■  石塚城  ■
■期日 H20年8月2日(土)【茨城県】 城里町(旧常北町)石塚城、
          (旧桂村)高久城・下圷館・大山城・平治館・孫根城・御前山城
          (旧七会村)四方とや城・荻原長者屋敷
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3京浜〜玉川IC〜環八〜大泉IC〜外環〜三郷JCT
       〜常磐〜水戸北スマートIC〜R123〜城里T〜P39他〜笠間C〜R50
       〜小山C〜R4〜梅島〜環七〜板橋〜R254・山手〜目黒〜駒沢〜玉川IC
       〜第3・横新〜自宅
■コメント
  暑い・熱い8月に入った。勿の論、暑いからといって攻城に出掛けない
ヤワなHYDではない。で、暑い時には信州とか越後、下野の山城を攻めるのが例年なのだが、あろうコトか常陸を攻めようと考えてしまった。理由は特に無い、しばらく常陸の城を攻めていないナァ、というソレだけ。横浜からサホド遠い訳ではないのだが、大東京を往復で横断/縦断するのが億劫という理由で、攻城数も他の国と比べてメッキリ少ない。それでもETCカードの早朝割引という手を使えば、少なくとも片道だけは安く行けるカモ、と思った次第である。少し暗い4時チョチ過ぎに出っ発です。横浜新道・第3京浜と進み、都内に入ったら混雑前の環八を進み大泉インターから外環に乗ります。早朝割引の200円はうれしい安さ。三郷からは常磐道を北上し、水戸北スマート・インターから降りるツモリ。5時半には三郷料金所を通過しているので、次の区間も早朝割引の筈、これもウレシヤ。で、水戸インターを過ぎると、次が水戸北スマート・インターだが、近付くにつれ頻繁に「ETCカードのみOK」という注意書きのオンパレード。こちとらぁETCカード車両である、大丈ブィ。で、「インター出口まであと1Km」の標識が出て来た所で、イキナリの突然に「牽引車両とバイク禁止」の標識が。「ウッソォー、なぜダメなんだよう、どうなっているんじゃあ!(怒)」。とにかく、このインターで降りないことには、遠回りになって、その上に金もかかる、...。まぁ、ダメモトでインター出口のゲートまで行ってみよう。すると、やはり牽引車や二輪は禁止の看板が立っている。でも内心では「大丈夫の筈」という下心もあった。ぢつは、愛馬のETC搭載機は二輪ではなく軽自動車で登録されているのである。いわゆる自主運用ってヤツ。料金をゴマかそうというのではないので、まぁ捕まるコトはない。車幅や車長で判断されなければ、ゲートを通れる筈と踏んだのである。恐る恐るゲート前の停止線に停めると、「どうぞ」と言わんばかりにゲートがパカーッと開いた。やはり軽自動車と誤認識しているのかも。牽引車がETCゲートでダメ、という理由は分かる気がする。だが・しかし、二輪がなぜにNGなのかサッパリ分からない。公団(今じゃ、民営化されてNEXCOとメキシコ合衆国のような名前に変更)の責任者、出て来いヤァ。さぁてとぉ、そんなコトより先ずは朝飯である。3時半に起き出してから、起き抜けの水を飲んだだけ。腹ペコペコなのだが、このR123沿いには得意の牛丼屋だけでなく、コンビニも見当たらない。まぁ、一食くらい抜いても死にはしないのでガマンしようか。結構、空腹に強いHYD(3日以上の断食も楽々OK、何回か実績あり)なのである。で、城里役場の近くを過ぎて700mほどもR123を北上すると、ヘアピンカーブで下坂になるトコロとなる。この坂を下り始める道端に「石塚城址」の小さな標識が立っている。慌てて手綱を引いて愛馬を止め、脇へ入って行くと、何やら左手のヤブの中が臭い。なおも進むと、未舗装道となり石塚城の案内板が立っている。ここに鉄馬を停め攻城開始です。するとイキナリの突然に土橋があり、空堀跡が。なおもウロウロすると、「ゲェーッ」と驚愕の雄叫び。スゴく幅広で深〜い空堀の出現である。これはズイブン手間ヒマが掛かったに違いない。しかし残念ながら、超ウッソウとした樹林の中にあって、デジ写真を撮っても、その迫力が出ないどころか、空堀とは分からないモノしか撮れない。それでも、少し明るい場所では空堀らしい写真が撮れた。まぁ、迫力は無いが、これでガマンしよう、小振りだけれど。なおもウロウロ続行するが、ヤブと蜘蛛の巣で撤退を余儀なくされる。主郭とその脇の副郭はウッソウとした樹林の中であるが、幾つかの副郭は農地化されている。主郭からズイブン離れた場所に竹林があり、この中に入ると空堀・土塁跡あるという具合で、どうやら広大な城郭だったようである。
