■   仲明城  ■
■期日 H19年11月17日(土) 【静岡県】 磐田市(旧豊岡村)・亀井戸城・仲明城、
                        磐田市・城之崎城、袋井市・堀越城・本庄山砦、
                        掛川市・掛川古城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木IC〜東名〜沼津IC〜R1〜磐田C〜R1〜沼津IC
         〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
 今年も早11月の半ばを過ぎてしまった。信州や上州の山城を攻めたいと思っていたのだが、ソロソロ雪の季節、今年はもう無理だナァ。となると、道路が凍結しない/しにくい城を攻めるコトになる。で、今回は遠州の城を攻めることにした。長駆になるからと早寝・早起きの良い子であったが、サスガに11月央である。暗いし、何より『寒っぶぅー』である。布団からナカナカ出られずに、出っ発は5時半であった。起き出すのも遅かったが、鎧下に着ける防寒・防風用のインナーなどを押入れの隅から引っ張り出したりするのにも、時間が掛かってしまった。全くの真冬並みの格好で長後街道をヒタ走り、厚木インターから東名高速に。いつものように沼津インターで降り、スマル亭での「かき揚げウドン」での朝飯も、いつものワン・パターン。しっかり腹ごしらえを済ませた後、コクイチをチンタラうそに決まってます、所々でぬふわKm以上もいつも通り、ヲイヲイ)と西上です。磐田バイパスの豊田東インターを出て、県道44号線を北上します。合代島を過ぎ、「豊岡北小学校前」信号を右(東)折して県道40号線に入り、200m進んで最初の信号を右(南)折します。「梅香の里」という特別老人ホームを過ぎて、一雲済川に架かる亀井戸橋に到着です。この橋の裏側にある丘が亀井戸城です。MapFanの地図にも「亀井戸城」の表記がチャンとある。向かって左側にある階段を登ると、すぐに城域です。幾つかの郭跡や土塁・切岸が確認できますが、眺めはイマイチ。近くに3基の風力発電のプロペラが見えます。ということは、この辺は風が強いのね、きっと。
亀井戸城址、切岸
小坂城址
 さらに県道40号線を進み、「敷地」信号を左(北東)折して県道283号線に入ります。200m程進み、最初の信号(大型車は右折禁止)を右(南)折して道なりに進むと、道が狭くなり敷地川に架かる仲明上橋です。この橋の裏山が仲明(なかみょう)城です。橋を渡った所に仲明公民館があります。山は見える範囲が崖状になっていて、どうにも登り口が分かりません。しょうがないので、右(東)側を進み、途中から荒れた畑地を突っ切り、山の裏側の崖状になっていない比較的登り易そうな所から登りました。するとイキナリ2条の堀切のある所に出ました。堀切の崖の所々に竹が生えており、これをうまく利用して無理・苦労してハイ登ります。かなり危険が危ない(良い子は止めましょう)です。ようやくに登り切ると、主郭に到着。雑木で眺めはイマイチも、土塁が残っており、虎口跡もシッカリ確認できます。ということは、虎口の先を進めば容易に帰られるかも。で、帰りはココを伝っていくとチャンとした道があり、安全かつ楽勝で山麓に到着です。公民館から山の右(東)側の小さな側溝に沿って50m進むとカマボコ型の小屋があり、この小屋の左側に登り口があります。

■34°49′49.3″−137°52′06.0″、堀切周辺での数値です。
亀井戸城址、遠望
仲明城址、主郭跡
仲明城址、虎口跡
仲明城址、主郭の切岸
仲明城址、堀切跡
仲明城址、登り口の入口 仲明城址、遠望
一言坂古戦場
 県道44号線に戻り、南下して磐田市街に戻り、バイパスではない方のコクイチ(R1)を西上すると、すぐに「一言」信号。この先をさらに進むと下り坂になり、道路の右(北)側の傍に一言坂古戦場の石碑が斜めに立っています。石碑の後方の坂が、蜻蛉切の槍の本多平八郎が奮戦した古戦場。これだけ見通しが良い場所だと、寡兵側ではハナから気が縮むワナァ、よくぞ戦ったものだと感心シキリ。コクイチを再び東下し、R1沿いにある「城山球場」の標識に従って、「権現」信号を右(南)折して進むと、すぐに城山球場。この周辺が城之崎城の城域です。城山中学と球場の間に空堀跡が確認出来ますが、それ以外には遺構は無さそう。
城之崎城址、空堀跡 城之崎城址(城山球場)よりの眺め
  さらに・さらにコクイチを東下し、「川井」信号を左(北)折して県道61号線に入り北上します。R1バイパスを過ぎて500m程進むと右手に日東富士製粉の工場が見えるので、右(東)折して工場に沿って進むと海蔵寺に到着です。この裏山に須賀神社があり、寺と神社周辺が堀越城の城域です。山頂付近に土塁と郭跡が残っています。所々眺めの良い場所があり、袋井市街が見通せます。
堀越城址、境内の土塁跡?
