■  薩捶山陣場  ■
■期日 H20年1月19日(土) 【静岡県】静岡市(清水区)・興津館・薩捶山陣場、
            由比町・上野城・川入城・由比城、富士市・善得寺城・間門城、
            沼津市・阿野館
■ルート  戸塚自宅〜P22〜厚木IC〜東名〜沼津IC〜R1〜静岡C〜P22・R1他
        〜沼津IC〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
  どうやら今度の土日には寒波が来襲、特に日曜は関東の平野部でも降雪があるらしい。となれば土曜の内に出掛けようかいナァ。でも今年一番の寒さというから、山側には絶対行けないナァ。となると、近場の駿河辺りを狙うしかないかも。急いで、これまで集めていた情報を整理し、薩捶山陣場をメインにして興津・由比辺りを中心に攻めることに決定。薩捶山陣場は広大で遺構がハッキリしない、ということなので、先達が居ないことにはラチがあかない遺構である。これまで諦めていたのだが、馬念さんのページにかなり詳細に状況が記述されていたので、これを頼りにした次第である。寒いというので、路面凍結を出来るだけ避けるため、遅めの6時に出っ発。イツモ通り、厚木から沼津までは東名を利用。最高所辺りには凍結防止剤が撒かれていた。沼津で降りる際、「通勤割引800円」の表示はありがたい。ここからコクイチを西上します。途中、最近定番になりつつある牛丼のミニセットで腹ごしらえを済まし、R1静清バイパス途中の興津・R52への分岐点で降ります。コクイチ(R1)の旧道を西に進むとスグにJR興津駅です。駅の裏側(北西200m)に宗徳院という寺があり、狭い道を登って山門前。普通四輪では道が狭くて登れない筈です。寺の境内と周辺が興津館の館域。山側は特に雰囲気プンプンですが、遺構は無さそうです。
興津館址、宗徳院
  続いて本日のメーン・イベント、薩捶山陣場です。R1からR52に入り、少し北上して東名高速の高架橋の下をクグルと「八木間」の交差点。ここを右(東)折して、東名高速に沿って道ナリにドンドン進むと、山の中に入ります。急に眼の前の視界が広がると、そこは薩捶峠の駐車場です。富士山のビューポイントらしく、周りの景観案内板があります。ここに鉄馬を停め、浜石岳へのハイキングコースの標識に従ってミカン畑の農道を進みます。11分歩くとハイキング道の入り口標識があり、いよいよ登山道です(この場所には少しスペースがあり、鉄馬程度なら楽勝に道路脇に停められます)。ここからミカン畑の急斜面を登っていきます。それにしても、よくまぁ、こんな急斜面にミカン畑を切り開いたモノである。感心しながら、急斜面を登って行くことと16分で、「ワォーッ」です。幅・高・長ともに巨大な堀切が突如出現です。これがウワサにも聞く東堀切かいなぁ。土塁上に立って下を見ると、大きさがケタ外れであることがよく分かる。何人くらいで・どうやって・どのくらいの時間で掘ったんだろう。確かに掘りやすい地質なのだが、それにしても...。しばしウロウロしてから、ハイ道を先へ進みます。あの堀切を見てしまうと、少しでも削平地と思われる地形を見ると、それらは全て陣場にも思えてくる。たぶん、ソウなんだろうが、違うかも。とか・何とか、ブツブツ言いながら進んで行きます。承元寺への分岐点を過ぎ、さらに上へ登って行くと、草原の道となります。草原が終わる地点に、高圧送電線の鉄塔(東清水富士川北線−No.19)への保守用道があるので、この道を進むと鉄塔基部に到達。さらに進むと、小さな秋葉神社が祀られている陣場跡に。ここでも、しばしウロウロして、元のハイ道に戻ります。ハイ道の西側へ進むと、やはり物見櫓台様で、「久留ハ」という遺構らしい。承元寺への分岐点に戻り、承元寺方向に下って行きます。すぐにハイ道から林道となり、ズイブン歩いた所で茶畑が現れます。ここも北条側陣場の堀切跡らしい。でも、そう言われても遺構とは分かり難い。堀がデカ過ぎるのである。ここから今川軍と北条軍とが陣を布いた山の頂が遠くに見られます。それにしても、分かり難い、クドイ。元の道に戻り、ハイ道を下ってミカン農道に出ます。朝方に来た時には、置いてなかったのだが、ミカンの無人販売コーナーがハイ道の入口・脇に設置してあった。試食用のミカンも置いてあり、試しに1個食べてみた。「うんめぇー」、ものすごく美味。甘いのに酸っぱさもキッチリある。当然、100円玉をビンに入れて、青島ミカン1袋お買上げ。道々食べながら農道を下り、薩捶峠駐車場へ。朝来た時には、1台も駐車している車は無かったのだが、11時頃という時間のせいか、満杯である。車で来られる方は、狭い駐車場(10台位)なので、朝早い到着がお薦めです。
薩捶山陣場、東堀切跡 薩捶山陣場、秋葉神社
薩捶山陣場、堀切跡と頂上部の陣場遠望 薩捶山陣場、ハイキング道よりの富士山
  続いてコクイチを沼津方向に戻り、由比町に入ります。町役場の北側200mの所に北野天神宮があるが、境内と周辺が上野城址。それらしい雰囲気も残るが、遺構はなし。まぁ、住宅地化で消失しても、しょうがないワナァ。
上野城址、北野天神宮