石塚城址、主郭跡 石塚城址、主郭への土橋跡
石塚城址、副郭への土橋跡 石塚城址、主郭脇の空堀跡
 石塚城址入口の案内板
 県道246号線を北へ進み、高久地区に入ります。何とも分かり難い道(というかオカシナな道で、左右/上下に分岐したと思ったらスグに合流する)で、「錫高野」と「上圷」への分岐標識の場所に到着です。この左右に分岐する道ではなく、真ん中の道を山側に登ると高久城です。簡単な案内板と木碑が立ってます。木碑の歩道を進むと墓地になっていて、主郭跡です。「なぁ〜んだ」こんなものか、と思ってはイケマセン。周りには空堀や堀切跡が残っています。ズイブン離れたトコロにも遺構が残っており、ココもかなり広い城域だったと考えられます。でも大部分は農地化で遺失したよう。
↑ 高久城址、主郭跡
↑ 高久城址、副郭脇の空堀跡
↑ 高久城址、案内板
↑ 高久城址、副郭脇の空堀跡
高久城址、遠景 
 県道246をもう少し進み、「上圷」方向への標識に従って右折して1Kmも進むとR123と交差する信号です。なおも進むと、スグに圷(アクツ)小学校です。さらに500mで右(南)側に下圷館がある。ここにも簡単な案内板と木碑が立っている。進攻すると内部は墓地で、土塁・堀切・堀跡が僅かに残っている。MapFanの地図には、「下圷館」がシッカリ明記されています。向かいは、村社・手子后神社です。
↑ 下圷館址、案内板
↑ 下圷館址、主郭の土塁跡
 下圷館、手子后神社よりの遠景
  R123に戻り、北上して県道112号線への「阿波山十字路」信号で左(西)折して500mも進むと小さな桂川で、ここから上流方向の丘の上が大山城。ホテル大山城への看板が目立つのでスグに分かる筈。遠くから丘上を眺めると天守閣然のホテルが建っている。このホテルの麓に、大山城の案内板と木碑が立っている。案内板の脇に城址への登り口があり、整備された遊歩道を登っていくとウッソウとした樹林の中に堀切・土塁・帯郭跡が残っています。さらに登ると櫓跡に神社が祀ってある主郭です。う〜ん、城址らしい雰囲気がプンプンです。でも少し右手に進むとクダンのホテル大山城です。模擬天守閣がある立派なホテルで、雰囲気から想像されるイカガワしいホテルではないようだ。この敷地からの眺望はグーッです。
↑ 大山城址、主郭跡 ↑ 大山城址、主郭下の空堀・土塁跡
↑ 大山城址、案内板 ↑ 大山城址、遠景
  さらに県道112号線を進み、「北方小学校」への標識に従って左(南)折して進みます。小学校の前の農免道路を南下すると、坂道の上部のトコロに平治館の案内板・木碑が立ってます。案内板の裏側の、手入れがあまりされていない畑地が主郭です。帯郭・土塁跡が残っていますが、あまり遺構はなさそう。ここもMapFanの地図に明記されています。
↑ 平治館址、案内板
↑ 平治館址、主郭跡
平治館址、遠景 
 県道112号線沿いにはマダマダ城郭が多い。さらに西へ進み、孫根地区に入り、県道から右折すると孫根城。ここにも案内板・木碑が立ってます。木碑の後方に立派な屋敷があり、農作業をされていた老夫婦の方に許可を貰って敷地内に入らせて頂きます。蔵の後ろ側に、二重の空堀・帯郭が残っている。母屋の横には高い土塁が100m程残っていて、マタマタ「スンゲェー」の驚愕の一声。土塁の上に登り、辺りを睥睨すると、どうやら城域はこの屋敷内だけではなく、ズゥーッと広いような。ウロウロすると、かなり離れたトコロにも土塁跡が残っている。老夫婦にお礼の声を掛けてココを去ります。ズイブン大きな屋敷であったが、お二人で暮らしておられるのだろうか、他人事ながらチョチ心配に。この孫根城もMapFanの地図に明記されています。
↑ 孫根城址、主郭の土塁跡
↑ 孫根城址、空堀跡
↑ 孫根城址、副郭跡 ↑ 孫根城址、案内板
 孫根城址、遠景
 R123戻り、北上を続けると那珂川大橋である。手前にコンビニがあったので、ここでオニギリ1個+果物ジュース500mLで、遅目の軽い朝食。橋のタモトに県道212号線への標識があり、ココで左(西)折します。曲がってスグに御前山への登り口の標識があります。那珂川の河原に駐車場があり、ここに鉄馬を停めて御前山を登ります。道はシッカリ整備されていて10分で御前山城の物見台跡に到着。この辺りから城域で、スグに主郭、副郭です。空堀・土塁・虎口・土橋がセットになったような遺構が、この登山道に沿って4箇所ほどもあり、見応えは十分。でも登山道からソれると、「ヤブ」+「蜘蛛の巣」+「ブユ」+「小バエ」攻撃がモノ凄く、トテモじゃないがウロウロ出来ない。いや、登山道でもブユ攻撃はスゴクて、おちおちノンビリできない。土塁の高い部分や幅広・深い空堀跡もあるんだがナァ。登山道を進むに従い、遺構は痕跡に近くなり、見晴らしの良い鐘撞き堂跡です。ココも物見台跡か何かカモ。この鐘撞き堂跡には東屋が建っており、腰を下ろしてナニゲに腕をパチッと叩いたら、3匹ものブユが腕にヘバリ付いた。3匹とも真っ赤になっていたところを見ると、シッカリ吸われていたようだ。なんてこったぁ、先日の人間ドッグで貧血気味だと警告文を貰った(それ以外は、全てAの超優秀な成績)のに。早々に退散しよう、速攻で下山。
