■   尾沢渡城  ■
■期日 H19年12月22日(土) 【静岡県】沼津市・獅子浜館・獅子浜城、
                             函南町・日金砦T
■ルート  戸塚自宅〜P22〜厚木IC〜東名〜沼津IC〜R414〜伊豆の国C〜R136他
        〜函南T〜P11〜熱海C〜R135〜小田原C〜西湘BP他〜自宅
■コメント
 とうとう寒い冬になってしもうた。といって、寒いから野駆けをしないかというと、さにあらず。ハマった中年ライダーは、季節に関係ないのである。「寒い・風が強い」というデメリットはあるが、冬晴れで天気が安定している、というメリットは大層有難いのである。その上、夏場の暑い時期では、鎧・兜・具足などプロテクター類が暑くてウットウしいが、冬はへっちゃらである。それでも、冬の攻城は凍結していないコト、という場所を選ぶ。凍結・転倒を経験しているので、これは絶対条件である。という訳で、この時期は房総や伊豆辺りは暖かくてウレシイのだぁ。ただ、伊豆の国のメボシイ城は攻城済みのモノが多い。過去ログを見てみると、どうやら丸2年間もの間、伊豆を全く攻めていない。それじゃぁ、ってんで、メボシイ(?)城を攻めることを口実に、伊豆半島一周の野駆け中心で行ってみよう。と考えていたのだが、金曜になって気象庁のバカ・アホのご託宣は、急に20%→60%と降水確率が赤丸急上昇してしまった。ヲイヲイ、どうなっているんだヨォー。とボヤいても始まらない。よくよく検討すると、どうやら15時以降の降水確率が高いようだ。となると、伊豆半島は一周せずに、半島の根元で戻るショートパスでプチ・ツーリングで行ってみよう。そうと決まったので、金曜の夜はシッカリ呑んで早めに就寝。そして土曜はニワトリだって起き出していない時刻に起き出します。鎧櫃の中から具足類を取り出しイロイロ準備をします。ほぼ1時間掛かって、まだ真っ暗な5時チョチ過ぎに出っ発です。メチャ空いている長後街道を走って厚木インターから東名に入ります。日本の大動脈である東名は、この時間帯でも車が多い。寒いのであまり速度を出さず、ぬふわKmで巡航し、早くも沼津インターです。ここで降りてR414を南下します。御用邸を過ぎて沼津市・獅子浜地区に入ると静浦漁港前に本能寺があります。信長が殺された京の本能寺と同じ名前ですが、関係はなさそう。さぁてとぉ、この寺の境内と周辺が獅子浜城の平時の居館跡です。残念ながら、遺構は残っていない。
獅子浜館(本能寺)、背景は詰め城
  居館の裏山に詰め城等があります。山に向かって右側の独立峰のような小山(162m点)が詰め城で、真ん中の高い鷲頭山(392m)の山頂部に物見櫓跡が残っており、左側に小規模な出城があるとの情報です。でも、午後になって降りそうな雨が気になるので、詰め城(獅子浜城)と物見櫓だけを攻めることに。本能寺の右側に小川沿いに細い道があり、これを道ナリに進むとターゲットの小山を半時計方向に巻くようにした道となり、静浦中学の通学路になります。四半周したところで、山側に階段があります。これを登るとすぐに吾妻神社に到達です。素晴らしい景色が目の前に広がります。ところで、獅子浜城への登山道は無いということであるが、ウロウロしてもヤハリ無さそう。意を決して、こういう時のワン・パターンで、神社裏から登ろうとしますが、神社の裏側は土砂崩れしているほどの急斜面。それでも比較的登りやすそうな右側から攻めます。ブッシュが少なく、雑木に掴まりながら10mも登ると、何と1m幅の道があるではないか。当然、「ラッキー!」と大きな声を出し、ルンルン気分に。で、登り始めるのだが、すぐにプッシューと気分は萎んでしまった。10mも行かない内に道が無くなっているのである。代わりに細いケモノ道が上へ上へと、途切れ・途切れにある。どうやら幅広な道もケモノ道だったようである。確かに人間様のモノではない足跡が付いていた。で、イツものように後を振り返りながら、上へ進みます。これって、帰りに道を間違えないようにするためのオマジナイ。前を見て登っている時の風景と帰る時に見える風景とでは、全く違うからである。比高も低く斜面も比較的緩やかなので7、8分で頂上部の主郭に到着です。