■  八王子砦  ■
■期日 H20年1月14日(月)祝 【群馬県】太田市・金山城(再訪)・西城・坂中城・
                           八王子砦・矢田堀城・市場城・下小林城
■ルート 戸塚自宅〜R1・R16〜入間C〜R407〜太田C〜R407〜入間C〜R16・R1〜自宅
■コメント
  08年1stの野駆けは「伊豆」の国と昨年の暮れから決めていた。で、2ndの野駆けは、というと実はコレも昨年の内から決めていた。寒い時期には暖かい所を駆け巡りたい、というのが本音ではあるが、北関東の山城からの関東平野の景色も、何とも素晴らしいのである。この季節、空気が澄んでいて、どこまでも遠くまで見渡せられるのが特に良い。という訳で、関東の名城の一つ、太田市の金山城とその周辺の攻城である。金山城そのものは攻城済みなので、支城を中心に攻城するツモリ。で、昨日は厩舎に預けて後脚の蹄鉄(ブレーキ・ディスク・プレート)の交換をして貰っていたのが、作業完了の連絡が入ったので鉄馬を引き取りに(高かった!)。その後、念入りにカワイイ愛馬のお手入れ。そして夜は、シッカリ晩酌(というか、焼酎の瓶を抱えて飲むようなのは、決して晩酌とは言わないナァ)をして早寝の良い子。それにしても風邪気味だというのに、呑み過ぎダッチュウの。あくる月曜は成人の日で祝日、朝5時半キッカリに出っ発である。やはり、呑み過ぎか、頭痛が止まっていない。でも昨日は何とも無かった喉が、ちぃーと痛い。こりゃぁ風邪だナァ、きっと。こういう場合、普通の人は良い子にして寝ているものだが、ハマった中年ライダーは寒風の中を走り出すのでした。おぉーっ、勇者じゃぁ現代用語ではバカという)。鼻水を垂らしながら、「この寒さでは高速は絶対にツライなぁ」とか「群馬と言っても太田市は埼玉に近いから高速は利用しなくても良いナァ」などと考えながら進みます。結局、下道だけで攻城することにしR16で入間に入り、ここからR407をドンドン北上して8時半には、もう太田市である。目指すは、市中心部からほど近い金山自然公園です。城址を中心に公園化されていますが、市(?、県かも)では、遺構の復元に並々ならぬ力を入れています。ここはズイブン前に攻城しているが、ここからの素晴らしい景色の印象は冷め止まない。で、今回の再訪になった訳だが、公園への案内標識に従って進むと公園駐車場です。この駐車場の5m上段周辺が金山城の支城の一つ西城です。前回の攻城時には、攻め落としたのか/見落としていたのか、それすら記憶に無し。金山城の特徴である石積みで補強された空堀や堀切・竪堀が残存している。駐車場のトイレは屋上が展望台となっていて、朝早いこともあり、周りには誰も居らず、その上、ガス・霞もないので、とんでもなく見晴らしが良い。やはり来て良かったワイ。
西城址、主郭跡 西城址、石積み土塁跡
西城址、案内板 西城址よりの眺め
  西城から案内標識に従って進むと金山城の実城(本城)。前回来た時には、あまりの石垣のオンパレードに圧倒されて、実城北側の石垣や南木戸辺りの立派な石垣を見ていなかった。これは、無知の為せるワザである(冷汗)。で、今回はバッチリ拝見。実城北側(神社裏)の石垣を見るためには、神社左側の堀底道のようなトコロを進むが、この道は坂中城へも通じているハイキング・コースである。ドンドン下って行くと「こどもの国」と「キャンプ場」の分岐点となるが、ここでキャンプ場方向へ下って行くと、まもなく坂中城である。副郭、帯郭、堀切が残存している。ここから実城へ戻るには、来る時とは逆に登り坂となるが、5分丁度で神社に戻るコトが出来た。
坂中城址、主郭跡 坂中城址、堀切跡
坂中城址、主郭よりの実城遠望 坂中城址、石碑
  さぁてとぉ、実城から太田市街を見ると、市街の手前に二つのコブがある小山が横たわっているが、今度はコレを攻めるツモリ。この山は八王子山といい、実城から見て左の大八王子山と右側の中八王子山が八王子砦の城域である。登り口は事前に調べても分からなかったので、イザとなれば直登の覚悟だったが、意外に簡単に分かった。実城と八王子砦の間は、現在は切り通しで松風峠となっている。この切通しの金井口側のカタワらに「比丘尼坂筋違い城門跡」の案内板が立っていて、裏側にハイキング道がある。案内板によると、当時は実城と八王子砦間は峰続きであったが、昭和の大恐慌の折に、失業対策で切り通しにした、とか何とか書かれている。急な斜面を登ること5分丁度で、大八王子山に到着。かなりの広さの削平地ではあるが、郭跡以外には遺構らしきものはなし、ガックリ。メゲズに中八王子山へ向かって下って行くと、「オーッ、すっげぇー」という大きな声が自然と出てしまった、超恥ずかしい、誰も周りには居ないけれど。太田市街や関東平野の景色も素晴らしいのだが、大と中の稜線に沿って空堀が残っていて、土橋もよく残っている。稜線は武者走りになっており、当時の武者の姿が眼に浮かぶようだ。大から中八王子山へは4分位で到達出来ます。こちらも頂上部は削平地であるが、副郭や二重の空堀、腰郭がよく残っている。砦の案内板が立っていて、石垣もあるような記述であるが、こちらは時間の関係で確認できなかった。まぁそれでも、景色・遺構に大満足で下山。
