■  幡鎌城  ■
■期日 H20年1月26日(土) 【静岡県】掛川市・幡鎌館・幡鎌城・本郷館・各和城
                       ・能ヶ坂砦・惣勢山陣・中村城山砦
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木IC〜東名〜沼津IC〜R1〜掛川C〜P69・P242・R473他
        〜金谷〜R1〜沼津IC〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
  どうやら今度の土日は冬晴れで、10%以下の降水確率とのご託宣である。となると、土曜か日曜のどちらかで野駆けに出掛けようかナァ。でも、最近は野駆けの次の日に、ドォーッと疲れが出て来る状況になってしまった(歳なのかナァ?)ので、仕事に差し支えないように土曜に出掛けよう。行き先は、というと遠州は掛川に決めた。タマには長駆も良いかナァ、という単純なモノである。そうなると、例によって早寝・早起の良い子、出っ発は5時半と真っ暗の中。最低気温が零下という話しだったが、間違いなさそう「さっぶー」。それでも、ハマった懲りないとも云う)中年ライダーは今日も愛馬に跨り、ムチを振るう。イツモのように厚木インターから東名に上がったが、走れば走るほどに「さっぶー」。それでも足柄SA辺りが東名の最高所だと思うが、ココさえガマンして通過すれば、後はナントかなる。でも・しかし、指先がマヒしてブレーキングがモタモタ。こりゃ、危険が危ない。となりゃぁ、手綱をグーッとゲンコツ握りするしかない。実は手綱(グリップ)は電熱で暖めているのであった。ただ、ゲンコツ握りをすると、ブレーキ反応が1テンポ遅くなるので要注意。どっちの方が危険かナァ、とかナントか言っている内に、どうにか凍死せずに沼津インターを降りることが出来た。ヤレうれしや、ココから先はナントかなる筈。で、富士市で朝飯をカッ喰らい、コクイチの幾つかのバイパスをヒタ走ると、掛川である。大池インターから県道40号線を北上します。本郷地区を過ぎ、原谷大橋を渡ってすぐの道を左(西)折し、道ナリに進むと最福寺の山門前の空き地である。この空き地に、幡鎌館の手書きの案内板が立っている。最福寺と天竜浜名湖鉄道の敷地までの間が館域だったようだ。残念ながら遺構は見当たらず。
幡鎌館址 幡鎌館址
 最福寺の裏山が幡鎌城だということなので、境内の墓地の上部から林の中に入って、上へ目指して登ります。登山道はありませんが、ブッシュがなく、緩やかな山容なので難なく登ることが出来る。すると、いきなり堀切・横堀・土塁が歓迎してくれます。う〜ん、うれしや、館の方が期待ハズレだった分、喜びは大きいのである。登った尾根(といえるかどうか、とにかく緩やかな山容なのである)と反対側の尾根にも同様の遺構があります。それにしても、山がナダラカ過ぎて、この位の防御で大丈夫だったのだろうか。
幡鎌城址、主郭跡 幡鎌城址、横堀跡
幡鎌城址、空堀跡 最福寺墓地よりの眺め
最福寺と城址遠景
 ついで、県道40号線に戻り、掛川市街方向に戻ります。すぐに本郷地区になり、曽我兄弟の供養塔がある長福寺への案内板が立ってます。すかさず左(東)折して山門前へ。ココからの東南の微高地が本郷館ですが、住宅地と農地になっており、残念ながら遺構はなし。
本郷館址
