■   雷電山砦  ■
■期日 H19年5月12日(土) 【群馬県】太田市(旧尾島町)・大舘館・徳川館、
          太田市(旧薮塚本町)・薮塚館・雷電山砦、みどり市(旧笠懸町)・泉沢城
■ルート 戸塚自宅〜R1・R16〜入間C〜P30〜小川T〜R254〜寄居T〜R140〜熊谷C〜R407
         〜太田C〜R50〜伊勢崎C〜R17〜東京M〜環八・R1〜横浜C〜P17他〜自宅
■コメント
 先週の野駆けは鉄馬の調子がイマイチで、楽しめない野駆けになってしまった。野駆けの次の日に早速、いつもの厩舎にて見て貰ったが、簡単には分からないようだ。とりあえず、鉄馬のCPUをPCに接続し初期状態にしてもらった。いわゆるガベージコレクションをゼロに、という意図であるが果たして今日の野駆けに結果は出るかいな。という訳で朝もハヨから起き出し、5時前には出っ発です。前回は走り出して30分ほど経過してからオカしな動作をするようになったが、今回は大丈夫のようだ。と、気を良くしてR16、県道30号線、R140、R407と進んで上野国太田に到着。ここも市町村合併で大きく膨らんでいて、いまいちピィーンとこない。で、県道298号線で旧尾島町の大舘地区に入ります。県道沿いにある東楊寺の200mほど北側の畑のド真ん中に小さな神社があり、大舘氏館跡の案内板と小さな木碑が立っています。さすがに農地化で遺構はなし。
大舘氏居館跡、遠くに見えるは東楊寺 大舘氏居館跡
 続いて県道298号線をさらに西側へ進むと徳川地区に入ります。「徳川発祥の地」という看板がアチコチに立っていて、スグに縁切り寺の満徳寺が見つかります。この北側に東照宮があり、境内一帯が徳川氏館跡です。遺構はなし。それにしてもデッチ上げの徳川系譜でも、有無を言わせず通すのは立派。
徳川氏居館跡
 今度は県道69号線で北上し、途中から県道294号線で東へ進んで、県道78号線にブツカります。ここで、細い道をそのまま進むと、踏み切り辺りから田んぼの中で前方に三島神社と左側に長円寺が見えてきます。この長円寺は薮塚氏館跡で、境内に物見櫓跡と思われる小丘があるのでスグに分かる筈。どうやら古墳跡を物見櫓に再利用したようです。周りには特に遺構はなし。
薮塚氏居館跡
  県道78号線の「薮塚」信号から北へ向かう県道332号線を進みます。温泉街を抜け、さらに進むと山道となり、峠のちょっとしたスペースに鉄馬を留めます。眼の前(北側)に切通しがあるので、ココを登ります。すぐに登山道は無くなりケモノ道に。見るからにイノシシか何かが地面を歩いたような足跡や地面を掘り返した跡があります。逆にいうと、それほど人間にとっては歩きにくいです。これをガマンして竹薮の中を進むと空堀跡があり、運よく石積みの虎口跡と思われる所に出ました。さらに進むと幾つかの郭跡があり、雷電山砦の主郭に到着です。ここから樹間のスキ間から太田双葉ゴルフ場のコースが見えますが、眺望はききません。ウロウロしながら下山しますが、道が無いため来たルートとは異なるルートを辿ったようで、岩間の水場(たぶん当時の井戸)に出くわしました。
雷電山砦跡、石積みの虎口跡 雷電山砦跡、井戸跡
雷電山砦跡、主郭跡 雷電山砦跡、県道332号線の峠からの登り口
  次いで県道78号線を進み、「岩宿遺跡入口」信号を左(西)折して進むと、鹿田山が見えてくるのでこの山裾を巻いて西側の麓に。ヤナセ産業の標識があるので、これに従って今度は山側へ登ると、清泉寺。この境内や周囲が泉沢城址です。郭跡や土塁・堀跡が残っていますが、主郭はどこか分からず、ガックリ。もう少し調べておけば良かったワイ。
泉沢城址、郭跡の一つ清泉寺 泉沢城址、土塁跡
  このガックリの影響かどうかは分からないが、急にエネルギーの黄色信号が点滅し始めました。う〜ん、どうもこの頃「体力・気力」とも弱ってしまったようだ、おかしい。とは言っても、しょうがない。キレてしまうと、もうガマンが出来ない。しょうがない、まだ12時前と早いのだが帰ろうか。それでも同じ道を帰るのではオモシロくないということで、何年振りかでR17を進んで都内に入り、環八からR1に進みます。横浜に入ったところで環状2号に入り、走り慣れた道を白バイに注意しながらご帰館。15時半という、かってない早さで帰ったモノだから、相方が驚くのは無理は無い。本日、オール下道で320Km、夕方には今さらながらの体力増強のため、1時間のジョギングのオマケ。
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