笹やブッシュが生茂っており、郭内をウロウロ出来ないので、何とも言えないが、遺構は段郭と40m円形状の主郭のみかもしれない。眺めも低い雑木に阻まれてです。もう一つの目的である、鷲頭山の物見櫓へは、ブッシュが凄くて身動きすら出来ない状況なので、今回はパス(っていうか、このルートでは行けない)。午後の天気が気になるので、一目散に帰ります。この時、注意散漫になったようで、あろうコトか道を見失ってしまった。ヲイヲイ、本当に元山岳部員なのかぁ? こんな低山で道に迷うなんて。でも、2.5万分の一地図では、山頂から神社方向へは緩やかな尾根となっているが、特徴は殆どないような小山なので、迷うとどうにもならない。しょうがない、比高が低いので、ドコかに降りられるだろう、と強引に降りるのでした。その時、何かに足が引っ掛かったようで、イキナリ前のめりの転倒である。「あっ、」という間ではあったが、何かに掴まったようで、それ以上は落ちて行かなかった。「ふーっ、」と大きなタメ息をついたのは言うまでもない。ココでも山岳部員はこんなドジは絶対踏まない。岩場であれば、確実に死んでいたナァ。それでも夢中でドンドン降りていくと、眼の下に椎茸栽培の原木が数多く積まれた所に出た。どうやら、本能寺脇の道を小川を渡った所で右に行くと神社・静浦中学への通学路になるが、左へ行くとこの椎茸栽培をしている所への道になるようだ。ココから鉄馬を停めてある所までヒイヒイ言いながら上り坂を戻ります。
獅子浜城址、麓の吾妻神社 主郭よりの物見櫓(鷲頭山)、遠景
獅子浜城址、主郭跡 麓の吾妻神社からの眺め
 次いで、函南町に入り、県道11号線で熱海峠方向に進みます。今度は以前に攻め落としている田代地区の田代城の出城の一つを攻めるツモリである。八丁堀さんのページに書かれている田代砦(修善寺にも同名の砦あり)である。八丁堀さんは熱海側から侵攻されたようだが、こっちは函南側からである。で、八丁堀さんの案内を頭の中で変換して進みます。で、詳しい案内のお陰で難なく現着。さらに少し補足すると、「原生の森」から1Km先のカーブ地点に未舗装の駐車スペース(退避場かもしれない)があり、脇に下へ向かう旧林道があります。この道は石ころがゴロゴロしているような悪路ですが、真っ直ぐな道で、300m先に放置された軽自動車が見えます。この車の右側に2m幅ほどの道があり、これを300mほど進むと、左側の木に赤いテープが目印に巻いてあります。テープ側に20mも進むと城域です。中央部に櫓跡が残り、周りの土塁も僅かに残っていて、虎口や空堀跡が残存しております。それにしても、この遺構は八丁堀さんの案内がないと絶対に到達できません(キッパリ)。情報、ありがとうございました。
麓の吾妻神社への登り口
田代砦址、主郭跡 田代砦址、主郭の虎口跡
田代砦址、主郭の土塁跡 田代砦址、旧林道への入口
 田代砦を攻めるために2.5万分の一地図を眺めていて、県道11号線で熱海峠方向に少し進んだ所に城山(584m)の表示を見つけた。比高も低いし、鷲頭山を攻められなかった分だけ時間もあるので、モノはついでというコトで、この城山を攻めることにした。頂上スグ下に高圧送電線の鉄塔があり、保守用の道あり、5分で簡単に登ることが出来た。で、頂上部は削平されており、段郭らしい削平地もあるのだが、他の遺構は全く見当たらない。う〜ん、城址ではないのかも。と言っている内に、雲行きがドンドン怪しくなって来る。早く帰館しないと、大嫌いな雨に遭ってしまう。熱海峠を越え、熱海からはR135の下道で小田原に出て、ここから湘南バイパスなどで戸塚に戻ったのは12時半。これまでで最速のご帰館である。というので、相方・娘・猫が...とイツモのビックリ反応。本日、200Km超のプチ・ツーリングで、当然ながら全然疲れが無いワイ。昼飯を食した後は、風呂の大掃除などに汗を流すのでした。

【どうも転倒した時に膝を打ったのかもしれない、翌日になってから右膝が痛いのダァ】

帰館してから、netの情報交換の場で、八丁堀さんと南武さんから「あの山名は、国土地理院が間違えて表記してしまった、本当の城山は別の場所」と教えて頂いた。よし、今度は本物の城山を攻めたろうか】
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