■  城生城  ■
■期日 H20年11月2日(日) 【富山県】富山市(旧大沢野町)・猿倉城、
                       (旧八尾町)城生城・越中八尾城
■ルート   古川自宅〜R41〜大沢野〜P25〜八尾〜R471・R472〜角川
           〜R360・R41〜古川自宅
■コメント
  文化の日をハサんだ3連休は、イロイロ訳ありで飛騨の実家に帰省した。用件は到着した前日に済んでしまったし、百姓仕事もコノ時期では寒くて・寒くて何も無い(
というか、何も出来ない。という訳で、連休真ん中の今日は8時頃にユックリ起き出したものである。朝飯をシッカリ食べたトコロで、家の中でゴロゴロせずに新しい相棒と一緒に飛騨の道でも走ろうと考えた。そう、家でジィーッとしているHYDではないのである。愛用しているマップル(ツーリング用の地図帳)を開き、先ず目的地を探すコトにした。ページをメクっていると、R41沿いの富山の大沢野町(現在は富山市に編入)に「風の城」というポイントが記してある。ふ〜む、風の城とは一体なんだろう? 同じページの八尾町(ここも現在は富山市に編入)の中心部にも「城ヶ山公園」の標記がある。これはたぶんに城址公園に違いない。この二つを攻めてみようかしらん。この後、白木峰を巻くようなR472を走ったことが無いので、この道を使って帰って来よう。 という訳で、縄張図も何もある訳ではなく、そもそも城址かさえ分からない状態で出っ発です。R41は何十回も走っている道ではあるが、10年振りの神岡以北では結構新鮮。でも、相変わらず黄色い線が真ん中に引いてあるのは変わっていない。しかも交通取り締まりが厳しいのは良く知っているので、ドン亀トラックに忍従して付いて走ります。気が遠くなるほど時間が経過した気がするが、実は50分ほどで富山県に入り、旧大沢野町に入ると「猿倉スキー場」への案内標識が立っています。「おぉー、そうだぁ思い出したぁ、猿倉城っていうのが在った筈」。矢印に従って進むと、「風の城」への標識が出てきて、二つの名前がカブってくる。ということは、風の城=猿倉城ってコトかも。で、猿倉スキー場の上部の駐車場まで駒を進め、ここから奇妙な建物が建っている山頂への階段を登ります。一段登るたびにドンドン視界が開けてきます、こりゃぁ山頂での眺望が楽しみである。フゥフゥ言いながら階段を登って山頂に着くと、猿倉城址の石碑が立っています。でも、ウロウロしても遺構らしきモノは見当たりません、ガックリ。しかも石碑だけで案内板もない。オマケに奇妙な建物は、風力発電施設で城址とは何の関係も無い。風が強いのに回っていない風力発電+「風の城」と訳が分からんネーミング+ヤボったい建物=税金の無駄遣い。と、ボロクソであるが、景色だけは絶対にです。
↑ 猿倉城址、主郭よりの眺め ↑ 猿倉城址、主郭よりの眺め
↑ 猿倉城址、主郭の石碑
 まぁ、資料も持たずに訪ねたんだから、しょうがない。気分を直して次へ行こう。R41を少し戻り、新笹津橋から県道25号線を進みます。R41の新笹津橋から3Km程進んだトコロで、道路の右脇に何かの案内板が立っていて、「城」の文字が見えたような気がした。このような田舎の県道で、「官憲が絶対に居ない」と確信できるところでは、○○○のスピードを出しているのが常のHYDであるが、この動体視力には絶対なる自信がある。ので、急いで手綱を締めて停めます。○○○ものスピードを出していて、鉄馬は急に停まらない。ズイブン戻ってクダンの案内板を見ると、城生城の案内板であった。こういう城もあるんだぁ。まぁ、行きがけの駄賃である、寄って行こう。ってんで、狭い県道脇に駒を停め、矢印に従って小丘に入って行きます。周りは身の丈より高い草がボウボウですが、順路に沿った道は刈ってあり歩きやすい。地元の方の並々ならぬタマモノのお陰で、順路の標識も整備されています、アリガタヤ。先ずは本丸を攻めようってんで進みますが、石積みの土塁が迎えてくれて、石積みフェチのHYDは大喜び。主郭は狭いですが、僅かに残った土塁に囲まれています。立派な石碑も立っており、シッカリした案内板も立っています。簡易な縄張り図もあり、これを頭に入れてから、ウロウロ開始です。石積みで補強した土塁・土橋・切岸があり、何枚もパシャパシャとデジ写真を撮ります。横堀や畝状の竪堀、大きな空堀、井戸跡などナカナカに保存状態は良いです。中でも圧巻は天然の地形をうまく利用した10m以上の高さがある垂直状の空堀でしょうか。行きがけの駄賃と思ったのが、とんだ掘り出し物です、う〜ん●来て良かったワイ。
↑ 城生城址、主郭の石碑 ↑ 城生城址、副郭脇の横堀跡
↑ 城生城址、土橋跡 ↑ 城生城址、いたる所にある石積み跡
↑ 城生城址、いたる所にある石積み跡 ↑ 城生城址、畝状竪堀跡
↑ 城生城址、井戸跡 ↑ 城生城址、遠望
↑ 城生城址、県道25号線沿いの案内板
  さらにドンドン県道25号線を進み「風の盆」で有名な越中・八尾の中心部に。市内のアチコチに「城ヶ山公園」への標識があるので難なく目的地に到着です。公園全体が城址の雰囲気プンプンなのですが、ウロウロしても案内板のようなモノは見当たらない。越中八尾城の主郭跡と思われる場所には、訳が分からない模擬櫓が建っていて興醒め。グルグル回ったが、石碑も無いようである、残念・無念。まぁ、景色が良いので、...。
↑ 越中八尾城址、主郭跡 ↑ 越中八尾城址、段郭跡?
↑ 越中八尾城址、主郭よりの眺め
 この後、R472を進んだ。最初は快適な白い点線の2車線路で、こりゃぁメチャ楽しい。でもルンルン気分はものの5分も無かったような...。途中から酷道になってしまった。道がドンドン狭くなって、車1台がやっとの道の幅。先が見えない急角度のカーブの連続である。しかも簡易舗装と言い条、補修されていないので砂利道のような箇所も多い。これが行けども行けども続くのである。音を上げたのは言うまでも無いが、かといって戻る訳にもいかない。こんな所で先日のようにパンクでもしたら、どうなるんだろうかしらん。とにかくガマンを重ねて進みます。途中、スレ違った車は僅かに3台、追い越した車は2台と、この30Km程の区間にどれだけの車が居たんだろう。それでも、富山県から岐阜県に入った時にはうれしかった、半分は通過したはずだから。それでも酷道の悪路は変わらず、ガマンの子を続けるのでした。ヨウヤクに角川の人里が見えた時には、故郷の道ながら「もう絶対に走らないゾ」と思ったモノである。家へ帰ってから、ドロの跳ね上がった愛馬をキレイ・キレイしてあげ、〆は発泡酒。う〜ん、今日は僅かに145Kmの走行であったが、メチャ疲れた一日であったワイ。明日は横浜に帰らなければならない、早く寝よう。
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