■  太田城  ■
■期日 H20年3月2日(日) 【茨城県】八千代町・和歌城・太田城・鷲宮館・尾崎館、
                      常総市(旧石下町)石毛城・向石毛城・古間木城、
                      坂東市(旧猿島町)・駒寄城
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3〜玉川IC〜駒沢・環7〜梅島〜R4〜古河C〜R125
       〜下妻C〜P20他〜八千代T〜R125〜古河C〜R4〜梅島〜環7・駒沢
        〜玉川IC〜第3・横新〜自宅
■コメント
  珍しいコトもあるものだ。1ヶ月もの間、鉄馬に乗らず野駆に出掛けないなんて。2月は厳寒期でもあるから、例年あまり走らないのであるが、それでも06年は1530Km走っている。術後の07年でさえ640Km走っているのである。やはり、珍しいというしかない。でも愛馬に跨らなかっただけで、原付駄馬には何回か跨ったし、桶川のホンダモータースクール(HMS)で、バランス走行の教習を受講したりしていた。3月にもなったし、少しは暖かくなった。ココらで出掛けよう。ってんで、勇んで早寝・早起し、目指すは常陸の国。大東京と千葉の都市部を朝晩の2回も横断しなければならないので、常陸は敬遠している。のだが、R125沿いは別物である。今日は、この路線の幾つかの城を攻めよう。横浜新道・第3京浜と進み、都内に入って駒沢通り・環七と進んで梅島に。ここから日光街道R4を北上です。日曜ということもあり、道は空いている。で、あっという間に小山手前の古河です。ここからR125に入り、東に進みます。「菅谷十字路」信号を過ぎ、1Km程進むと「若三差路」の信号です。ココを右(南西)折し、道なりに500m進むと、道路右側に和歌神社が建っている。隣は若地区の集落センタ。センタ前に道があるので、ここを左(東)折し道なりに500m進むと、道路沿いに「和歌城址」の標識が立っている。矢印の先(50m南)に土塁らしいモノが見える。「あっれぇー」、難儀するものと思っていたのに、あっさり見つかったモノダァ、拍子抜け。土塁の内側には五輪の塔があり、横に五輪の塔と和歌城の案内板が立ってます。どうやら遺構は、土塁だけのようである。
和歌城址 和歌城址、案内板
 「和歌城」への標識矢印に従って道なりに畑の中の道を南にドンドン進むと、太田地区の集落の端に行き着く。この集落に竜昌院という小さな寺があり、太田城の城域でもある。寺の横には、堀跡がシッカリ残っており、堀を隔てて主郭である。こちらには折の入った土塁が残っていて、周辺には郭の雰囲気がプンプン残っている。寺から南東方向に200m先に愛宕神社があり、ココも城域だそうな。う〜ん、ナカナカに広い城であったようである。神社側にも土塁跡や堀跡が残っている。
太田城址、主郭の折のある土塁跡 太田城址、横堀跡
太田城址、虎口跡 太田城址、愛宕神社の土塁跡
鷲宮砦、堀跡
 次いで、R125に戻り、更に東に進みます。「若三差路」から数100mも進むと、国道沿いに鷲神社があらわれます。スカさず、標識にしたがい鳥居前に到着。この境内周辺が鷲宮砦跡ですが、堀跡と思われるモノの他には遺構は無さそう。
鷲宮砦、鷲神社
  R125をなおも東に進み下妻市に入ります。ドンドン進み、関東鉄道・常総線手前の「峯T字路」信号を右(南)折して、県道357線を南下します。常総市の旧石下町に入り、石下地区に。県道沿いに関東つくば銀行があり、銀行の裏側に八幡神社が建っている。この神社境内周辺が石毛城の城域である。石碑のほかに、超立派な石碑というか案内板が立っているが、土塁のような遺構が残るのみで、都市化で遺構は消失している。
石毛城址、土塁跡 石毛城址、石碑
  100m程県道357号線を南下し、左(西)折して県道24号線に入り鬼怒川に架かる石下橋を渡ります。橋を渡って150m進み、左(南)折して狭い道を道なりに200m進むと、法輪寺という小さな寺が出現。境内脇に平将門の居館、豊田館の巨大な案内板がある。う〜ん、石毛城といい、この豊田館といい、何で案内板が立派過ぎるのであろうかしらん。その割りに、遺構は殆んどなく、土塁跡のようなモノが残るのみ。将門の記念レリーフが立ってますヨ。
