■   竜階城  ■
■期日 H19年12月24日(月・振替休) 【栃木県】鹿沼市・下南摩城・滝尾山城・
                             久我城・竜階城・深津城・日超寺館
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3京浜〜玉川IC〜環7〜梅島〜R4〜宇都宮C〜R121
       〜鹿沼C〜P2・R4他〜小山C〜R50〜太田C〜P39・P69〜伊勢崎C〜R17
        〜熊谷C〜R140〜花園IC〜関越・圏央・中央〜八王子IC〜R16
         〜相模原C〜R129〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
 今年も早12月も後半、残すトコロあと僅かである。となると、今回が今年最後の野駆になるだろうナァ。しかも今月は「寒い」というコトで、300Km前後の比較的ショートの野駆バカリである。それじゃあ、ってんで、今回は少し遠い下野の国を攻城することに決定。では具体的に、どの城を攻めようかしらん。例によって前々からカキ集めていた情報の中からチョイスするが、今回は未攻城数が多い鹿沼に決定。天皇誕生日は午前中が本降りの雨で、半日家の中でブラブラしていたが、午後からは晴れてきたので、マスマス野駆けが楽しみになってくる。明日は遠足という子供と全く同じ心持である。ヲイヲイ、もうじき57歳になろうっていうのに。シコタマ呑んで布団に入るので、サスガに興奮して寝付けないコトはない。でも朝3時には、お目眼パッチリ。でも、この時間に起き出したら寝不足で大変なコトになる。しばらく布団の中でウツラ・ウツラして4時半に起床。冬用の鎧具足を着け、鉄馬の準備をして5時半に出っ発です。横浜新道、第三京浜と真っ暗の中をヒタ走り、大東京も朝マダ早いので、渋滞もなく環七からR4を北上します。この時刻から徐々に闇が晴れ、薄明るくなって来たが、晴天の分だけ放射冷却でメチャ寒い。そういう気温なモノだから、R4バイパスを走る頃には霧も出てきて五里霧中である。うそ下野の国全部が霧中の筈である。とにかく、どれだけ走ってもガスの中である。R4バイパスは片側2車線で、イツモはぬわわKm以上が巡航速度であるが、とてもじゃないが、どの車もスロー・スローで減速である。それでも道路が空いているので「あっ...」という間に小山である。腹が減っては戦は出来ぬので、先ずはイツモの牛丼屋で腹ごしらえ。反省が足りずに、毎回食べ過ぎてしまうのだが、今回はミニ丼にして丁度良い腹アンバイに。う〜ん、ようやく学習効果が出たワイ。で、小山在のバイクのお師匠さん宅を朝駈します。HYDの会社は本日振替休日であるが、お師匠さんの会社はそうではなく、出勤の諸準備中であった。長い時間、お邪魔するわけにも行かないので、早々にお別れしてR4をなおも北上を続けます。が、霧はドンドン霧雨になって来たぁー。R4からR121で鹿沼方向に進軍する時分には完璧に雨。ヲイヲイ、聞いてないよう。そもそも今日の降水確率は10%と宣言していたのにぃ(怒)。それでも、市内から県道15号線で下南摩地区に入る頃には雨も上がります。でも・しかし、道路は完全にウェット、ヘルメットのシールドに前の車のハネがカカり、メチャ気になります。そうこうしている内に、南摩小学校の西100mの県道沿いの招魂社という神社前に到着。この神社境内とすぐ上部が下南摩城です。県道からの比高も低く、容易に攻城できます。比高が低い分だけ防御性を高めるための土塁や空堀は多く、しかも保存状態は良好です。折が入った土塁や虎口も残存しており、上部の滝尾山城方向に4条の堀切も残っています。
下南摩城址、土塁跡の残る主郭跡 下南摩城址、主郭脇の空堀跡
下南摩城址、主郭脇の堀切跡 県道沿いの招魂社
下南摩城と滝尾山城との間からの眺め
  招魂社から、滝尾山へのハイキング・コースがあり、立派な道を登って行くと5分弱で●滝尾山城です。幾つかの郭が残っており、空堀や土塁跡も残っています。主郭には木製のシッカリした案内板が立てられているのですが、不思議なコトに「鹿沼城(滝尾山城)」となっています。腰郭がよく残っていますが、堀切・土塁は少なく、遺構の雰囲気からして下南摩城より古い城かも。

