■   耳取城  ■
■期日 H19年9月1日(土) 【長野県】小諸市・鍋蓋城・七五三掛(〆掛)城・与良城・
                                  森山城・耳取城・玄江院館
■ルート 戸塚自宅〜R16〜入間C〜R299・P30〜寄居T〜R254〜富岡C〜P47
       〜安中C〜R18〜小諸C〜R142・R141〜韮崎C〜R20〜相模湖T
         〜R412〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
 先週はアマチュア無線の祭典「ハムフェア」があり、東京ビッグサイトの会場にSSTVブースの出展等で出掛けられず。で、今週の土日はというと、30%以上の降水確率でカンバしくないご託宣である。こりゃあ、2週続けて鉄馬には跨れないのかぁ、と思っていたところ、木曜の夜辺りからご託宣が良い方向に変更になった。どうやら曇りではあるが、降水確率は10%とな。当然、ソワソワして金曜夜は早寝の良い子でした(ウソ、「花金」である、ソレナリに...)。夏至の頃は明るかった4時半であるが、もう9月である、真っ暗な中を出っ発。この時間帯でも大都会は眠っていない、恐ろしや。ソレナリに車も多く、妙に蛇行運転しているトラックに気を付けながら、保土ヶ谷バイパスを突っ走り、R16で入間に。最近のパターンだと、ここから高速の圏央道に入るのだが、今日は久し振りにオール下道で走破するツモリのため、R299から県道30号線に入ります。降水確率は10%であったが、霧雨のような濃いガスで、ヘルメットのシールドに着いた水玉をゴシゴシしながら走行。道路も完全ウエットで、カッパを着る/着ないの判断が超難しい。でも面倒なので(ヲイヲイ)、そのまま濡れながら走行。寄居辺りからガスも晴れ、思わずニッコリ。コンビニ・オニギリで朝食を摂り、ここからはR254で富岡に。県道47号線で礒部温泉を抜け、今度はR18で西に向けてヒタ走り。メッシュのサマージャケットなので、ガタガタ震えながら碓氷峠(路端の温度表示板は18℃)を越えます。途中、信号の多いR18を避けて浅間サンラインを走り、懐古園の標識に従い小諸市街に入ります。県道40号線で懐古園を目指して走り、R141との交差点「本町」信号を過ぎて、50mほど懐古園に向けて走ると、右側の立派な個人の屋敷の白壁に「大井伊賀守居城鍋蓋城」の標識が貼ってあります。この城は小諸城の前身の城であるが、遺構は無し。
鍋蓋城址、個人宅の標識
 そのまま懐古園の入口の前を通り過ぎ、「しなの鉄道」の線路に沿って南東に進みます。すぐに「古城」信号になり、さらに200mほど進むと、分かりづらいが道路は小川を横切ります。この小川に沿って下流(南側)に200m進み、行き止まり近くの小丘が七五三掛城。行き止まり手前の右(西)側の狭い道を30m進むと墓地の駐車場です。この小川に削られた崖上が郭跡です。城域は、しめ(木へんに〆の漢字)掛墓地と隣接した農地、少し離れた農地(というか荒地)と完璧に荒れた農地という3郭からなっている。それぞれの郭の周りは崖になっており、「四面崖」から転じたらしい七五三掛(しめかけ)城の防御性が良く分かる。それと周りの住宅地からは想像も出来ない隔絶された異様な風景に驚く。墓地の中央部には小諸城主・牧野氏一族の大きな墓が幾つもある。墓地は藩士以外の埋葬は拒絶されている。死んでからも差別されていて、何とも気分悪し。墓地の横の畑で農作業していたオジサンと話をしたが、地主ではなく借りている人のようだ。地主はもう死んでいないが、その後継者も、この畑の存在を知らないとのコト。それくらい、周りと隔絶されているワンダーランドである。で、落城の際の抜け道など、面白い話を語って聞かせてくれた、本当かしらん。このオジサン曰く、「牧野家の墓のある所に、奥方が起居していた屋敷が在った」というから、「墓地+畑」のある郭が主郭なのか。大規模な横堀が見モノではあるが、それ以外の遺構はなさそう。
