■  藤沢城  ■
■期日 H20年10月4日(土) 【長野県】箕輪町・小式部城、
                      伊那市(旧高遠町)・中条城・藤沢城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央〜甲府昭和IC
      〜R20〜茅野C〜P16・P14・P19〜箕輪T〜P19・P207・R361〜高遠
      〜R152〜茅野C〜R20〜韮崎〜R50〜身延T〜R300〜本栖湖T
      〜R139〜富士宮C〜P72・R469〜御殿場C〜R138〜御殿場IC
       〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
 新しい相棒の初回点検が終わった。本当は1,000Km辺りで点検・整備するのが普通なんだが、ツイツイ
1,900Km超も走ってしまったワイ。でも大丈ブィ、これからは大事にして上げるからネ。って、相方にもツイゾ言ったコトのない言葉を愛馬に語り掛けるのでした、苦笑。サァ、これで慣らし運転は終わった訳である。これからはブイブイ言わしてやるワイ、...とは今のところコレッポッチも思っていない。何んとなれば、@まだまだ新馬に慣れていない Aあまりムチを振らなくても十分に速い(というか、例の調子だとサインを強請られソウ) のである。それにコノご時勢である、地球に優しい乗馬をしなくっちゃあ(いつまで続くことかしら)。さぁてとぉ、今日はどこへ野駆+攻城するかというと、前回の野駆の帰りにも見た藤沢城を攻めるツモリ。R152で杖突峠手前の旧高遠町藤沢地区の国道沿いに「藤沢城址」への標識が立っていて、いつも通るたびに「おいでオイデ」の手招きをしている。ところがである、いつもココを通るのは夕飯に遅れまいとして急いでいる時分で、「今度こそ」、「次には」と思っている城なのである。今日は、ここをメインにして、攻城より野駆けの乗馬中心で行くつもりである。とにかく、新馬に乗るのが楽しくて・楽しくて...。で、5時チョチ過ぎに館を出でて、一路相模湖へ。この日は珍しく遵法精神が高く、黄色い線は一回もハミ出さずに進みます。それでも館から1時間15分と、順調に相模湖インターから中央道に入れた。最近は、途中で一旦降りてETCカードを交換し、再び高速に乗って諏訪南インターまで高速を多用することが多い。のだが、今回はチョット昔に戻って甲府昭和インターから降ります。R20沿いの牛丼屋で、いつものミニ丼セットを食し、腹一杯になったトコロでR20を諏訪に向かって進みます。少し遅い時間に出っ発したこともあり、R20は丁度通勤時間にカブってしまい、ドン亀の軽自動車がヤタラに多い。それでもクサらずに、黄色い線をハミ出さずに、亀の後ろにピッタシくっ付いて移動です。茅野から諏訪湖畔の県道16号線を走り、県道14、19号線と走って蓑輪町に。北小河内地区に入ると、県道沿いに「無量寺」への標識が出ています。コレに沿って境内の駐車場に入ると、箕輪町の史跡等の大きな案内図が立ってます。全部で15,6の城址・砦址の標記がしてある。ヲイヲイ、蓑輪町にはこんなにあるのかヨォー、驚きである。攻城済みの城もいくつかあるが、殆どが未攻城。これは・これは楽しみである。で、案内板にある小式部(こしきが)城を攻めます。誤記ではありません、「ぶ→が」なのです。案内板には、途中の830m地点に寺山砦跡の標記もある。うまく探せられたならココも攻めてみよう。簡単な地図を頼りに駐車場の上の道を登っていくと、巨大な砂防堤の下に行き着く。「ふるさと歴史小図書館」の工事看板が立っているが、どこに建設されるのやら。堤の下に愛馬を停め、砂防堤の上方に続く林道を登って行きます。2.5万分の一地図を読みながら進んで行くと、18分で地図には標記されていない分岐点です。ここは左側の道を進みましょう。HYDは地図を読みきれずに右の道を進んでしまい、途中で戻って来ました。24分で「富士浅間神社」の案内板が林道脇に立っています。「オォーッ、案内板が整備されているではないか」。これならば小式部城への案内標識も有るに違いない、ウレシヤ。というのも2.5万分の一地図を見る限り、城址がある1130mの山頂から外れて林道が通っていて、林道から城址への登り口が分からないのでは、と危惧していたのである。まぁ、イザとなればヤブ扱ぎもイトわないのだが。続いて29分で尼寺跡の案内板があり、35分で果たして小式部城への案内板が立っていた。道も整備されていて、38分で主郭に到着です。主郭は、その名も小式部城山の山頂でもある。ココからの眺めは疎林でイマイチですが、大汗をかいてしまったので、しばしマッタ〜リ。この後、ウロウロを開始しますが、空堀、腰郭の遺構が残っている程度でした。