■36°31′25.6″−139°42′38.6″、比高は計測忘れ、すまんそ。
滝尾山城、主郭跡 滝尾山城、案内板
  次いで、県道17号線を鹿沼市内方向に戻り、途中から県道241号線を北上して出自の地(?)の山越邑を過ぎ、「上日向」信号から県道240号線を進みます。加園を過ぎ久我地区に入ります。久我神社への案内石塔の所を山側に進むと、左(西)側にコンモリとした森が見えてきます。300mも進むと久我城と金ヶ沢城の案内標識が道端に立っています。久我小学校の生徒が作ったモノと思われる標識の左側の森が久我城で、ずーっと先の城山の山頂に金ヶ沢城が見えます。先ずは山裾の久我城を攻めます。農地を突っ切り、台地状の森の手前まで来ると、早くも空堀が迎えてくれます。道ナリに進み、台地の上へ登ると虎口からイキナリ主郭でした。ズイブン広い主郭で、2箇所の虎口と土塁がよく残っています。西方の虎口から二の郭へ移ろうとしてビックリ。郭間の横堀の幅・深さが恐ろしく大規模なのです。う〜ん、見事なり。で、二の郭に入ると、ココにも土塁が残存し、さらに西方の隅には凹が入った横堀があります。先ほどの堀よりは、幅・深さとも小さいですが、それでもスゴイです。さらに外側にも横堀があります。南側にも空堀があり、その先には常真寺の墓地と本堂となっています。この寺を目印に攻城するコトをお薦めします。
久我城址、土塁跡の残る主郭 久我城址、主郭の虎口跡
久我城址、主郭と二の郭間の横堀 久我城址、土塁上からの眺め
久我城址、案内標識(バックの森が城域)
  さぁてとぉ、いよいよ今度は山城の金ヶ沢城である。先ほどの道に戻り、荒井川の支流に沿って山側へ進んでいきます。ドンドン行くと、最後はグレンピークマナー・ゴルフ場の上へ出ました。この城への道は無いとの情報である。このため2.5万分の一地図をジックリ読んで、ゴルフ場の尾根伝いからが、緩やかな傾斜で登りやすそうと判断。だったので、丁度よいアンバイです。ゴルフ場の上部は何かの工事中で、重機が入っていました。鉄馬を停め、ザックを背負って、「さぁ、登ろうか」と思った時、雲ひとつ無いような晴間なのに突然の天気雨。まぁ、スグに止むだろうと登り始めたのだが、ブッシュがひどい。これを掻き分けて山中に入るが、防風・防水加工された冬用のGパンでも、朝からの雨と今の雨をシッカリ含んだブッシュの露でビッショリ・グッショリに。う〜ん、このまま進むと大変なコトになるカモ。地図を見る限り比高も距離もかなり難行の城である。しょうがない、今回はアキラめてやろう。う〜ん軟弱なぁ、そんな中年に育てた覚えはないのだが。
案内標識脇からの金ヶ沢城址遠望
 で、元の県道に戻り、200mも鹿沼寄りに県道280号線があるので、この280号線を北上します。引田地区に入ると県道14号線と交叉します。この交差点から見て北側の山が、次に狙う竜階城です。この城も登山道が無いとの情報です。金ヶ沢城より急峻ではあるが、比高は低く、樹木の関係でブッシュが少ないようなので、雨露で濡れることもなさそう。で、どこから登ろうかと地形をジックリ見ると、森の中に僅かに竪堀跡のような直線的な筋目が見える。よぉーし、あそこから登ってみよう。ってんで、麓の空き地に鉄馬を停め、農家の裏庭から山に取りつきます。竪堀かどうかは分からないが、なるほど見立てのように、ずーっと上までエグられている地形である。これなら何とか登れるかも。と登り始めるが、とにかく急峻なため、すぐにアゴが出てしまった。ふと横を見ると、斜上へ進むケモノ道があったので、これを進みます。古典力学的にも斜面を行く方が楽である、っていうか子供でも知っている常識。これを脚で実感しながらギザギザ状に上へ登り、尾根上に出ます。すると尾根上に立派な道があるではないですかぁ。道の下方を見ると、何やら祠のような建物(というか1.5m位の立方体だから建物と呼ぶのには...)が上下に2社も祀ってある。どうやら、この祠というか社への参道である。帰りはこの道を下ろう、と顔をホコロばせるのでした。でも、今はとにかく上へ登ろう。尾根上の道はスグに消え入ってしまったが、ブッシュも無く歩き易い。グングン高度を稼いで、主郭には11分で到着です。