■   田島城  ■
■期日 H19年12月8日(土) 【群馬県】富士見村・九十九山砦城・金山城・引田城・漆窪城・田島城
■ルート 戸塚自宅〜R16〜入間C〜R299・R407〜東松山C〜R254〜東松山IC〜関越
       〜駒寄PAスマートIC〜R17・P101他〜富士見V〜P34他〜伊勢崎C〜R17
        〜熊谷C〜R140〜寄居T〜R254〜小川T〜P30他〜入間C〜R16
         〜相模原C〜R129〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
  今週も野駆+攻城である。相方から「よく飽きないわネェー」とイヤ味の4つも5つも貰っても、一向に気にしない・気にしない。HYDのツラはカエルよりも厚いのである。で、今週も先週に引き続き、上野国の赤城山麓の城を攻めるツモリ。冬だというのに4時半に起き出し、鎧櫃から冬用の鎧や具足を出して身に着けたり、使い捨てカイロを背中と足のツマ先にアテガうなど、夏場と比べて結構時間を要してしまう。この後、暗い中で馬泥棒対策の幾つもの錠前を外して、鉄馬を馬場に引き出します。これに鞍を着けたり、武具を付けたりと、出っ発前の一通りの儀式にズイブンと時間が掛かる。そうこうして、5時半に出陣のホラ貝。保土ヶ谷バイパス、R16で入間まで進みます。いつもはここから高速に乗るが、今回はR407で東松山まで出て、東松山インターから関越道に上ります。程なくして、前橋の先の駒寄PAのETCスマートICで降ります。PAから下道に降りられるのはラクチン。そして通勤割引・700円の電光表示がウレピィー。ここからR17に出て、「田口町」信号を右(東)折して県道101号線を進みます。ほどなく「横室の大栢(かや)」の標識があり、細ヶ沢川に架かる橋を渡ります。渡って100m先の右側の道端に金山城の石碑があります。この石碑の東側一帯が城域ですが、農地化で土塁跡が一部残る程度で、他に遺構は見当たらないようだ。

■36°26′27.1″−139°03′33.2″、と表示されました。
金山城址、主郭跡 金山城址、県道脇の石碑
  金山城から東南側に300mほど先に、独立した小山が見える。この超目立つ山は九十九(つくも)山で、頂上部には赤城神社が祀ってあり前方後円墳の古墳がある。また、金山城の物見櫓があった九十九山砦跡でもある。削平された郭跡があるが、それ以外はなさそう。松や雑木があるので、完璧な見晴らしは得られないが、それでもグーッな景観が眼の前に拡がる。

■36°26′17.4″−139°03′39.5″、比高は21mで楽勝です。
九十九山砦址、山頂部 九十九山砦址、遠景
 県道101号線を進み、県道151号線を経て「田島」交差点から県道34号線に入り、西側へ500m進みます。九十九山と同じような独立した小山が左手に見えて来ます。この十二山(じゅうにやま)の麓から石の階段をエッチラ・オッチラ(うそ、元山岳部はそんなにヤワではない、休まず速脚で)登ります。頂上部は平坦で赤城神社が祀ってあります。多少樹木がありますが、素晴らしい景色が眼の前に拡がります。先ほど攻め落とした九十九山も遥か下に見えます。この立地条件から、この十二山も麓の引田城の物見櫓的な機能があったと思われます。しばしマッタ〜リしてから麓に降り、東側に100m程にコンモリとした森・竹林がある引田城に駒を進めます。個人の敷地ではあったが、ちょうど個人宅のご夫婦が農作業をされており、許可を得て竹林の中をウロウロ。どうやら堀跡が残っているようだ。ご夫婦のお話では、昭和20年頃までは、周囲に塀が廻らされたズイブン大きな屋敷であったそうな。農地解放で戦後は零落し、塀なんぞは無くなって畑地になったそうナ。

