪南インターに入ろうかと思ったのだが、今の時間と距離を考えると、ココから高速に乗ると通勤割引が受けられそうにもない。という訳で、そのまま県道17号線を進んで北杜市に入り、ココからR20に。R20を走っていて頃合いも良くなったので、県道17号線で長坂インターへ向かいます。ここから中央高速に乗り、渋滞に巻き込まれず相模湖インターへ。「17時チョチ過ぎ+距離も95Km」とギリギリ通勤割引の恩恵を受けて高速を降ります。ここから混んでいるR412を厚木に向かいます。途中、ポツ・ポツと来たが、濡れるまでではなく、「気象庁のバカ野郎!」と叫ばずに済んで厚木に入ります。ココからいつも難儀する長後街道を進み、19時を少し回って無事ご帰館です。う〜ん、微妙なタイミングで夕飯に間に合った。この微妙な時間のため愛馬の世話も出来ず、手と顔を洗ったトコロで食卓に着きます。「いっただきま〜す」で、いつもの偽物ビアーで一人だけの乾ペイです。ゴクゴクと咽喉を通るのが何んとも美味いゼヨ。本日、山城3つの攻城と490Kmの走行、雨に濡れずに良かったネ、チャンチャン
★ ホームページのトップへ