祠側のチャンとした道から登れば、10分は切るなぁ、きっと。主郭を中心にして、北側の尾根に5条の堀切があり、南西側の尾根上には二重の堀切と普通の堀切の3条残っている。南側と東南側の尾根には段郭が何段か残存。主郭には土塁と空堀が残っており、三角形のような形状である。虎口があった筈と思われる辺りは、ちょっと複雑、というか変な構造である。この意図は浅学のHYDでは皆目分からない。主郭北側の堀切の先に副郭があり三角点が設置してある。こちらの方が主郭より高いのだろうか、殆ど差はないように見えるが。城域をウロウロして堪能しますが、城域からの眺めは×。主郭下に少し見晴らしの良い場所があり、雉を撃ったりして、しばしマッタ〜リしてから下山です。当然、祠のある尾根道を帰ります。14号線の交差点よりさらに280号線を300mも進むと、路傍に赤い着物を着せられた地蔵様が立っています。この地蔵さんの前の道を山側に進み、左方に見える竹薮の右側に登り口があります。

■36°36′41.7″−139°40′11.4″、比高は146mです。
竜階城、主郭の土塁跡 竜階城、主郭脇の空堀跡
竜階城、二の郭脇の堀切跡 竜階城、主郭下の2重堀切跡
竜階城、二の郭跡 竜階城、主郭下からの眺め
竜階城、登山道の祠 竜階城への登山道は中央竹薮の右側
竹薮へ通ずる道
  雨も上がったし、露も落ちてしまっただろう。金ヶ沢城をもう一回攻め直そうかしらん。でも、あのアプローチの長さを考えると、館に帰るのが夜遅くなってしまう。夕飯には間に合いそうにない、今日は無理だなぁ、絶対に。という訳で、攻城が楽な鹿沼の平城を攻めることに方針変更、かなり軟弱(クドイ)。鹿沼市内に入り、R293を宇都宮方向に進みます。宇都宮との市境より手前の左(北)側に、等持院という大きな寺があります。この寺よりさらに200m鹿沼寄りで国道右(南)側に小さな日蓮宗の日超寺があります。この境内周辺が日超寺館跡です。境内に土塁跡が見られ、周りには堀跡が残っています。耕地化でそれ以外に遺構は無さそう。
日超寺館址 日超寺館址、境内の土塁跡
  鹿沼市内に戻り、今度はR121を南下します。鹿沼インターへの標識に従い、県道6号線を北上して、インターを過ぎて更に1.5Kmも走ると右側にシェルのGSがある信号交差点があります。この交差点を右(南)折し、200m走ると左(東)側に延命寺が見えてきます。この境内周辺が深津城です。山門前に、2重の堀跡が良く残っています。土塁も僅かに残っていますが、その他の遺構は寺と農地化で消失しているようだ。まぁ、二重の堀が残っているだけでもメッケものではある
深津城、外側の堀跡 深津城、山門横の内側の堀跡
深津城、境内の土塁跡
  時間も時間、場所も場所なので、この辺で攻城は終了。宇都宮・鹿沼の辺りは何度も駒を運んでいるので、道路地図を見ないでも鉄馬を進められる。県道2号線やR4を使用して小山へ戻り、ここからR50の高速道うそ制限速度50Kmの一般道)で西へ向かいます。太田市から県道39・69号線で上武道路R17に入り、熊谷からR140で花園インターに。インターから関越自動車道に乗ります。ETC割引があるので、圏央道・入間インターで降りずに、そのまま八王子ジャンクションを経て中央高速・八王子インターで降ります。それにしても、かなりの高速道の多用、軟弱者めが。と自分にブツブツ言いながらR16、R129で厚木に入り、渋滞の長後街道を進みます。トップリ日が暮れた中、19時にご帰館。小山〜鹿沼で雨の中を走ったので、愛馬はハネが多くて薄汚れてしまった。でも、何の世話もせず(ごめんネ)に食卓に。「いっただぁきぃま〜す」のゴングで、第3のビアーを一缶だけ胃に流し込むのでした。この後、お湯割り焼酎を何杯も飲み干し、完璧に出来上がった。本日470Km、早く休んでネ、明日は仕事だから、ちゃんちゃん。
【山越】
「やまごえ」(HYDの本名):安蘇郡山越邑発祥、藤原氏秀郷流... ということになっている。まぁ、HYDの出自がこの流れに入っていたのか・どうかは疑わしいが、この山越邑を訪ねたことも何度かある。確かに、この地には「山越」姓が多い。
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