 御前山城址、副郭の土橋跡
↑ 御前山城址、空堀跡 ↑ 御前山城址、鐘撞き堂跡よりの眺め
  また県道112号線に入り、旧七会村の支所へ進みます。途中、小勝地区で左(南)側の丘上に建物があり、高田荘への標識があるので、左(南)折します。高田荘のさらに上部の段々状の丘上が四方(しぼう)とや城です。峠付近から山側に入る道があり、これを進むと見晴らしの良い東屋があり、一段上に広い主郭です。何段かの腰郭も残っていますが、これ以外には遺構はなさそう。
↑ 四方とや城址、主郭跡 ↑ 四方とや城址、遠景
 さらに県道112号線を進み、旧七会村役場(現七会支所)の南側の小丘が荻原長者屋敷です。麓に立派な駐車場がありますが、一台も駐車していない、モッタイナイ。広い駐車場の端で、木陰になっている涼しそうな所に鉄馬を停め、整備された立派な階段道を登ると、イキナリに空堀が迎えてくれます。土塁・虎口もよく残っています。城址は公園化されていますが、遺構が消失しない配慮がされているようで、うれしい。樹木で眺めはイマイチも、ブユに悩まされるコトもなく、しばしマッタ〜リ。それにしても、園内には誰も居ない、下草も刈って整備されているのに、あぁ〜、モッタイナイ
↑ 荻原長者屋敷、主郭跡 ↑ 荻原長者屋敷、空堀跡
↑ 荻原長者屋敷、空堀跡 ↑ 荻原長者屋敷、遠景
  さぁてとぉ、遅めの朝食だったんだが、軽い食いモノだったためか、早くも腹の虫が文句を言い出した。よ〜し、待ってろヨ、もうじき食わせてやるゾ。笠間に出てR50を走り出すと、交通量の多い道路である、沿道にはヤタラと食い物屋が多い。で、何を食おうか考える間もなく、眼の前に「秘伝のラーメン」の文字。スグに反応してしまい愛馬を停めて中に入ります。とりあえず「ラーメン+餃子」を注文。すると、「ランチ時間はライスが無料」だとナ。となると貧乏人である、すかざずライスも注文してしまった。ヲイヲイ、そんなに食べられるのかい? 遅めの朝食だったコトもあり、結構無理して(ライス少し残したが)完食。腹をブしながら、満腹満腹と超ご機嫌で鉄馬に跨ります。でも、そんなに良いことばかりは続かない。ヤハリ喰い過ぎ、少し走ったトコロで腹が張って痛くなってしまった。そりゃぁ・そうだぁ、胃の2/3は無いんだから。後悔先に立たずを実践して、タラタラ走ります。うそ、体調が悪かろうが/無かろうが、そんなの関係ねぃ^2、R50の快適4車線をガンガン走るのでした。こういう暑い日はガンガン走るに限る。ヘタにチンタラ走るとどうなるか、そう熱射病になってしまうのである(ウソ、単なる言い訳 苦笑)。R50を快適に走り、小山からはR4を南下です。途中、バイクのお師匠さん宅を訪ねようかとも考えたが、イロイロあって8月の土日は勤務だというコトを思い出し、パス。梅島まで一気に南下し、ここから環七を進みます。アスファルト・ジャングルとはいうものの、熱い太陽の日差しをサエギるものは何もない。オマケに渋滞している、「アッチィーよ〜」。しょうがない、途中から川越街道を進み、山手通りで目黒に。ここから駒沢通りを進んで玉川インターから第3京浜です。順調にぬふわKmで流れている、う〜ん、快適・快適。メッシュ・ジャケットの中の、汗みどろになったTシャツが乾いていきます。横浜新道を経て戸塚で降りれば、もう自宅。16時半の早いご帰館に、奥方+娘+猫ビックリ。愛馬の世話をジックリ行い、シャワーを浴びてもマダマダ時間が早い。何んてこったぁ、こうなりゃ破れカブレ、ジョギングに行って来よう。汗をタップリ流して来て、再度シャワーを浴び、イヨイヨ待ってました、本物ビアーの登場です。「ゴク・ゴクッ、プッワァー、うんめい」、本日380Kmは少し走り足りなかったが、この暑さではネェ。疲れが残らないように、しっかり休んでネ、ちゃんちゃん。
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