■  西條城  ■
■期日 H20年4月12日(土) 【長野県】塩尻市・飯縄城・嵐城・西條城・姫城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央道〜甲府昭和IC
       〜R20〜茅野C〜P16他〜岡谷C〜R20〜塩尻C〜R20他〜岡谷C
        〜P16他〜茅野C〜R20〜韮崎C〜R52〜身延T〜R300〜本栖湖T
         〜R139他〜富士IC〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
  鉄馬への鞍だとか兜だとかを両手に持って、マンション玄関を出ると糠雨である。ヲイヲイ、10%の降水確率はどこへ行ったのじゃぁ。答えよ、気象庁のバカども。ノッケから出鼻をクジかれたではないカァ。かといてって、4時に起き出して装備面だけでなくメンタル面の準備も完璧に終えているので、「えぇ〜ぃ、ままよぉ」と5時チョチ前には、雨の中を出っ発するのでした。前回は怖い位に信号待ちに合わずに走れた長後街道も、今日はコトゴトく強制停止。押しボタンの信号にさえストップをかけられる始末。ブツブツ言いながら進んで厚木中心部を過ぎます。ここからは、丁度半年振りである。「えっ、何がかって?」というと、「このR412を走るのは」である。昨年の10月13日に走った後は、この道を通っていない。そう甲州・信州へは凍結が怖くて近寄れなかった道なのである。久し振りのR412ではあるが、体が道を正確に覚えており、適度(本当かよぉ?)な速度で進行。あっという間に相模湖インターに入ります。ここから中央道に乗り、一路西へ。甲府昭和インターで降りるが、いつもながら「割引800円」の50%表示はウレシイ。完全にETC機器のモトを取っている。甲府郊外で朝飯をカッ食らい、R20を諏訪方面に進みます。茅野に入って県道16号線等で岡谷に入り、またR20に戻って塩尻峠を越えます。越えた辺りで南に下り、塩尻市の西条地区に入ります。そう、ここは昨年10月13日に訪れた上野山城の麓の地区でもある。その時は、バテ+気力不足で断念した西條城を今日は攻略するツモリ。半年振りのリベンジなのである。地区にある常光寺山門前の上西条公民館の駐車場に無断で鉄馬を停めます。誰も居ないんで、許可の取りようもないが、まぁ大丈夫でしょう。結構な冬装備の鎧・兜姿で走り抜けてきたので、上下とも2枚も脱いで軽装になり事前準備完了。本堂の右側に不動さまへの参拝路標識があるので、これを登って行き、小山の頂上に到着。この南側の下方に不思議な廃線跡がある。この廃線の北側の端から尾根に取り付き、道のない急坂を登ります。この急坂が緩やかになるに従って、尾根の両サイドは松林に変貌し、道もシッカリする。どうやらマッタケが取れるらしく、止め山のテープがズゥーッと先まで張ってある。このテープに沿って尾根道を登って行くと、寺の山門から13分で飯縄城である。何条かの堀切や段郭が残ってます。コジンマリとした主郭の後ろ側には、この地域特有の土塁が残っていて、堀切へと続いている。残念ながら眺めはイマイチ。で、パチ・パチとデジ写真を撮っていると、液晶面に赤い警告文がチカチカ。「ゲェーッ!」電池切れの表示ではないか。こんな表示初めて見た。しかしオカシイぞ、昨晩シッカリ充電した筈なのに。ひょっとすると、寒さで電池の能力が落ちてしまったのかぁ。予備の充電池を持ってきているが、鉄馬の鞍の中に残して来ている。取りに戻ろうか、とも考えたが、デジ写真を撮りに来た訳ではない、電池切れになったら・なった時と割り切ることに。それでも、ノンビリとバカ・スカ撮っていたのを止め、必要最低限の証拠写真だけを撮ることに。シャツの中にデジカメを入れ、カンガルーのように温めるのは当然である。

36°05′25.1″−137°58′22.3″、標高はちょうど930mで、寺からの比高は153mです。
飯縄城址、主郭と土塁跡 飯縄城址、主郭下の郭跡
飯縄城址、主郭脇の堀切跡
飯縄城址、麓の廃線軌道
飯縄城址、麓の飯綱山・常光寺
 さらに止め山テープは続いており、コレに沿って尾根上の道を登って行きます。堀切跡じゃないかなぁ、と思って進むとピン・ポーン。小さな櫓跡+腰郭を過ぎて、切岸を登ると嵐城です。飯縄城より15分でした。飯縄城と同様に、背後に土塁がある形態の主郭で、飯縄城よりは広い。前面にも土塁跡らしき痕跡があり、中央部に石の小さな祠が祀ってある。新芽でさえ出ていない早春の木樹ではあるが、視界が微妙にサエギられて歯ガミする。視界が開けていれば、塩尻・松本が一望できる筈なんだが。背後の堀切の規模は大きく、ここを越えて次の攻城へ。