  さらに40号線を掛川方向に戻り、「本郷南」の信号を過ぎて700mも走ると出光のGSがあります。ここを左(東)折して殿ヶ谷地区に入ります。目に付く山の端にはゴルフ場のコースが見えます。で、高藤城のことを地元の方に尋ねるが、どの方も「?」である。おかしい、遺構はゴルフ場で消逸しているようだが、城の名前も消えたのカァ?。母の実家の苗字が「高藤」ということもあり、攻城したいと思っていたのだが、何人かの方に聞いてもラチがあかない。しょうがない、もう少し情報を集めてから再訪するコトにしよう。で、県道40号線をそのまま掛川市街方向に駒を戻します。天竜浜名湖線・細谷駅辺りから西側に入り、田んぼの中を南下して各和地区に入ります。東名高速に近い微高地の上に寺と思われる屋根が見えてきます。たぶん、あの屋根が永源寺だろうと当りを付け、原野谷川を渡って進むと、まさしく「ピンポーン」。境内と周辺が各和城である。土塁様のものはあるが、果たして遺構かどうかは分からない。無いと考えた方がよさそう。境内の川側は急峻な崖になっているが、それ以外は茶畑や墓地になっていて、ここも防御性にチョチ疑問が残る。
各和城址、土塁跡? 永源寺山門
永源寺墓地よりの眺め 各和城址、遠景
 掛川市街に入り、掛川城の大手門を過ぎて、今度は県道38号線を南下します。小貫地区に県道79号線との交差点がありますが、これを右(西)折し、38号線を1.5Kmも走ると下土方地区に入り、城東中学校へ。中学校の手前の切通しの左右が能ヶ坂砦で、切通し途中の左側に木碑があります。砦は県道で分断されており、主郭は西側らしい。でもHYDは天邪鬼、先ずは東側から攻めてみた。中学校北の信号を左(東)折すると、左(北)手の奥にドコモのケータイ基地局の鉄塔が建っている。茶畑の農道を進み、茶畑の奥部にある鉄塔基部に鉄馬を停めて、基地局の裏側から登ります。いきなり郭跡のような削平地形があり、堀切跡も1箇所出現です。でも、遺構らしきものはコレだけ。無理して頂上部に登ったモノの、ヤセ尾根で何〜んにも無し。一旦下山し、今度は西側を攻めます。ウロウロ探しましたが、どうやら登山道は無さそう。しょうがなく、「えぇーい、ままよぉ」とばかり、茶畑上部から尾根に取り付きましたが、これが大正解。僅かに道らしきもの(ケモノ道の可能性大、糞場あり)が竹薮の中にあります。太い竹の林で、マバらに竹が生えているため、割と登りやすい。上へ上へと登って行くと、竹林が雑木になった少し上に3段の段郭があり、頂上部は削平地になってました。どうやら主郭のようです。主郭の北尾根にも、同様な3段の段郭があります。堀切の遺構もあり、これから攻城される方は西側だけを攻めることをお薦めします。中学校北の信号(信号標識無し)を西折し、砦側の山麓に茶畑が幾つかありますが、2つ目の茶畑で、奥が竹林になっている茶畑がHYDがトライした登り口です。
能ヶ坂砦址、東側の遺構 能ヶ坂砦址、東側の堀切跡
能ヶ坂砦址、主郭下の段郭跡 能ヶ坂砦の登り口(奥の竹林)
  城東中学から、さらに県道38号線を800mも進むと下小笠川に架かる小笠橋。この橋を渡らずに手前を左(南)折し、川に沿って南下します。この道は県道251号線ですが、小笠橋の所には特に標識はありません、要注意。道ナリに800mほど進んで亀惣川を渡ると、道端に惣勢山陣跡の木碑が立ってます。向かいの空き地には、立派な石碑が建ってます。石碑には「天正2年、武田勝頼が高天神城攻めの折、ここに惣勢の本陣を置く」と刻まれています。木碑の脇に、上へ登る小道があり、10mも登ると茶畑。期待していたのに、ここからの高天神城の眺めは×です。
惣勢山陣跡
  さぁてとぉ、高天神城を攻める付城6砦の内、能ヶ坂砦を含めて5砦は攻城したゾイ。残るは中村城山砦だけである。県道251号線を更に進み、中地区の「中」信号を右(西)折して県道69号線に入ります。曲がって300mも進むと、県道はY字形になるので、ここで県道ではない左側の道を進みます。スグに右折する道があるので曲がると、若宮神社前に到着です。背後はウッソウとした小山で、中村城山砦である。神社の鳥居脇に木碑が立ってます。目指す小山の比高もタイしたことがない、簡単に攻城出来るワイ。と思ったのだが、これがナカナカに難しい。