八王子砦、実城よりの遠望 大八王子よりの実城遠望
八王子砦、中の主郭より大を遠望 八王子砦、空堀と土橋跡
八王子砦、空堀と武者走り 八王子砦、登り口
  気力によるものなのか、八王子砦で大汗をかいたせいか分からないが、気が付くと頭痛や喉の痛みは消えている。う〜ん、やったネ。内観療法で治したコトにしておこう、うれしや。続いて県道316号線を北上し、「矢田掘」の信号を過ぎ、毛里田中学校の向かいのガソリン・スタンドの手前の細い道を左(西)折して道ナリに進みます。150mで矢田掘地区公民館・諏訪神社の広場に出ます。この周辺が矢田掘城の城域。四囲の土塁跡が部分部分残っており、二重の土塁跡も一部残存してます。金山城の支城の一つの矢田掘城とはなっていますが、館でしょうネ。 
矢田掘城、二重の土塁跡 矢田掘城、案内板と土塁跡
  県道316号線をさらに進むと、「丸山」信号になるので、これを右(東)折して県道39号線を東に進みます。市場町地区に入ると、県道沿い北側に東応寺があり、さらに100m進むと県道沿い南側にコンモリした林と畑が見えてきます。これが市場城です。耕地化や県道で遺構はズタズタになっていますが、一部の空堀や土塁跡が残っており、「ホッ」とします。ここも館でしょう。
市場城、主郭の土塁跡 市場城、空堀跡
  県道39号線を戻り、今度はR122を南下します。途中から快適な片側2車線路ですが、自重・自重。何となれば、第6感が「危険が危ない」とササヤいたのダァ。特に何かのサインが有るわけではないのだから、第6感としかいいようがない。...果たしてネズミ捕りをやっていたワイ。今回も第6感(勘の方が正しいかも)の勝利である。う〜ん、正直うれしい。モマレにモマレたせいか、勘働きが鋭くなったようである。あと4年半もの長きを乗り切り、何とかゴールド免許に復したいモノである。というか遵法+交通安全の精神が旺盛であれば、簡単にゴールドになるんだがナァ。と大人しく愛馬を駆っていると、下小林地区に入り右側にイーオンの大きなショッピング・センタが出現する。ショッピング・センタを過ぎて最初の信号を左(北)折し道ナリに300mも進むと、左側に若葉幼稚園がある。この脇の狭い道を左(西)折して100m進むと、それらしい雰囲気のコンモリした林が出現する。この周辺が下小林城。個人の敷地内なので礼儀をもって中に入ると、空堀(水堀かも)跡や土塁跡が残っています。それにしても、ショッピング・センタがコチラ側に建てられなくて良かった。完全に消滅するところであったワイ。
下小林城、主郭の土塁跡 下小林城、空堀跡
  もう1KmほどR122を進めば浄光寺館があるのだが、又しても「黄色」信号のアラームが鳴り響いて来た。ビンビンに感ずる、ここは第6感を信ずるコトにしよう。それに、さっきまでウソのように治まっていた頭痛もチクチクしだした。という訳で、12時半を回ったトコロであはるが、ココでUターンして早々に帰陣することに。能がなくて、来た道をそのまま戻ります。R407で入間まで走り、ここからR16を戻ります。渋滞の相模原市内を避けるため、いつもはR129を走るが、今日は市内を突っ切ります。スリ抜けをしながら渋滞部を抜け、保土ヶ谷バイパスも慎重な速度で走り抜けます。環状2号線、R1とを走りぬけ、ご帰館は4時ジャスト。相方・娘・メス猫のオンナばかりが、雁首揃えて「お帰りなさぁーい」。「ありぃー、何かおかしい?」、いつもと違う対応である。まぁ、無愛想な対応よりは良いワイ。この後、丁寧に愛馬を世話しても、夕飯まで時間がタップリ。それじゃぁ、ってんで風邪気味なのに、50分のジョギングで汗を流して来た。当然この後、湯に入り汗をダラダラ流します。食卓に着いたところ、「一日早いけれど、おめでとうございます」ときたもんだ。そうか、明日は57歳の誕生日だった、すっかり忘れていたワイ。攻城の余韻+大汗×2+プレゼント+etc.で、今夜も呑み過ぎ。本日270Kmはチョチ少な過ぎ、でもALL下道なり。
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