■   伏馬田城  ■
■期日 H19年8月19日(日) 【神奈川県】相模原市藤野町・伏馬田(ふすまだ)城
                              奥牧野城・鉢岡山烽火台
■ルート 戸塚自宅〜P22・R246〜小山T〜P151〜須走〜R138〜山中湖〜R413
        〜津久井T〜P64〜伊勢原C〜P22〜自宅
■コメント
  盆休みの前半は飛騨へ帰省して百姓仕事、後半は野駆けの計画である。で、既にビーナスラインを攻めてきたが、まだモノ足りない。かといって盆休みの最後の日曜では、どこも・かしこも渋滞であろう。しかも15時以降は夕立と見た(あくまでもHYDの推測で、気象庁のアホ共の予想ではない)。こういう状況を冷静に考えれば、出掛けるバカは居ない筈なのだが...、ところがバカが一匹いた。朝早くに出て、午前中に帰ってくれば良いじゃん、という計画である。よっしゃあ、出掛けるゾイ。で、3時チョチ過ぎに起き出し、4時には出っ発。の筈だったのだが、好事魔多し。どういう訳か、夏用のメッシュのグローブの左側がない・無い。アレコレ探しても出て来ないので、アキラめて左側だけ普通のグローブで4時チョチ過ぎに出っ発。で、行き先は富士五湖を巡って、余裕があれば攻城も、というプラン。長後街道で伊勢原に入り、ココからR246で西上します。駿河・小山から県道151号線で須走に出て、ここからR138で篭坂峠を越えて山中湖へ。プラン通り、ここから他の4湖を回ろうと思ったが、まだ6時だというのにヤケに車が多い。ヘタすると渋滞にハマるかも、という訳で4湖は止めてイキナリ攻城に切替え。R413で道志村に入り、ズーッと進んで藤野町に入り、「青野原西野々」の信号先で「バカンス村」への標識に従って左(北)折します。すぐに道志川に架かる亀見橋を渡りますが、この橋から1.3Km進むと伏馬田城への登山標識が山側に立ってます。崖側には城址の案内板が樹の下にヒッソリと立ってます。案内板によると、どうやら、この城の守将の子孫は、憲政の神様・尾崎行雄とナ。道路脇に鉄馬を停め、イザ進軍の陣鉦を打ち鳴らします(ウソ、熊避けの金属笛、●ピーーッ)。朝早いものだから、朝露をタップリ含んだ熊笹の中を歩いてジーパンはびっしょり。クモの巣が顔に当たり、イヤな目に何度も遭いながらも13分で主郭に。堀切跡が僅かに残り、帯郭が確認できるが、これ以外の遺構はなさそう。

■35°33′39.5″−139°09′27.6″、比高は計測したがメモ紛失。
伏馬田城址、主郭跡
伏馬田城址、登り口の案内板
伏馬田城址、主郭跡 伏馬田城址、登山道よりの眺め
伏馬田城址、遠望
  次いで、来た道をそのまま進み、県道76号線に出たら県道を北上して「賽の神」バス停の所を左(西)折して県道517号線を進みます。県道35号線と合流すると200m程で山梨県との県境に出ます。この県境の手前50mに谷間に架かる前川橋(ガッシリした吊り橋、でも橋板が腐っていて車両通行禁止)に到る細い道があるので橋のタモトに。ここに鉄馬を停め、秋山川の向こう側に渡ると、奥牧野城の案内板が立っています。2段の広い郭跡と出郭跡が残っています。その昔にキャンプ場(奥牧野休暇村キャンプ場)にされてしまっていて、遺構は殆ど消逸しているようだ。両側を秋山川の絶壁で守られた堅城ではある。
奥牧野城址、主郭跡 奥牧野城址、副郭跡
奥牧野城址、案内板 奥牧野城址、遠望(右側の森)
前川橋より秋山川を望む
  県道76号線に戻り、相模湖を目指して進みます。「赤沢」のバス停に、山(東)側に入る狭い山道があり、これを進みます。約1Kmほど進むと、道の両サイドに小さい「鉢岡山」への登山道の案内標識が立ってます。道路脇のスペースに鉄馬を停め、この登山道を登ります。やはりクモの巣に悩ませられますが、整備された道で12分で頂上に到着。山頂には神奈川県の防災無線の基地局などが建っており、鉢岡山烽火台跡の木碑が立っています。どうやら郭跡以外の遺構は消逸したようだ。

■35°35′48.7″−139°09′59.4″、道路からの比高は124mです。
鉢岡山烽火台址、登り口
鉢岡山烽火台址、主郭跡
  まだまだ攻めたい城があるのだが、深追いをするとお昼迄には帰れなくなる。渋滞にイライラするのもナニだし、明日からは仕事が待っているし...、とモチベーションがドンドン下がって速攻で帰館することに。県道64号線で宮ヶ瀬湖を経て伊勢原に。ここから長後街道をヒタ走りし、丁度12時にご帰館。あまりの早いご帰館に相方と娘は口をアングリ。「だってぇ、帰るの遅いと思うから、お父さんの昼飯無いよう」だって。本日200Km超のプチ・ツーリングでした、チャンチャン
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