■   本山城  ■
■期日 H19年10月13日(土) 【長野県】塩尻市・本山城・妙義山城・三村氏館・上野山城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央〜甲府昭和IC〜R20
        〜諏訪C〜P16〜岡谷C〜P254〜小野〜R153〜塩尻C〜R19〜本山宿
         〜R19〜塩尻C〜R20〜甲府昭和IC〜中央〜相模湖IC〜R412〜厚木C
          〜P22〜自宅
■コメント
 先週は1/2.5万地図等の攻城資料をウッカリ家に忘れて出っ発してしまい、ウロウロ・マゴマゴしての攻城であった。この時、地図が無くてアキめていた城を今週も懲りずに攻めるつもり。HYDはシツコイ性格ではないのだが、何となく心残りがするのである。木曜のご託宣では、降水確率40%と×であったが、金曜になると20%に低下。金曜夜はハナ金の飲み会であったが、風邪気味でもあったので早々に切り上げ、早寝の良い子に変身。で、早起きして4時半チョチ過ぎには出っ発である。先週は夏モノの甲冑・手甲で寒くて酷い目にあった。これに懲りて今回は冬用の甲冑・手甲を身にマトい、暗いR412を相模湖へ。ここから中央高速に乗り、甲府昭和インターで降りてからは、R20を先週と同じようにチンタラ諏訪へ向かいます。モチロン、途中で定番になった(朝定食+牛皿)で腹ごしらえ(腹が減っては戦は出来ぬ)。諏訪湖の南岸の県道16号線で岡谷に入り、県道254号線で塩尻市小野地区まで。ここまでは、先週と殆ど同じである。この小野地区から牛首峠を越えてR19に出るツモリ。..だったのだが、昨年の豪雨による土砂崩れが復旧しておらず、途中でUターン。う〜ん、もっと手前に看板を出しておいてくれよなぁ>長野県。それにしてもズイブンと遠回りになったワイ。一旦、塩尻市街に入り、平出遺跡への県道305号線でR19に。次いでR19を南下して、そば切り発祥の地、本山地区に入ります。地図を見るとR19沿いに本山神社がある筈だが、見つからない。地区内に入りウロウロして、神社らしき森を見つけR19の跨道橋を渡って行くと、はたして本山神社であった(1/2.5万地図では明確に跨道橋の先に神社の記号あり、よく読めよなぁ>HYD)。神社の駐車場に鉄馬を停めて出陣です。さぁてとぉ、どこから攻めるのかしらん。神社の裏山が本山城なのだが、登り口が分からない。神社の右側に林道があるのだが、これは×であった。林道より3m程神社よりに、急坂の登山道が微かに見てとれる。まぁ当初から直登覚悟であったので、途中で道が途絶えても意に介さないツモリで登ります。カナリの急坂ではあるが、アチコチの木に「茸山につき入山禁止」の張り紙が打ち付けてある。ということは、登山道はシッカリあるってコトね。止テープもあり、道にも迷わなくて登れそう、「入山禁止」に気がトガめるけれど。キツイ急坂を登り始めて4分ほどで、小さな神社が祀ってあるトコロに出る。この神社の土台は、石+コンクリートで頑丈・整然と固めてある。急坂なのに、こんな重い材料をどうやって運んだんだろう?。神社の上は崖状の岩場になっており、3点確保の基本を忠実に行いながら、滑落に注意して登ります。僅かな距離なので、1/2.5万地図には、この崖状の表示はない。岩場は結構モロく、注意が必要。。ふ〜む、これでは岩登りの経験者でないと、この城を落とすコトは怖くて無理かも。と、何とか岩場を過ぎると、マタもや止テープと「入山禁止」の張り紙が。ということは、岩場を登らなくても、ちゃんとした道があるのネ、きっと。岩場を過ぎても急坂は続き、ようやくナダラカになったと思ったら、広い4の郭に到着。本山神社から14分を要している。でも、ここから主郭までマダマダ歩く。空堀を越えて、四囲を土塁に囲まれた狭い3の郭に入り、2の郭、主郭へと攻めます。途中でデジカメ写真を撮ったりしながらでの行軍であったが、麓から18分で土塁の一部が残っている主郭に到着です。主郭の奥には幅広な堀切が残存している。う〜ん、全然期待していなかったが、先週の上田城・小坂城等と比べると、スケールも遺構の保存状態もスコブル良好。これで眺めが良かったらナァ...。
 (帰りに岩場辺りの道を確認したが、小さな神社の左側に急坂な松林の中に道があった、ケモノ道のような道だが)