七五三掛城址、副郭跡
七五三掛城址、横堀跡
七五三掛城址、墓地(主郭跡)入口
七五三掛城址、主郭下の崖
  さらに「しなの鉄道」に沿った道を道なりに進むと、「南城公園」への案内標識が出てくるので、標識に従って公園へ。この公園は与良城の城域である。しかし、公園の案内板には、この城址の記述が全くないのが寂しい。舌状地形を利用した城で、移動するのに崖上/下とアップ/ダウンが超厳しい、その上クソ暑い! このため詳細には巡れなかったが、公園化で遺構は横堀や土塁跡が残る程度か。
与良城址、土塁の残る入口
  同じ道をさらに進むと県道78号線と合流するので、整備されたこの県道を進みます。森山地区に入ったら、県道から左(東)側の地区中心部に入ります。県道沿いには民家は殆どないのだが、中心部は古い町並みが残っており、中心部に公民館がある。この辺りが森山城の城域ですが、宅地化で遺構はなし。石碑が公民館広場に立っています。
森山城址、石碑
  県道78号線に戻り、耳取地区に入ると、道路右(西)側に立派な耳取城の石碑が立っています。石碑の後に個人の住宅があるが、土塁跡も見える。おーっ、凄げぇ、当時のものかしらん。急いで鉄馬を停めて、早速城域をウロウロします。といっても、このウロウロするのが、とてつもなく難儀。9つの郭で構成されているらしいのだが、とにかく広大なのである。7つまでは確認出来たが、全ての郭は確認できず。早い話、大き過ぎてウロウロするのが大変なのダァー。縄張り図とニラメッコして攻城される方は、現在の県道78号線が新しくなっていることに、ご注意。旧道は石碑の西側50m先にあります。この旧道近くの郭は農地化からマヌガれたものが多く、遺構が確認しやすい。それにしても、県道の新旧の2道と農地化で破壊されていなかったら...、残念。
耳取城址、主郭跡 耳取城址、副郭の土塁跡
耳取城址、副郭の一つ跡 耳取城址、石碑前にて
 この旧道を300m南下すると(新しい県道では、見つけにくいので注意)、趣のある禅寺の玄江院に到着。駐車場の所に土塁跡が僅かに残る玄江院館跡である。シックリ落ち着いた寺で、さすがにウロウロ出来るような雰囲気ではない。アチコチ見てはいないが、遺構はこれ以外には無さそう。
玄江院館址、土塁跡 玄江院館
 さぁてとぉ、今日はオール下道での攻城と決めている。夕方になると、R20甲州街道の大月や上野原の市街で大渋滞してニッチもサッチも行かなくなる。ここらでキリをつけて、早めに帰ろうカァ。R142で佐久に出て、ここからR141で野辺山・清里を過ぎて韮崎に入ります。ここからはR20を東下。いつもは甲府昭和インターから高速に乗るのだが、今日は下道をトコトコ走ろう。インターから先のR20を走るのは、3年振りではなかろうか、何んとも新鮮に感じるから不思議。甲府の市街を走り、笹子トンネルを抜けて、大月に出ます。途中ラーメンでも食べようと思っていたのだが、どこも混んでいて食いそびれてしもうたワイ。しょうがないので、コンビニで簡単な昼飯を食べ、上野原を過ぎて相模湖に。ここからは年に何度も通る道である。渋滞箇所も、スリ抜けの場所もよく把握していてメリハリのある走行。厚木からは渋滞でイライラの長後街道です。それでも17時にはご帰館。えらく早い帰館に「相方+娘+猫」の全部が一斉にビックリして「エェーッ、もう帰ったの? ニャーニャァ?」。本日430Km、ALL下道、お疲れさんでした。
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