豊田館、土塁跡 豊田館、石碑
 県道24号線を西へ1Km進み、標識に従い左(南)折して県道136号線を南下します。道なりに2Kmも進むと、県道は緩やかに西に向かい、古間木(こまき)地区に入ります。この辺りで、信号のない道を右(北)折して300m進むとT字路となり、ここを右(東)折し30mで左(北)折して200m進むと「渡辺食品の工場入り口です。道路沿いに、古間木城の案内板があります。う〜ん、勘だけで駒を進めたのだが、ロス・ミス無くストレートに城址に到着である。う〜ん、最近こんなコトも珍しい。工場入り口の土塁跡と工場裏側の掘跡の遺構がよく分かります。それにしても、周囲の状況を見る限り、案内板に書かれているように、周りが水堀だったとは到底思えない。
古間木城址、工場入口の土塁跡 古間木城址、工場脇の堀跡
  県道136号線に戻り、そのまま進んで途中(場所は失念)で右(北)折して県道135号線に入ります。道なりにドンドン進むと、旧猿島役場(現坂東市猿島庁舎)手前のT字路の信号です。この20m手前に、西仁連川に架かる細い橋があります。この橋を渡り、数10m先の丘陵林が駒寄城。見るからに堀底道と思われるのを進むと、右(東)側が主郭部です。虎口や折のある土塁跡が残っている。さらに東側は崩壊+耕地化で、よく分からない。左(西)側は副郭で、現在はだだっぴろーい畑です。ちょっとした丘陵地ですが、ソコソコに眺めがよく、空きっ腹なのに、しばしマッターリ。タイミングが悪いというか、フンギリがつかないというか、とにかく起床してから、何も口に入れていないのであった。「腹減ったぁー
駒寄城址、主郭脇の横堀跡 駒寄城址、遠景
 さあてとぉ、正午になろうとしている、とにかく腹ごしらえをしよう。ってんで、県道135号線を戻り、「沓掛」信号で県道20号線に入り北上(左折)します。ラーメンでも食そうかと考えながら鉄馬を走らせていると、八千代町に入り尾崎地区です。集落を過ぎ、道路の右(東)側に檜林が続いている場所で、「?」の案内板が眼に入ります。広告の看板にしてはズイブンと下に位置していて目立たないし、何かの案内板と直感。まぁ、この種のモノに眼がいって鉄馬を停めても、5回の内4回はツマラン案内板なのだが、今回は「?」であった。何しろ何が書いてあるのか読めないのである。手で乾いた泥のようなものを払いのけると、秋葉館の案内板であった。中世の館跡だそうな。ココに鉄馬を留めて、林の中を進むと立派(でも、朽ちている)な長屋門がある秋葉さん宅である。どうやら直系の子孫らしい。周りをウロウロすると、堀跡が確認できたが、これ以上には無さそう。でも時代劇のワン・シーンになりそうな雰囲気の残る家屋敷ではある。
秋葉館跡、雰囲気のある子孫の屋敷
秋葉館跡、堀跡 秋葉館跡、県道沿いの案内板
 なおも県道を北上するが、ヨサゲな店が見つからない。でも腹ペコペコペコがガマンが出来なく、どうでもよさそうな店に入ってラーメンを注文。ソレナリのモノを食したのは良いが、どういう訳か急にガックリ病。疲れが出たというか、ヤル気が失せてしまったワイ。最近、歳のせいか/何かの病気なのか、昼飯を食べると急に元気が無くなってしまうケースが多い。エナージーが補給されるので、元気モリモリになる筈なんだが...。でも、こういう時には無理をしないのが鉄則。事故ってしまうか、ポリ公にサインをネダられるのがオチである(実証済み)。まだ元気が残っている内にトットと帰ろう。早々と決断するHYDでした。で、R125に戻り、R4バイパススで都内に。環七〜第三京浜と完璧に来た道をトレースして戻ります。横浜新道でトイレ休憩して、ご帰館は15時丁度。ヲイヲイ、まだ日が高いヨォー。鉄馬の世話をジックリしても、まだまだ明るい。とうとう原付駄馬を曳き出し、買い物までしてしまった。ようやく暗くなったので、長風呂に入り、汗を流して食卓に。で、「いただきま〜す」のゴングで第3のビアー(とは言わないナァ、似非ビアー)をゴクゴクやるのでした。本日280Kmのミニ・ツーリング、「よおっ、お疲れさん
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