■  水久保城  ■
■期日 H20年7月20日(日)【福島県】 金山町・中丸城・山内館・山内屋敷、
                            只見町・水久保城・館ノ川館
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3京浜〜玉川IC〜環八〜和光IC〜外環・東北
       〜羽生IC〜東北〜西那須野塩原IC〜R400〜金山T〜R252〜魚沼C
        〜R17〜塩沢石打IC〜関越〜駒寄PA〜関越〜練馬IC〜環八
         〜玉川IC〜第3・横新〜自宅
■コメント
  今回は要害山×3連チャンを計画した。場所はというと、奥会津の只見周辺である。昨年、この地を攻めた際、時間切れで攻め切れなかった城が多い。まぁ、横浜からメチャ遠いのでコレも致し方なし。で、懲りずにリベンジをしようというのである。でも、イロイロ調べてみると3つの要害山の内、梁取城は2.5万分の一地図を見る限り、難攻不落と見た。四方が崖の絶壁上に築かれており、登り口の情報も見つからない。只見方面はコレからも年に一度位は野駆けしたい気持ちもあるので、今回は布沢・要害山の梁取城をパスして残りの水久保城と中丸城の二つの要害山を攻めるコトにした。7月の3連休の真ん中で攻めるベク、前日の土曜は深酒・早寝の良い子。あくる日曜には降水確率も低いゴ託宣を得て、勇躍して早起きする中年オヤジがそこに居た。で、4時半に出っ発し横浜新道、第3京浜、環八と進み、途中で朝飯の牛丼を餉います。和光インターから外環に乗り、東北道へと進みます。途中、羽生インターで一旦降りてETCカードを取替え、再び東北道を北へ。ズイブンと高速道を多用して西那須野塩原インターで降ります。ここからR400で山側に入って行きます。塩原の街中を過ぎ、山を縫うR400をグングン進んで金山町へ。ここからR252で只見方向に進みます。途中、横田地区に入って間もなく、国道右(南)脇に中丸城の案内板が立っているのが目に入ります。うぅ〜ん、相変わらずの動体視力ではある。国道左側にも「中丸城址登山口」の棒状の標識も立っており、まぁ、余程のコトが無い限り見過ごすことは無いが(苦笑)。さぁてとぉ、先ずは横田・要害山の中丸城を攻めようか。とも思ったのだが、その前に山内屋敷と山内館を攻め落としてくれよう。案内板からR252を西に300mも進むと、道路右(北)側に山ノ内屋敷の案内板が土塁跡の上に立っています。鉄馬を停めてウロウロ、どうやら土塁だけが残っているようである。
山ノ内氏屋敷跡、土塁跡 山ノ内氏屋敷跡
← 山ノ内氏居館跡
 次いで、山ノ内館を攻めます。山入川の河口部に位置するが、それらしい場所で農作業をされている老農夫の方にイロイロ聞くも、耕している時に土器などが出てくるが、今は遺構らしきモノはないとのコト。でも、雰囲気はありありです。
  先ほどの案内板の所に戻り、今度は中丸城を攻めます。案内板の後ろ(要害山)側に登山道があり、これを登っていきます。線路を横切り、山林に入ると根小屋らしい削平地。ここから急坂だが、道の手入れが行き届いていて登りやすい。途中、垂直の崖になっている所を横に見るような場所がある。ナカナカに攻め難い地形ではある。汗をタップリ流して案内板から22分で、石の小さな祠が祀ってある主郭です。周りは樹林で、僅かに少し開けている所だけしか展望がきかないのが残念。主郭の周りは空堀になっているが、下草が刈ってないので、遺構は確認しづらい。腰郭などの遺構もあるが同様である。主郭内だけはキレイに下草が刈ってあるのだが。
中丸城址、主郭跡 中丸城址、主郭脇の空堀跡
中丸城址、主郭脇の腰郭跡 中丸城址、山麓の根古屋跡
山ノ内居館跡よりの中丸城址遠景 国道脇の案内板
 国道に戻りR252を魚沼方向に進んで只見町に入ります。すると日本のマッターホルンと呼ばれる蒲生岳が前方に見え、しばらく走ると只見役場でR289との分岐点です。ここでR289側に進み、只見川に架かる常盤橋を渡って100mで右(西)折し、最初の左(南)折道を曲がって山側に入ると台地状の地形が右手に見えてきます。この台地上に館ノ川神社があり、境内周辺が●館ノ川館跡です。ずいぶんと、だだっ広〜い削平地で周辺の切岸状の地形は遺構と思われる。それ以外の遺構はなさそう。