■36°03′36.1″−137°54′17.2″、比高は227mです。
本山城址、途中の小神社 本山城址、主郭跡
本山城址、主郭脇の堀切跡 四囲に土塁が残る郭跡
麓の本山神社 本山城址、遠景
 今度は県道293号線で洗馬・元町地区に入ります。地区のアチコチに付近の案内図が立っており、釜井庵と裏山の城址の位置を確かめ、先ずは「本洗馬歴史の里」脇の釜井庵へ。この趣のある庵は、三村氏居館跡に建てられたモノで、そばに夜鳴き石(洗馬一族が信玄に謀殺されてから、夜になるとススリ泣く)がある。居館の遺構は特に無いようだが、庵の後ろ側の切岸状の地形は雰囲気がプンプン匂う。
三村氏居館跡、現在は釜井庵 釜井庵
  庵の後ろ側は小さな墓地になっており、脇に登山道がある。歩き易いナダラカな道を進むと、11分で妙義山城の主郭に到着です。主郭には小さな神社が祀られており、神社の後ろ側に土塁が僅かに残っている。この他に、堀切・竪堀が残っています。眺めは松林でサエギられており、イマイチ。

■36°06′29.5″−137°54′28.2″、比高は計測忘れ。
妙義山城址、主郭跡 妙義山城址、主郭の土塁址
妙義山城址、主郭跡 妙義山城址、遠景
  続いて、平出遺跡そばの下西条地区に入ります。地区に入りJAの出荷場のような場所で、上ノ山を尋ねると、仕事をしていたオバちゃん達が親切にイロイロ教えてくれた。地図を見れば大体は分かるので、アレコレ聞かなくても良さそうに思えるのだが、まぁ一種の保険のような気持ちで地元の方に聞くコトにしている。中央本線の踏み切りを渡ればスグに登山道がある、それをヤリ過ごして道なりに山懐に進めば林道になりそのまま頂上まで行ける、とのコトである。止め山になっているが、ハイキングなので大丈夫、とにかく絶景である、でも上ノ山より霧訪山の方が良い等々。教えて貰った通りに踏み切りを渡り、舗装道が林道になる所まで行ってみたが、鉄馬ではチョチ心配。モチロン、行けないコトは無いのだが、愛馬はベルト駆動で小石を噛みやすいので、林道をアキラめて登山道を行くことにした。踏み切りそばに「上ノ山展望台登り口」の案内標識があるので、ここに鉄馬を停めて登ります。登りやすい登山道で、9分で小さな神社が祀ってある上野山城の主郭に到着です。地図にも記されているように主郭部には、神社の他にNHKの無線中継所やアンテナが建っているが、遺構を意識したようで、土塁跡はシッカリ残っています。主郭下に堀切が3条ほど残っているが、新たに中継所も建設中で、これ以上遺構が壊されないように祈るばかり。さすがに無線中継所があるだけに、樹木は伐採してあり、塩尻市街が一望に眺められて、景観良し。当然、しばしマッタ〜リ・タイムに。

■36°06′06.3″−137°67′40.3″、ここも比高は計測忘れ。
上野山城址、主郭跡 上野山城址、堀切跡
上野山城址、主郭よりの眺め 上ノ山展望台、登り口
上野山城址、遠景
 さぁてとぉ、今度は隣の上西条地区の山城(飯縄城・嵐城・西条城の3城)を攻めたいのだが、気力が萎えてしまった。というのも、今日攻めて来たどの山城にも「茸山、入山禁止」の張り紙がしてあり、「この山もそうだろうなぁ」と思った瞬間、ヘナヘナとなったのである。まぁ、何もヤバイことをする訳ではないのだが、秋より春の方が良さそうという判断である。と、決まれば急いで帰ろう。随分と戦線が延びきっている。先週は県道254号線で岡谷に出たが、今回はR20の追越し車線を堪能して岡谷に入り、諏訪湖の南岸を走って諏訪・茅野に出て、またR20に入り甲府まで。今回は東名には出ずに、甲府昭和インターから中央高速に乗り、渋滞なしの快適な巡航をして相模湖インター手前の藤野PAでトイレ休憩。で、時計を見ると16時半である。ヤッバァー、このまま進むと通勤割引が効かないゾ。ってんで、あわててコーヒーなんぞを飲んだりして時間をツブします。17時になったところで、鉄馬に跨り相模湖インターに。ETCゲートで「割引・軽二800円」の表示が出て一安心。R412はさほど混まずに進めたのだが、長後街道は相変わらず×。渋滞にイライラしながら19時前にようやくご帰館。相方・娘は先に夕飯を済ませており、早く帰ったにもかかわらず孤食とあいなった。どういう訳か右肩が痛い、五十肩の再発でなければ良いのだが、...。本日460Kmなり、今晩はあまり飲まないでネ、明日は横浜市栄区アマ無線クラブのBBQ大会だから。
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