例によって、神社裏側から登ろうとしたが、絶対に無理^2。神社の右側に畑があり、ミカンと梅の木が1本づつある。その奥の竹薮から登ることにしたが、道は僅かに残っているモノの、密集している竹薮に阻まれて進むのは超難しい。一度ならずアキラめかけたが、最後の1砦を攻めないコトには点睛を欠くので、無理・ガマンして登って行った。パンツもジャケットも、枯竹の埃で真っ白である。3段の段郭を経て主郭に到達したが、竹薮で覆われていて、何が何だか分からない。当然、暗くてデジ写真も撮れない。段郭の一部が疎林となっていて、ようやく撮れる程度。土塁跡も確認できたが、やはり撮れない。まぁ、撮るのが目的ではないので、あまり撮らずに下山。無理して登ったため、下山も当然に覚悟をせざるを得ない。ホウホウの態で神社前に降り立ったのであった。う〜ん、恐ろしヤ、家康の6砦。それにしても疲れたピーィ。それでも前回の攻城戦でのトゲ・トゲ攻撃で散々な目に遭った反省から、手の平側が革製の手袋をして攻めたのが大正解であった。650円の元はシッカリ取った感じ。
中村城山砦、主郭下の段郭跡
中村城山砦、木碑
中村城山砦、遠景
中村城山砦、神社右側の登り口
   でも、疲れたコトには変わりがない。ココで、ようやくに気が付いた、昼飯を食べていないのである(気が付くのが、おっせーい)。エナージィーが切れているのであった。かといって、大好きなラーメンでは重た過ぎる。ココのところ、体重増加も心配である。HYDは足・腰、腹・背筋を鍛えて、体力的なライダー寿命を延ばそうとしているだけでなく、最近は内臓脂肪にも注意を払っているのであった。という訳で、コンビニにてオニギリ1個+イチゴ大福+コーヒー缶で昼飯終了。満腹にはならないが、慣れればコレで必要十分条件クリア(というコトにしておこう)。県道69号線+県道242号線の茶畑の中のワインディングを十分に堪能し、R473で金谷に出てからコクイチを東下。静清バイパスは、あいにくと工事で渋滞していたが、スリ抜けも出来ない位に幅員が狭い。早く4車線化にならないかナァ。富士から沼津に入った辺りで、今度は前方に暗雲が見えてきた。得意の望天観測を持ち出すまでもなく、どう見ても雪雲である、それも強大な。と思う間もなく、雨...かなり強烈。その時の風向き・地形で、雪雲が太平洋側にも到達するコトがタマにある。コロ・コロ変化する雪雲なので、これによる雨や雪に降られるのは、しょうがないのだろうか。気象庁のバカを責める訳にはいかないが、何とか予測出来ないモノだろうか、21世紀なんだし。強大な暗雲であったので、雪雲の範囲はズイブン広いと予想したが、悪いことにこの予想はハズレなかった。雨がズゥ〜ッと続いてしまい、ようやく沼津市街で小降りになった。が、沼津インターから東名に入っても、散発的に降り込められてしまった。足柄SA付近では、さすがに小雪になり、相模に入った辺りから雨・雪は止んだが、パンツとジャケットはズブ濡れ。で、肩の辺りをナニゲに見ると、枯竹の埃で真っ白だったのが、元の黒色にヨミガエっている。洗濯機の中を走ったようである。こうなると乾燥機も欲しいところだが、夏場ならともかく厳冬期では無理ネ。厚木インターで「割引800円」の表示を確認して、問題の長後街道へ。17時半という時間帯でもあり、大渋滞はココでも予想通り。スリ抜けをイヤになるほど繰り返し、18時をだいぶ回ったところで、ご帰館です。頭のテッペンからツマ先まで、濡れネズミ状態。大急ぎで着替え、熱い風呂にザンブと入り、久し振りのエビス・ビアーで「いっただきまぁ〜す」。本日、久方振りの400Km超の440Kmなり、ヨォーッお疲れさん。呑み過ぎないでネ、チャン・チャン。
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