↑ 小式部城址、主郭跡 ↑ 小式部城址、空堀跡
↑ 小式部城址、主郭の石碑 ↑ 小式部城址、主郭よりの眺め
 帰りに、クダンの寺山砦跡を探します。特に標識等はなく、地図をたよりに830m地点で、それらしい地点にブッシュをカキ分け踏み入ります。果たして堀切跡と思われる地形を見つけるコトができたのだが、確信は持てず。とにかく、他に遺構らしきモノが見つからず、地形的にもなのです。まぁ、箕輪町には未攻城の城・砦址が10以上も残っている、よ〜く調べてからマタ来よう。
↑ 寺山砦址、堀切跡 ↑ 無量寺上の砂防堤よりの眺め
 次いで県道19号線を南下し、途中で県道207号線で高遠へのパス道を走ります。R361と合流したらR361を進み、高遠の中心部を経て、R152を杖突峠方向に向かいます。途中、中条地区に入ると、国道脇に「中条」のバス停があります。このバス停の後ろ側の河岸段丘上が●中条城です。バス停脇に新馬を停めて攻城開始。国道脇の崖が壊れないように崩落防止工事がしてあるが、よく見ると崖の端のほうに急斜面を流れる小川があり、これに架かる小さな鉄橋がある。この橋を進み、崖上に出ると荒れ放題の農地です。河岸段丘を利用した城なんだろうが、耕地化(現在は荒野)で遺構は確認できず。
↑ 中条城址、主郭跡 ↑ 中条城址、遠景
 さらにR152を北へ進むと藤沢地区で、左側にそれらしき山が見えて来ます。どうやら山頂部は伐採されている。これは楽しみである、眺めが良いに決まっている。と思う間もなく、何度も見てきた「藤沢城」への案内標識がR152脇に立ってます。これを進み、藤沢川に架かる小橋のタモトに愛馬を停めます。橋上から山裾を見ると、先ほどと同じ案内標識が山際に立っている。そこまで進むと、山上への整備された遊歩道が待っていた。この道をチンタラ登って行くと、橋から丁度8分で主郭です。思った以上に見晴らしがグゥーな主郭です。狭い主郭ですが、周囲の土塁も残っており、虎口跡もシッカリ残存です。天気も良いし、見晴らしも良く、しかも遺構も残っていてくれた、これはウレシヤ。当然、マッタ〜リしてしまいます。ノンビリしたところでウロウロ開始。幾つかの副郭も空堀・堀切・土橋もよく残っている。主郭に戻って周りを見やると、案内板に書かれているように、ココは松倉峠と杖突峠の両方を睨む要衝であることがよく分かる。地元の方が、案内板やら登山道をシッカリ整備されている気概も分かろうというものである。ありがとう、地元の皆様
↑ 藤沢城址、主郭跡 ↑ 主郭跡、背景は杖突峠
↑ 藤沢城址、主郭の虎口跡 ↑ 藤沢城址、副郭の堀切跡
↑ 藤沢城址、堀切・土橋跡 ↑ 藤沢城址、主郭の案内板
  さぁてとぉ、今日はこのくらいで勘弁してやろう。これからは当初の目的通りに走りに徹しようではないか。と、新馬とウナヅきあい、R152をナオも北へ進みます。茅野からはR20をチンタラ進み韮崎へ。ここからR50を南下して身延へ進みます。身延からはR300で本栖湖に進み、絶景の富士山ビューポイントも素通りでR139を南下。県道72号線で富士の裾野を巻いて、途中からR469を走ります。う〜ん、この道は何度走ったコトだろう、などと考えている内に御殿場です。チョチ混んでいるが、スリ抜けでインター入り口に入ります。17時チョチ前とズイブン早い時間なので、もしかして・ひょっとすると渋滞に巻き込まれずに帰られるかも。まあぁ、そんなにウマイ話はないワナァ。などと思ってはいたが、期待が現実になって渋滞無しで厚木インターです、ラッキー。それでも長後街道は、そんなにウマイ話は転がっておらず、チンタラとスリ抜けを強行しながら進みます。ようやく18時半に、ご帰館。当たりの然に、夕飯には楽勝にセーフ。新馬の世話をタップリしてから家の中に入り、汗を流さないで食卓に着きます。イヨイヨ、例の儀式です。そう、「いっただきまぁ〜す」の合唱とともに、美味いビアー(ウソいつもの発泡酒)を流し込むのでした。本日480Kmの走行、ヨォーッお疲れさん
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