■   土肥城  ■
■期日 H19年11月25日(日) 【神奈川県】真鶴町・荒井城、湯河原町・土肥氏居館・土肥城、
                        伊勢原市・丸山城、厚木市・七沢城
■ルート  戸塚自宅〜R1・R134・西湘BP〜小田原C〜R135〜湯河原T〜P75〜千石原
        〜R138〜御殿場C〜R246〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
  3連休の最後の日曜、どういう訳か(休みの日なのに&目覚ましも掛けていないのに)早朝に目覚めてしまった。目が覚めたものはしょうがない、ために布団の中でアレコレ考えた。1W後に迫った駅伝の足馴らしをしなければならない、溜まっているイロイロな雑用もコナしたい、そしてそれに反してユックリ・ノンビリもしたい、とウツラ・ウツラ考えていたが、急に考えがまとまった。近くの城でも攻めようかしらん、と。早く帰って来れれば、トレーニングも出来るし、雑用も済ませられる。で、布団を押しのけ鎧櫃を開けてテキパキと鎧具足を身に着けるのでした。先ずはバナナと饅頭を腹に入れて朝飯とし、鉄馬の準備をします。6時半に出っ発、先ずはR1を西上し四輪で埋まった海岸沿いのR134の脇をスリ抜けて、西湘バイパスを走ります。小田原インターで降りたらR135を進行。数多い有料道路には脚を踏み入れず、タダ・無料の一般国道の山道をヒタスラ上り下りして真鶴へ。JR真鶴駅に程近い海側にコンモリした丘があるが、ここが荒井城跡公園で、荒井城の城域です。(駅そば&坂の多い街)というコトで、四輪では駐車に困る場所柄ではあるが、こちとらぁ鉄馬乗り、公園入り口のスキマに愛馬を停めます。 公園への入口は2箇所あり、下側入口から侵攻となりました。いきなり巨大な空堀が迎えてくれますが、遺構はコレだけかも。林やヤブの中にも入って見ましたが、雰囲気はあるモノの、どうやら遺構は無さそう。ヤブの先に見晴らしの良い場所もありましたが、それよりも上方の公園入口付近からの眺めがグーッです。
荒井城跡公園 荒井城址、空堀跡
荒井城跡公園、下の入口 荒井城跡公園、上の入口よりの眺め
 R135をなおも進み、湯河原市街に入ったら右(北)折して県道75号線に入ります。途中、「JR湯河原駅」への標識があるので、駅前に進みます。遠くからでもスゴイ銅像が見て取れます。どうやら土肥氏と奥方のようである。う〜ん、ごリッパ。駅前には土肥氏居館跡の石碑もあるが、館域は駅の南側というよりは、北側の城願寺を中心としたモノであろう。
土肥氏銅像 土肥氏居館石碑
  引き続いて県道75号線を登って行くと、中腹辺りに「城山入り口」のバス停がある。四輪では駐車するに困りそうな場所であるが、鉄馬では難なく楽勝。道路脇のスペースに停めて、侵攻開始。案内標識には「城跡まで900m」と書かれている、こちらも楽勝かぁ。整備されたハイキング・コースを登って行くが、山中にも関わらず爆音がウルサイ。そう、県道75号線は大観山への道の一つであり、二輪の峠族の聖地(?)でもある。彼らは人様の迷惑を考えず(ヲイヲイ、お前もだろうは無しネ)に爆音を轟かせ(HYDの鉄馬のマフラーは未改造ですので、これは大丈ビィ)、膝をスリ・スリしながらトンでもない速度で上り下りしている(HYDには、逆立ちしたってコノ真似は出来ない)。そのイヤな轟音が耳に入らなくなったナァと思う頃、城山(563m)の頂上に到達。バス停から17分も掛かっている。ヲイヲイ、900mってコトはないヨナァ、とブツブツ。でも、ここが土肥城址です。公園風な頂上は、削平されており、とてもリッパな石碑が立ってます。どうやって、こんな巨岩を運んだのだろうかしらん。などとバカな考えをする間もなく、素晴らしい360度の景観に驚くHYD。芝生の上でマッタ〜リしたのは言うまでもありません。で、オモムロにウロウロ開始。どうやら「しとどの窟」方向には遺構は無いようだが、「湯河原駅」方向には、4段〜5段の段郭が残っている。上の方の段郭には空堀・土塁跡もシッカリ残存です。それにしても景色が良いワイ、と再びマッタ〜リ。下山しようとすると、今度は「バス停まで1500m」の表示杭が。どうなっているのかしらん。足して2で割った1200mが正しいような気がする(ホロ苦笑)。
土肥城址、主郭跡 土肥城址、主郭下の堀切跡
土肥城址、副郭と土塁跡 主郭よりの眺め(真鶴半島)
土肥城址、主郭の巨大な石碑
 峠小僧達に追い抜かれながら大観山へ進み、前方の秀麗な富士山や芦ノ湖・双子山、後方の太平洋の眺望を大いに楽しみます。ココから下って芦ノ湖湖畔を巡り、御殿場に出てからニーヨンロク(R246)を厚木方向に戻ります。そう、早く帰って駅伝のトレーニングをしなければ。途中、いつも気になる「城山トンネル」を過ぎ、松田を過ぎて伊勢原に入ります。東海大学病院手前から、県道63号線に入り北上して厚木市七沢地区に入ります。七沢リハビリテーション病院(七沢地区には神奈川リハビルテーション病院というマギらわしい病院もあるので要注意)へ進むと、玄関入り口前の道路脇に七沢城跡の石碑が建ってます。病院造成で遺構は消失している。
大観山よりの富士山・芦ノ湖
七沢城址
 ニーヨンロクに戻り、少し厚木方向に進むと「下糟屋」信号があり、右(東南)折して100mで高部屋神社です。城域はR246で分断されており、神社境内周辺と、R246を隔て反対側の平地が丸山城の城域です。境内側は土塁跡が僅かに残る程度ですが、国道反対側の台地状には土塁がシッカリ残存してます。ただ、これだけマトまった土地というのは、そうは無い筈、病院・宅地化等で「風前の灯」状態という気がする。杞憂であれば良いのだが。
丸山城址、土塁跡 丸山城址、副郭跡、背景は東海大学病院
  まだまだ走り足りないが、今日はホドホドにしておこう。神社からスグの長後街道を戸塚方向に駒を進めて行きます。まだ正午を少し過ぎた頃合のため、いつもの渋滞も緩やかで、13時過ぎには早々とご帰館。本日、220Kmのプチ・野駆。全然モノ足りないが、少し休んでから雑用をコナした後、ジョギングに行かなくちゃあ、超泥縄だけれど。
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