36°05′16.0″−137°58′07.7″、標高は2.5万地図で1031mと表示されているポイントです。
嵐城址、主郭跡 嵐城址、主郭の土塁跡
嵐城址、主郭脇の堀切跡
 さらに上へ向かって尾根上の止め山テープは続きます。これに従って登って行くので、何も地図を読まなくてもスンナリと目標の西條城に近づいて行きます。そうは言っても、帰りに道に迷う心配もあるので、まめにチェックを入れながら進むと、嵐城から13分で東京電力の高圧送電線の鉄塔基部に。鉄塔の名前は「安曇幹線1号−No.27」です。この辺りからテープの目印はありませんが、尾根上の道はシッカリしており、道に迷うようなコトはなし。鉄塔基部から9分で、西條城の「洞の峰」の頂上です。土塁跡が僅かに残り、大芝山方向の尾根に3条の堀切と姫城方向の尾根にも3条の堀切が残っています。でも、ウロウロしなかったので堀切はもっとあるかも。安曇野方面の樹木は切り払われていて、ここからの眺めは絶景です。半年前に登った上野山城と、先ほどの飯縄城が遙か下方に見えます。天気も良いし、眺めも良い。モチのロ〜ン、まった〜りの時間に突入。

■36°04′48.2″−137°58′01.2″、標高は2.5万地図で1192mと表示されているポイントです。
西條城址、主郭跡 西條城址、主郭脇の堀切跡
西條城址、主郭跡 主郭近くよりの眺め(左:上野山城、右:飯縄城)
姫城よりの西條城址遠景
 本当は、ここから姫城を目指して北西の尾根を下るツモリであったのだが、【下界に降りてから鉄馬のトコロまで戻るのが大変+電池切れ】で一旦鉄馬の所に戻ることに計画変更。来た道を忠実に戻り、常光寺の山門前に到着。真っ先にデジカメの充電池を取替えます。ここから下西条地区に入り、山懐の先へ先へと進みます。すると山峡の端っこに「山ノ神自然園」の公園があり、立派な案内板が立っています。案内板の地図をよく読み(not見る)、大芝山への進み方を頭にタタき込んで、林道を進みます。愛馬では、荒れた道を進めないので、大芝山と山道とのY字路のトコロで鉄馬を停めます。ココから大芝山への標識に従い登って行くと、50m程で「山ノ神」神社です。神社とは言っても小さな石の祠ですが、石造りの立派な鳥居で、どう見てもアンバランス。この20m上から左に折れる登山道があり、これを進みます。シッカリした登山道で歩きやすいです。神社から14分で、又しても東京電力の鉄塔基部(安曇幹線1号−No.25)です。ここが姫城ということですが、特に遺構は見当たらず。西條城方向の尾根を進んでも、削平地のような地形が続きますが遺構らしいモノはなし。それでもドンドン進むと、自然の大堀切のような地形になっている。なるへそ、これなら堀切も不要だろうナァ、と一人合点。鉄塔基部の下側の削平地は郭跡の雰囲気がプンプンですが、確認できず。鉄塔の周りは案外に急峻で、特に防御施設が不要だったのかもしれないし、土質の関係で遺失したかも。例によって、鉄塔の1段目まで登り(良い子はマネしちゃダメ・ダメよ)、辺りを見渡すがナカナカに視界は開けておらずガックリ。

■36°05′00.4″−137°57′37.5″、標高は2.5万地図で995mと表示されているポイントで、神社からの比高は145mです。
姫城、主郭下の郭跡 姫城、主郭よりの眺め
姫城、登山口の山ノ神神社 山ノ神・野っ原からの姫城遠景
  さぁてとぉ、ズイブンと腹が減ってきたワイ。そろそろリベンジを切り上げてメシにでもすっかい。という訳で、来た道を素直に戻りますが、ナカナカに適当なラーメン屋が見つからない。ソウ・コウしている内に、茅野にまで来てしまい、半年前と同じラーメン屋に突入。う〜ん、我ながら芸の無いコトよ。で、腹を満たした後はR20を韮崎に出て、ココからR52で南下します。身延町からR300に入り、本栖湖を経てR139で富士市方向へ。いつもは途中で県道73号線などで御殿場に出るのだが、望天観測の結果、これを却下。間違いなく、富士山の麓は雨と見た。ここでも、気象庁の10%予報と言ったバカどもをノノシるのでした。このため、R139を富士市へ進み、富士インターから東名に乗ります。まだ行楽のシーズンではないらしく、さほど渋滞せずに厚木インターで降り、苦難の長後街道へと進みます。ブチ切れるまでには至らなかったが、プチ切れをしてようやくに、ご帰館。疲れ果ててしまったので、鉄馬の世話もしないで(ゴメンね)家に入ります。そして、すぐに「いっただきまぁ〜す」のゴング。本物ビアーを喉に流し込み。今日一日を振り返るのでした。本日480Km、ヨォーッ、お疲れさん。

●そうそう、今回の4城の攻城には、2.5万分の一地図が必須です、忘れずに
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