館ノ川館跡 館ノ川館跡
この台地から北側に見える山が只見・要害山で水久保城址。頂上部にアンテナ鉄塔が見える。R289に戻り、そのまま北進してJR只見駅脇の信号機の無い踏切を過ぎると瀧神社です。2.5万分の一地図によると、この神社の右の尾根の先端に登山道があることになっている。 ...が、地図にはシッカリ記されている道の筈なのに、標識等はない、無い、なぁ〜い。それでも、先端に近い所に道らしきモノを何とか見出し、無理して登り始めます。しかし登山道を登るというより、道なき道のヤブ扱ぎと言った方が断然に正しい。それでも上部に行けば、このヤブコギから開放されるに違いないだろうと楽観して登ります。這いツクバって進むと、果たしてヤセ尾根となり、岩がムキ出し状になっている場所では、ヤブコギから開放された。この岩場からの下界の眺めはスコブル絶景で、吹き渡る涼風も心地よくて、これまでのヤブコギがウソのよう。でも現実は厳しい、岩場を過ぎると又してもヤブコギである。オマケに急坂、アゴが上がりハァハァ・ゼイゼイします。う〜ん、地図を見た限り、道を誤っている筈はないのだが。それにしても、いつ作成された地図なんだろうか、全く古過ぎる。「責任者出て来ぉーい!」と叫んでも出てくる筈はないヨナァ。オマケに、お天とう様カンカンで超暑い。悪戦苦闘を続ける内、ヒョッコリ別の登山道と合流した。イヤ、合流と言うより、正しい(?)道に辿り着いたという表現が正しいカモ。勿論、この地点に標識等がある訳ではなく、今登ってきた道(とは言えないナァ、絶対に)に戻るのは至難の業である。念のため、ココに標識用の黄色い紙を目印として置いた。ここから、すぐに「タヌキの林」標識がある所を過ぎて、NHKのFM放送用の中継局に出ます。さらに登ると、NHKや民法のTV放送局がある南郭跡である。さらに進むと、電力会社のVHF中継局で、神社から45分要して水久保城の主郭でもある。残念ながら周りは笹薮になっており、遺構の確認がしづらい。それでも、周りの空堀や土橋が何とか確認できる。北郭跡や腰郭も良く分かるが、笹薮でウロウロ出来ないのがモドカシイ。要害山の山頂周辺には、幾つもの放送局・中継局があり、これらの無線機器等の保守用の林道がある。道は未舗装で悪路だが、四輪なら頂上まで登れそう。この林道部分は自由に歩けるので、幾つかの遺構が確認できる。この後NHK−TV放送局の所でマッタ〜リしますが、イマイチ展望がきかず、早々に退散の開始。で、先ほど出合ったチャンとした道を下って行くことにした。ドンドン高度を下げ、例の狸の林を過ぎて、なおも下って行きます。途中、登る時と同じような見晴らしの良い岩場もあり、こりゃぁ楽勝に麓に降り立てるワイ、と一人ゴチたモノである。ところがドッコイ好事魔多し、だんだん降りるに従い、隣のスキー場に近付いていくではないか。う〜ん、麓の瀧神社からズイブンと離れてしまうが、まぁヤブコギよりはマシだよネェ。...と、思っている内にコンクリートの脚部跡を過ぎ、ススキが繁茂している場所に出た。ところが、ここで道が途切れてしまった。ウロウロしても道が見つからない。えぇ〜い、ママヨとばかり進めそうな所を攻めていくが、途中で背丈よりも高いヤブ・ブッシュ・トゲトゲで身動きが出来ない。モガいても全く進めない。元の場所に戻り、違うルートで攻めますが、結果は同じく敗退。これを何度も繰り返したが、とても前進出来そうにない。麓まで目と鼻の先の距離なんだが...。目の前に広がる僅かなブッシュ帯を越えられない。せっかくココまで降りて来たのに、...。しょうがない、進めないのだからアキラめて戻るしかないカァ。かといって、最初に登ってきた道をヤブコギで降りて行くことも、絶対に出来ない。ココで、時間は掛かるが山頂から林道を降りていく苦渋の判断をした。地図を見る限り、延々と道は九十九折になっており、麓に着いても瀧神社より相当離れてしまう。が、こうなりゃしょうがない。ハァハァ・ゼイゼイの疲労もピーク状態で要害山頂に戻り、今度は林道をチンタラ降りていきます。