  由比町の阿僧地区の山側最奥部に特養老人ホーム「浜石の郷」がある。このそばに常圓寺があり、寺の境内と周辺が川入城である。川側の急峻な崖を利用した要害であるが、土塁跡と思われる遺構が見られるだけで、遺構はなさそう。雰囲気はプンプンなのだが。ところで、常圓寺の寺紋は足利将軍と同じ弐つ引き紋である、何かイワれがあるのだろうかしらん。
川入城址、土塁跡 、常圓寺境内の川入城址石碑
  続いて、由比町と静岡市蒲原地区(飛び地)の境目に、公営・大沢住宅団地や老人ホームが建っているが、この裏の城山が由比城である。城山の麓は分譲住宅地として工事中のような状況であるが、何やら裁判沙汰で中止中らしい。工事が進むと遺構は壊されるのかも。それはさておき、工事中のためか、城へのそこ・かしこが荒れ放題になっている。とても登れそうにないが、せっかく来たのである、無理してでも登ろう。とは言っても、無駄足になってはタマらない。近くに居た老人に城山のコトを尋ねると、あの山が城山で、城址がある、という返事である。よっしゃぁ、間違いない登るとしよう。ところが、半分近く登ったトコロで無念の断念。ススキ・クズなどの雑草やらトゲ・トゲがある雑草が行く手を阻んで、どんなに無理しても進めないのである。かなり無理して登ったモノだから、降りる時も無理して降りなければならない。往復ビンタを喰らい、枯草の埃で体中が白っぽくなった惨めな姿で麓に降り立つのでした。ところで、下から見た時にも、登っている時にも、城山の尾根伝いに右(北)側にミカン畑が見えていた。当然、農道があるのだろう。という訳で、懲りずに今度は農道側から攻めることに方針変更。本光寺裏側にミカン畑の農道があり、これを進んでミカン小屋のトコロに鉄馬を停めて再攻城。作業中のミカン農家の方にも城址の情報を聞いたが、やはり道は無いようである。尾根側からの攻城なので、先ほどより楽(?)に堀切跡まで侵攻出来た。でも今度も竹薮+ブッシュの猛攻に遭い、ここでも無念の敗退・退散である。目と鼻の先に頂上の主郭部が見えているのにである。鉄馬の所に戻り、ナニゲに手を見ると、赤い血が流れ出している。切り傷が5箇所と、トゲが3箇所に刺さっている。軍手をハめていたのにである、う〜ん、恐ろしや由比城「クソォ、覚えていろヨォ、由比城!今度は鉈と鎌を持参し、一日がかりで攻め滅ぼしてくれようゾ」と捨てゼリフ。
由比城址、堀切跡 由比城址、堀切跡よりの眺め
老人ホーム側からの由比城址遠望
  かなりの体力と時間を費やしたが、結果は惨敗。昼飯を食らう元気も無くなり、コクイチを戻り富士市に入ります。県道24号線で今泉8丁目地区に入り、地区の日吉浅間神社前に進みます。ここに後世のモノと思われる石垣があり、有名な善得寺城の案内板が立ってます。浅間神社・和田神社周辺が城域らしいが、雰囲気は残っているものの、遺構は無いと考えた方が良さそう。高台のため市街の眺めは良いです。
善得寺城址、案内板 善得寺城址、浅間神社よりの眺め
 県道24号線を山側に登って行き、76号線とブツかったら今度は76号線を下ります。工事中の第2東名と交差している所が、間門(まかど)地区で、赤渕川を渡ると浅間神社です。この神社周辺から赤渕川と支流とで三角地形となっている部分までが、間門城址です。神社境内は雰囲気プンプンなれど遺構はなさそう。三角地形の先ッポには櫓台や土塁と思われる遺構があります。
間門城、浅間神社 間門城、土塁跡
  第2東名はズイブン出来ている、いつ開業するのかしらん。「100Km制限ではなく、120Km制限の高速道だとかいうけれど、本当かいなぁ」、とか言いながら、76号線を富士市街に駒を進めていくと、知らない内に県道22号線となってしまった。この県道を東に進み、沼津市に入って少し走ると井出地区。もう少し進むと、根小屋地区の興国寺城というトコロで、県道沿いに大泉寺への標識がある。寺の境内と周辺が阿野館跡です。山門内に土塁跡が残っていますが、遺構はこれだけかも。
阿野館、大泉寺 阿野館、境内の土塁跡
 さぁてとぉ、今日は寒波到来といいながら、日中は日が射したせいかズイブンと暖かかった。でも16時を回って、急に気温が下がってきたようだ。ソロソロ帰るとしよう。コンビニで軽食を食して遅い昼飯とし、コクイチに出て沼津市街に向かいます。夕闇が迫った頃に東名に乗り、ぬえわKmで巡航。途中で時計を見て、ハッと気が付いた。このまま速攻で厚木インターに向かうと、17時前に降りてしまうことになる。そう、通勤割引が効かないのである。しょうがない、イライラしながらぬわわKmでの巡航に切替。うまいこと17時チョチ過ぎに厚木インターを降り、無事に「割引800円」の表示。でも、ここからの長後街道は渋滞しており、カリカリしながら18時前にようやくと、ご帰館。本日280Kmはプチ・ツーリング、ちょちモノ足りないが、攻城数は8城(うそ、由比城は未なので7城)は大満足。

【翌日、手に刺さっていたトゲを相方にマチ針とトゲ抜きとで抜いて貰った。う〜ん、痛かった、涙がしらず出てしまったワイ。その後、すぐに近くのホームセンターに行き、手の平が革製の軍手を購入。今度は大丈ブィ!!】
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