堀越城址、土塁跡 堀越城址よりの市街の眺め
  海蔵寺の南側の広い道を東に進み、県道58号線に入ったら県道を北上します。山梨郵便局を過ぎて200m進み、そこの信号を右折して県道271号線に入ります。これを400mも進むと右手にセブンイレブンがあるので、この信号を左(北)折して500m弱進むと春岡神社です。神社の裏山が本庄山砦跡で、神社の右側の道を進み、茶畑の中を進みます。どうやら茶畑は郭跡のようである。堀切、竪堀、郭跡が確認できますが、最上部の茶畑は手入れがされてなく、さすがのHYDもここでギブアップ。ナカナカに手強い砦です。神社の左横の物見櫓跡らしき所も雰囲気があり、ここからの袋井市街の眺めはです。
本庄山砦址、郭跡
本庄山砦址、遠景 本庄山砦址、よりの眺め
  コクイチに戻り、なおも東下して掛川市街に入ります。今度は、その内・その内、にと思っていた掛川古城を攻めます。R1「北門」信号を左(南)折し、最初に左に入れる細い道を左(東)折して進みます。300m程も進むと道路が行き止りになりそうな所となり、左の山側に登れる狭い急坂がある(龍華院への案内標識あり)ので、この急坂を登ります。登り切ると龍華院という寺で、境内と近くの公園との小山全体が城域です。寺の後ろ側に土塁が残っており、その後側は幅広・深い堀切です。この堀底へ無理を押して降り、また無理して登って対岸の公園側へ出ます。公園からの眺望は◎ですが、掛川城は古城の山の反対側で見えません。で、この公園への出入りの道を降りていくと、寺へのチャンとした道がありました。危険を押して無理して堀底に降りる/登る必要はありません。龍華院境内の墓地からは、掛川城の天守閣が指呼の距離にクッキリ見えます。
掛川古城址、主郭跡 掛川古城址、土塁跡
掛川古城址、堀切跡 掛川古城址よりの掛川城
 遠州にはマダマダ未攻城の城が多いのだが、残念ながらモウ息切れ。ズイブン長駆でもある、そろそろ帰るとするかぁ。で、能はないのだが、コクイチをそのまま東下して帰陣するコトにします。コクイチの全部のバイパスが無料になったのは良いことなのだが、その分渋滞は止むを得ない。そうは言っても、途中でプチッと切れてしまい、スリ抜けをして島田・静岡・清水を過ぎて由比へ。最後の沼津市街では完全に切れてしまい、危ない強引なスリ抜けまで実施。で、ようやくに沼津インターに入り、溜まったストレスを発散させて東名を東下です。毎週のように発生している事故も、今日は何事も起きていなく、殆ど渋滞せずに厚木インターを降ります。通勤割引800円の表示はウレピー。ところが長後街道だけはいつも通りの超の付く渋滞で、霧消したストレスがまた溜まってしまい18時半にご帰館。日が短いので真っ暗の中、鉄馬の世話をカイガイしくして、風呂に入って疲れを取ります。汗を流してイヨイヨ第3のビールでカンペェーイ、う〜ん、うんめーぃ。ようやくストレス解消して、今日一日を振返ると460Kmなり、ヨォーッ、お疲れさん
★ ホームページのトップへ