途中、清水が湧き出ている所があり、ウマイ水を存分に飲みます。そう、もしかのためにPETボトルの水をセーブしていたのである。これだけ飲めば、どんなに暑くても熱中症にならなくて済みそう。なおもチンタラ降りて行き、頂上から40分ほどで只見高校の裏にあるJR只見線の踏み切りを越した。ここから瀧神社まで、まだ2Km近くある、あぁ〜、しんどぉ。途中、小さなコンビニでアイスクリームを買い、ダイの大人がミットモナイが、歩きながらコレを食します。どうにか鉄馬の所に戻った時には、「フゥーッ」大きなタメ息が洩れてしまった。これから水久保城を攻めようという奇特な方は、ハナから只見高校裏の林道をチンタラ登っていくコトをお奨めします。

■37°21′23.2″−139°21′23.2″比高は324mです。

帰館して地図を再度見て分かったのだが、「たぬきの林」の道は、登山道ではなく現在は撤去された鉄塔までの保守用の道と思われる。道理で脚部跡の下の辺りで道が途切れていた筈である。何かタヌキに化かされたような気がしてならない(超怒
JR只見駅と城址遠望 水久保城址、麓の瀧神社
登山道・岩場よりの眺め 水久保城址、主郭跡
水久保城址、主郭脇の土橋・空堀跡 水久保城址、副郭跡
「たぬきの林」標識 日本のマッターホルン、蒲生岳
 足が棒のようになってしまったが、鉄馬を御するのにはマダ差支えがないようである。ダメだったら、只見の民宿に泊まろうか、とさえイットキ考えたものである。30年以上も昔々、六日町から未舗装の道をココまで走り、只見の民宿で泊まった時に食った熊鍋が懐かしい。さぁてとぉ、とにかく走れるのだから只見から魚沼までの約60Kmをヒタ走ろう。途中、田子倉湖を上から眺められるビューポイントが何箇所かあるが、長居は無用。只見・要害山でロスした時間が余りにも多過ぎた。休まずに魚沼まで走り、ここからR17を南下します。ここで遥か前方を見やると、アヤシイ明雲が垂れ込んでいる。暗雲ではないが、間違いなく雨雲である。ひょっとして、と恐る恐る駒を進めますが、反対車線のバイク野郎は合羽を着込んでいない。つぅーコトは降っていないってコトね、HYDの望天観測が誤っているようだ。などと思っている内に、ポツポツ来やがった。望天観測に間違いはなかったコトはうれしいが、雨ではねぇー...。すかさず近くのホームセンターに入り、軒サシを借りて合羽を着込みます。着終わった頃に土砂降りの雨になった。その内に止むのは分かっているのだが、時間がモッタイない。土砂降りの中、R17を南下します。でも・しかし、とうとうガマンが出来なくなり、塩沢石打インターから関越道に乗ります。高速に乗ったからといって、この雨が止む訳では当然ない。早めに雨の地域をヤリ過ごすだけである。ところが国境の三国トンネルを過ぎれば止むかと思いきや、何んと渋川まで雨は延々と続いた。でも、良いこともある、もう17時を過ぎているのダァ。と言うことは通勤割引が得られるってコトね、ウレピー。駒寄パーキングエリアのスマートETCより一旦高速を出てETCカードを交換し、また関越を走り出します。連休ということもあり、赤い表示板に渋滞している箇所・距離が表示されている、オーマイゴォッ。でも雨は完全に止んだので良しとしよう。合羽を脱いで涼しくなり、スリ抜けしながら渋滞箇所をクリアし、練馬インターを降ります。勿の論、対象区間(駒寄PA〜東松山)は通勤割引です。難関の環八も日曜ということで、さほどに混まずに玉川インターへ。ここから第3京浜、横浜新道と走り抜け、19時チョチ過ぎに、ようやくご帰館です。雨中走行で、愛馬はメチャ汚れて可哀想だが、今日はカンベンして貰い、明日の休日(海の日)に手入れをして上げよう。で、汚れた顔と手を洗ってスグに食卓に着くのでした。「いっただきま〜す」のゴングと共に本物ビアーをゴクゴク流し込みます。う〜ん、ウんメェー。今日一日のイヤなコトを全て流し込んで、スッカリ忘れてしまった。本日630Kmはよくも走ったモノだが、半分は高速じゃねぇ、ちゃんちゃん
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