■36°27′01.9″−139°03′51.3″、です。
十二山頂上部の赤城神社 十二山頂上部よりの九十九山
引田城、堀跡 引田城、遠景
  次いで、「田島」交差点方向に県道34号線を進み、細ヶ沢川の手前50mで「漆窪(うるくぼ)」地区への標識が出ているので、ココで左(北)折します。細ヶ沢川に沿って山側にドンドン進むと、「長桂寺」への案内標識があるので、コレに従い長桂寺へ。長桂寺の東側に漆窪城があるとのコトだが、ナカナカ見つからない。ココでも寺のすぐ東側に赤城神社がある。例によって城域も近い筈なんだが...。そうこうしている内に、赤城神社よりサラに100m弱ほど東側の畑に漆窪城の石碑を発見。ちょっと見つけ難かったが、ウロウロした甲斐があったワイ。で、石碑の辺りは櫓跡で、すぐ下の畑地が主郭、その一段下側の畑地が二の郭とみた。二の郭の西側には堀跡が残っている。この他に櫓跡や土塁跡が残っているが、農地化で消失しているようだ。でも、ここからの眺めは良いです。

■36°27′56.2″−139°04′17.9″です。
漆窪城址、主郭跡 漆窪城址、二の郭と堀跡
漆窪城址、主郭上部の石碑
  先ほどの「田島」交差点に戻ります。交差点の北側には富士見村役場が建っているが、この北側に赤城神社がある。例によって、この周辺に田島城があるかと思い、ウロウロしたが見つからない。土地の古老の方に田島城のコトをお聞きすると、どうやら役場の南側のJA富士見支所の東南側の丘陵であるとの情報である。で、JA支所の東側の川の手前に細い道があり、川(用水路風)に沿って進み、県道から200m南に進んだ東側の舌状台地が城域である。それらしい雰囲気があり、耕地化・宅地化が進んでいないので期待が持てます。で、南端の用水路(堀跡と思われる)脇から登ると、いきなり空堀・堀切跡が迎えてくれます。竹林の中をサマヨうと、幾つかの郭や土塁が残っている。東側の主郭は一部耕地化で遺失しているが、小さいながらも開発が進んでいない分、遺構はよく残っている。

■竹林・雑木林の中で、GPS機能せず。
田島城址、主郭跡 田島城址、空堀跡
田島城址、副郭の土塁跡 田島城址、副郭跡
田島城址、南西側よりの遠景
  小さな富士見村(理由があって合併はしないそうな、ご立派)ではあるが、マダマダ城は多い。でも朝の出掛けにバナナを1本食べただけで、他には何も口に入れていないママである。こういうのって、無意識のうちはサホドでもないが、一旦意識してしまうと猛烈に腹が減ってくるから不思議。で、ガマンが出来なくなり、他の城はマタ今度ということで、とにかく何処かで飯を食べることに。この辺りは蕎麦の産地であるから、当然に蕎麦屋が多い。でも昼飯時でもあり、どの店も駐車場が一杯である。蕎麦をタグるのに、長い時間を待って食べるようなHYDではない。空いている駐車場の蕎麦屋を探すが、ドダイそんな店はある訳がない。しょうがなくて、ラーメン屋で朝昼兼用の兵糧となってしまった。Aセットの「ラーメン+餃子+ライス」を腹に入れたモノだから、超満腹。以前の胃なら、ラーメンは大盛りでも楽勝であったが、1/3の胃ではコレが精一杯。というか、超食べ過ぎ。胃も身の内だからネ、ホドホドにしてネ。パンパンの腹をサスりながら鉄馬に跨ります。さぁてとぉ、まだ日が高いが、この腹では歩けない。もう帰るとしよう、ズ〜ッと下道で。と、R17上武道路に出て、ココから南下。熊谷からR140で寄居へ進み、R254に入って小川町。ここから県道30号線を南下です。入間からR16を進み、相模原からR129で厚木に。ここから渋滞の長後街道を進んで、18時チョチ過ぎにご帰館です。さすがに師走である、スッカリ暗くなってしまった。その暗い中で鉄馬の世話をして家へ入り、「ただいまー」。夕飯前に熱い風呂に長〜く入り、汗を十二分に流した後で、「いただきまーす」のゴング。久し振りの本物ビアーをシッカリ味わって飲み干すのでした。本日350Km、ヨォーッお疲れさん。

【実は十二山の石段を無理して登ったため次の日筋肉痛、本当にお疲れさん】
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